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「東北」は勝つ 心配しないで

2012年5月21日

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 東日本大震災から4ヶ月余り経った昨年7月、北東北の山間の小さな町で開かれた勉強会に招かれた。半導体関係の工場の下請けだという経営者が質問する。 「親会社の人が来年(今年)春、アップルがiPad3を発売らしい、というが本当か」と。

 筆者が当時、ソフトバンクの子会社の役員と知ってのことだ。答えは明確で、「知る由もない」。アップルの秘密主義は徹底している。新製品は、消費者に驚きをもって迎えられなければならない。

 新型のiPadが発売されたのは、3月16日。あの経営者の情報は正しかった。

 東日本大震災によって、東北の先端工場が被災したことによって、自動車や航空機、スマートフォンなどの生産に大きく影響が出た。ゼネラル・モーターズ(GM)の工場が一時、休止に追い込まれた。世界の生産の多くを担っていた、半導体の基盤シリコンウェハーも。

   会津地方で育った筆者は、大学時代まで東北で過ごした。雪に閉ざされて、働き場がない年上の従妹たちが、信州の精密工場に出稼ぎにいったのは、そう遠くはない1970年代のことである。

 「東北」をはじめとする地方が、変化を遂げようとしていること知るのは、バブル経済崩壊後の90年代初めだった。

 新聞記者として社会人の一歩を踏み出し、当時は報道・評論雑誌の編集部にいた。投機の熱狂が失速したとき、もうひとつの日本がみえた。

 取材メモを括ってみる。日産自動車九州工場(福岡県苅田町)は増設工事によって、92年春には日産最大の工場になろうとしていた。トヨタ自動車が本拠地の愛知県以外では、国内で初めて進出するトヨタ自動車九州(同県宮田町)の操業が始まる直前だった。

 半導体組み立て工場などの「先端技術型」の新設工場の地方別進出件数は、84年に東北が関東を抜いて首位に立ち、90年まで7年連続してその座を守っていた。

 巨大津波が襲った三陸沿岸から内陸部に目を転じれば、宮城県北部から岩手県南部にかけて、自動車生産基地がその姿を現そうとしている。  トヨタ自動車の最新鋭車種である、小型のハイブリッド車「アクア」は今年1月、関東自動車工業岩手工場(関自工・岩手県金ヶ崎町)で生産が開始された。関自工とセントラル自動車(宮城県大衡村)、トヨタ自動車東北(同大和町)が7月に統合して、トヨタ自動車東日本となる。  バブル崩壊後から着々と形成されてきた、先端部品の工場群が基盤となっていることはいうまでもない。

 ニューヨークはアメリカではない、といわれる。それにならっていえば、東京は日本でない。 「失われた20年」は、東京の視点ではなかったか。 グローバル時代は、国家間の競争であると同時に、国境を越えた地域間の競争である。「東北」は、アジアにそして、中国にその先端部品の供給において、負けなかったのではなかったか。

 震災地を励まそうと歌われるポップスのなかで、「あなたの夢をあきらめないで」と「愛は勝つ」がある。ふたつの曲のサビの部分を足し合わせていうならば、「東北は勝つ、心配しないで」と。

    (2012年4月6日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

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