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東京の未来戦略

2013年1月21日

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東京の未来戦略

 市川宏雄・久保隆行著

 東洋経済新報社

2012年11月22日

 

 世界的な大都市として、東京は20年後に生き残っているのか。日本経済の心臓であるこの都市は、どうなるのか。

  著者のふたりはこれまで、森記念財団・都市戦略研究所をベースとして都市のあり方を提言してきた。理事の市川は明治大学専門職大学院長として、都市政策などの専門家である。同研究所の前研究員である久保は、サムソン物産開発事業部長複合開発本部部長である。

  東京が都市間競争のなかでどのような位置にあるのか、まず知らなければならない。都市戦略研究所は2008年以来、世界の都市ランキングを発表している。

  分析の対象となる6分野は、「経済」「研究・開発」「文化・交流」「居住」「環境」「交通・アクセス」である。統計データやインタビューを通じて、計70の指標を算出し、それらのスコア合計によってランキングをつけている。対象は、アジア・オセアニア13、北米・南米10、欧州・アフリカ17の計40都市である。

  最新の2012年版にかけて、東京は4位の座を守っている。トップ4の顔ぶれは変わっていないが、首位の座が最新版でニューヨークからロンドンに交代した。

  ロンドン、ニューヨーク、パリ、東京の順番である。これらの都市のスコアと、続くシンガポール、ソウル、アムステルダムなどの都市との差は大きい。

  東京の中心から半径60キロメートルの「東京都市圏」についてみると、東京は人口とGDPにおいて、世界最大の都市圏である。

  同研究所の2025年における推定でも、東京都市圏は2008年のトップの座が揺るがない。それぞれの時点における人口は、364万人と356万人、GDPは1兆9810億ドルと1兆4790億ドルである。

  世界史的にも巨大都市東京の存在はあきらかである。ロンドンとニューヨークが17世紀に50万都市であった当時、江戸は80万都市の威容を整えていた。

  「東京の未来戦略」は2035年の時点で、東京が世界の都市間競争に打ち勝って、グローバル都市としての存在を誇るための計画を提言している。その詳細を紹介するとともに、私見を述べる前に、都市とはなにかについて考えてみたい。

  マルクス主義の経済発展史的な視点から考えると、農業社会から商業資本社会に移る過程のなかで都市は成立すると思われる。

 これに対して、東洋史の権威である東京外国語大学名誉教授の岡田英弘氏は、農業があって商業都市ができるという考えは間違いであると説く。

  中国の黄河流域で都市ができるのは、さまざまな民族が物産を交易から始まる。都市ができたあとに、その住民が消費する食糧を生産するために、都市の周囲に農業が勃興する。

 日本の都市もまた、中国の交易船がまず沿岸に碇を下ろして、まずは安全を確保して、土地の種族と交易をはじめることによって、都市ができたのであるという説である。交易が発展する過程で、その地に交易のための都市ができる。

 世界なかで、中国人ほど大量の野菜を食する民族はないので、都市の周囲に農業が開けていく。

  岡田教授の説を下敷きにして、都市としての東京あるいは江戸は、どのような交易によって巨大都市を成立させたのであろうかと考える。

 幕府や諸藩の財政が、コメの生産高や特産物によって決定的だった江戸時代、コメの交易は大坂が中心であった。

 シカゴ取引所など現代の金融取引所が先物を始めるに際して、大坂の米相場の先物を参考にした。江戸と大坂の交易の決済手段として、為替も存在していた。

  岡田説を大胆に敷衍するとしたならば、江戸は「情報」を交易する都市として発展したのではなかったか。

 諸藩はコメの交易については、大坂屋敷を持っていた。幕府のお膝元であり、参勤交代の地である江戸は、列島を統治する「情報」のやりとりをする場所であった。「情報」とは利益なかんずく金融の利鞘をもたらす源である。

 金融機能において、高度に成熟した江戸時代において、情報のるつぼである江戸が世界的な大都市になりえたのは当然であったろう。

  日本は明治維新によって、国民国家の列強の仲間に滑り込んだ。産業革命の潮流にも追いついた。国民国家を建設する司令塔となった東京は、「情報」の交易の場所としての地位を守った。貿易の産物は、当初は絹であったが、工業製品が加わっていく。戦後の高度経済成長もまた、その東京の地位を確固たるものにした。

  「東京の未来戦略」というまさにそのタイトルの課題について考えるとき、農業革命から産業革命から、そして情報革命つまり、トフラーのいう「第三の波」に、日本と東京が洗われていることを認識しなければならないのだろう。

 東京において、交易される「情報」とはなにかということでもある。

 かつては国民国家建設に向けた情報であったろう、工業製品についての情報であった時代もある。

 この議論は、日本あるいは東京がこれから、なにをもって世界に貢献できるか、という課題である。

  「東京の未来戦略」は2035年に向かって進む東京について、4つのシナリオを提示している。シナリオは天気になぞらえている。

 「豪雨シナリオ」

 「長雨シナリオ」

 「曇天シナリオ」

 「青空シナリオ」

  豪雨、長雨、曇天のシナリオは、少子高齢化と都市インフラの改良も、産業の振興も進まない未来を描いている。

  最後のシナリオは、「ここにいると五感が刺激されて心地よい」という言葉で象徴されている。

 「東京が2035年までに『社会構造の変革』をともなう『パラダイムシフト』を実現し……持てる真のポテンシャルを変革の原動力と位置づけることができれば……『世界を牽引する“和”のグローバル都市』へと進化を遂げているにちがいない」

  そのために、「経済・産業」「空間・環境」「生活・社会」の3分野についてそれぞれ、3段階で取り組むべき計45のメニューを提示している。

  「経済・産業」の経済成長の項目では、第1段階として「経済成長を阻害する要素を明確にして徹底的に排除せよ」、第2段階としては「より活発で健全な競争を促して質の高い経済成長を実現せよ」、最終段階は「(高齢者や女性、外国人を含めた多様な)参加率と生産性の高い持続的な経済成長を実現せよ」

  「空間・環境」の都市構造の項目では、「都市構造を柔軟に変化させよ」から「都心部への集中投資を促し都市構造モデルを構築せよ」の段階を経て、「リアルとバーチャルが融合した環境負荷の低い21世紀型の都市構造へと移行せよ」となる。

  「生活・社会」の文化・価値観の項目では、「異なる文化や価値観に対する許容範囲をひろげよ」から「海外からの来訪者に向けて日本的な価値観を正しく伝え、理解と共有を深めよ」、そして最後に「余暇を拡大させてより新しい文化や価値観への接触機会を増やせ」である。

 さらに、「東京の未来戦略」は、こうした「青空シナリオ」に向けた、具体的な「ブレイクスルー・プロジェクト」を提言している。

 成田と羽田空港とを時間距離を短縮して結ぶ「成羽線」であり、都内4地域計2530ヘクタールに未来都市のモデルを建設することであり、すでに計画が立案されている「アジアヘッドクォーター特区」の実現である。この特区には、世界的な企業500社を5年計画で誘致する計画である。

 そして、首都圏の電力をまかなう「東京天然ガスプロジェクト」と、2020年の東京五輪招致、首都高速道路を活用した都市計画も。

 提言が実現すれば、東京はポスト工業社会つまり情報革命後の都市の器を作ることができるのは間違いないだろう。

 そのときに、東京が交易する情報あるいは知恵とはいったいなんなのだろうか。東京が世界に貢献する知識とはなにか。

 「ポスト資本主義時代」に、東京はいったいなにをなすべきなのだろうか。  (了)

 

 

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