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復興計画は起業家精神から

2012年5月24日

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 「鎮魂と追悼の誠を捧げて」と題された記録集を読んだ。北海道・東北地域で葬儀場を経営している清月記(本社・仙台市、菅原裕典社長)が、東日本大震災直後の活動をまとめた。業界団体の役員だった社長の菅原氏は、自治体の窓口となる本部長に就任し、遺体収容と埋葬の指揮をとった。

 業界では、菅原氏は異色の起業家である。少年時代に葬儀業を営む親戚の手伝いをした経験から、これまでにない葬儀社を作ろうと、昭和60(1985)年に起業した。故人の好みに合わせた通夜の料理や香典返し、ネットの中継によって遠方の縁者に葬儀をみてもらう。

 あの3月一杯で、社員250人が中心となって、宮城県内の遺体6000体以上を納棺した。火葬場の停止などから、土中に棺をそのまま埋める「仮埋葬」も手掛けた。遺族の要請でその後、棺を掘り起こして火葬し、寺に埋葬する仕事も引き受けた。

 生活用品を製造、販売する業態をつくったアイリスオオヤマ(本社・仙台市)の社長の大山健太郎氏もまた、起業家である。先代の工業所を昭和46(1971)年に株式会社化し、本拠地を関西から宮城県に移して成長した。

 千葉・幕張の展示場で、大地震に遭遇した大山氏は、主力工場に2日間かけてたどり着いた。「事業の継続が地域のためになる」とすぐさま社員に指示した。県内にあるホームセンター14店舗に工場から社員を派遣するとともに、営業開始を1時間早めた。停電の店は外に商品を並べた。主力工場はわずか13日後に生産を再開した。

 大震災後の震災地の復興の担い手は、起業家精神をもった経営者たちである。新しい産業を作らんとする熱い魂を持った彼らは、予測しなかったリスクを乗り越える。

 大震災復興特別区域法――震災地にさまざまな産業の特区を作り、税制や融資の優遇策を講じて、新規産業を起こして復興につなげる。復興庁の核となる政策である。

   宮城県と仙台市を含む県内17市町村が4月下旬、出先である宮城復興局に対して、IT産業向けの民間投資促進特区を申請した。

 復興庁は、震災の被害が少ない仙台市の中心部が含まれていることに難色をしめしている。仙台市を抜きにして、企業誘致は難しいというのが、宮城県の立場である。

 高度成長経済時代に青春時代を過ごした筆者には、どこかでみた光景である。昭和36(1964)年、全国15都市が指定された「新産業都市」(新産都市)である。

 復興特区の申請は4月中旬現在で、宮城県内が6件、岩手2件、青森、福島、茨城各1件の計11件である。新産都市の指定をめぐる誘致合戦は、旧通産省が調整した。復興庁には経済産業省の出向者がいる。復興特区は、新産都市の古いレコードだ。

 ポスト大震災は、ドラッカーのいう「ポスト資本主義」の時代である。資本と労働力が、起業に果たす比重は小さい。知識すなわち起業家精神が重要な時代なのである。

 そして、被災地には立派な起業家が存在する。机上のプラン作りよりも彼らの声を聴け。

   (2012年5月24日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

 

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