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「スティーブ・ジョブズ」

2012年10月22日

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iPhone5発売狂想曲

スティーブ・ジョブズ Ⅰ Ⅱ

ウォルター・アイザックソン著、 井口 耕二訳

講談社 (各巻 ¥1,995)

 

 東京・銀座のアップルショップに、開店前から並ぶ人の長い列、銀座通りに沿ってほど近いソフトバンクモバイルの旗艦店にも。テレビ局のカメラと報道陣のカメラの放列。

 「iPhone 狂想曲」は再び、メディアによって奏でられた。アップルは9月21日、最新鋭の「iPhone 5」を日本でも売り出した。

  「iPhone 3G」が登場したのは、2008年7月である。そして、10年6月の「4」、11年10月の「4S」。さらに、「5」に至ってもなお、その人気は衰えず、加熱している。

  アメリカの調査会社のIDCによると、2012年上期の世界のスマートフォンのシェアは、サムスンが31%、iPhoneが21%、ノキアが7%である。

 ちなみに、タブレットでは、アップルのiPadが71%、サムスン9%である。

  ある調査会社の推定によると、スマートフォン市場の利益のうち、アップルがその70%以上を占め、サムスンは26%に過ぎないという。他のメーカーはほとんど利益を出していない。

  アップルの一人勝ちである。

  日本のメディアの「iPhone 狂想曲」も、投入された機種の数を模していうなら、第4楽章に入って、アップルの戦略やその新製品の機能の分析をする主旋律から、日本のメーカーのふがいなさを嘆く哀調を帯びた旋律を奏で始めたようにみえる。

  スマートフォンの大きな潮流を、日本メーカーは見逃したという、批判の強い調子も加わって、「失われた20年」の記憶が蘇って、読者にはいささか耐えがたいのではないか。

  今日を記録する、という意味であるジャーナリズムは、日々の出来事を追いながら、その一方で歴史的な潮流をみなければならない。日本のメディアは、「ウチ」を攻撃するに際して「ソト」をもってする傾向が強い。

 それは、日本が過去の歴史のなかで、「ソト」からの衝撃によって、「ウチ」の変化を遂げてきたことと無縁ではない。黒船の来襲によって、近代化を成し遂げた列島の現実である。

  「ソト」によって、「ウチ」を攻撃する、日本のメディアの自虐性がいかんなく発揮されるのは、「iPhone 狂想曲」に限ったことではない。

  日本のメディアのそうした視点は、「ソト」が実は「ウチ」つまり日本がそもそも、開発したものである、という事実が明らかになったときに、動揺をきたして対応ができない。

  アップルとサムスンのスマートフォンをめぐる訴訟合戦のなかで、アップルのオリジナリティを否定する証拠として、サムスンが提出した証拠の衝撃である。

  サムスンによれば、iPhoneのデザインの発想は、ソニーが極力ボタンを少なくした携帯電話の開発をしている、という記事が発端だった、とする。アップルはこれをきっかけとして、社内の日本人デザイナーに対して「ソニーが(iPhoneを)作るとしたら、どのようなデザインになるか」と、試作させたとしている。しかも、その試作機にソニーのロゴを入れていた、という。

  日本のメディアはこの事実をどのように「消化」したであろうか。日本メーカーはその当時はモデルにされるほどに優れていたが、いまはすっかりその勢いを失ってしまった、あるいは逆に、日本メーカーも捨てたものではない、というものであった。

 アップルもソニーもまた、「ソト」と「ウチ」という思考の国境線などない、国際企業であることを忘れたかのようであった。

  ピューリツァー賞の受賞者という、ジャーナリストとして高い水準にあるウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ Ⅰ Ⅱ」(井口 耕二訳、講談社)は、日本でもベストセラーになった。

 スティーブ・ジョブズが死を覚悟して、アイザックソンを筆者に選んで、幾度となくインタビューに応じ、しかも、「自分の悪いところも書いてもらいたい」といっさい原稿に口をはさまなかった。

  「ソト」をもって「ウチ」を批判する、日本のメディアの宿痾(しゅくあ・治らない病)を考えるうえで、よい教科書である。

 「スティーブ・ジョブズ」伝が綴る、ジョブズの東洋ことに日本に対する憧れと傾倒ぶりは、その宿命とともに胸を打つ。

  スティーブ・ジョブズは、青年のときにインドに憧れて放浪し、舞い戻ったカリフォルニアで日本の禅僧に出会い、禅に取り組んだ。

 京都はジョブズの愛した町である。死を悟ったジョブズが、家族と最後の旅行先として選んだ町でもある。彼の体調が悪化して、家族はその実現が一時は困難であると考えた。

  ジョブズが起業したばかりのころ、近所にあったソニーショップにいっては、新製品のカタログを繰り返し見たエピソードもある。

  アップルの復活の大きなきっかとなった、iPodの記録媒体として、最小のものを捜し求めていたジョブズに、朗報をもたらしたのは、日本メーカーであった。そのときの興奮ぶりもまた、筆者のアイザックソンはていねいに描いている。

  アップルの製品を貫く、ジョブズのムダをぎりぎりまで省いたシンプルなデザインは、日本文明の簡素をもって尊しとする精神に富んでいるのではないか。

  豪邸に住まず、室内も簡素なものである。どんな家具を入れるかに迷い続けて、ほとんどがらんどうの部屋で撮影された自画像を、ジョブズは愛した。「スティーブ・ジョブズ」伝にも織り込まれている。

  菜食主義を貫き、それが癌の手術後の彼の回復を妨げたのみならず、自然治癒の治療に時間をかけたために、最後の手術の時期が遅れることになったのではないか、とアイザックソンは記している。ひょっとすると、ジョブズはいまも生きていた可能性があるとも読める。

  ある企業について書くならば、その社史と、創業者の伝記を読まなければならないと考える。そこには、国境の「ウチ」と「ソト」を超えた思想がみえてくる。

 それは、アップルを筆頭とする欧米の企業に限らない。日本の企業もしかりである。

  日本の経済ジャーナリズムの成熟を期待したい。      (敬称略)

  Business Journal 新メディア時評

 http://biz-journal.jp/2012/09/post_675.htm

 

 

 

 

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