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「日経ファイ―スト」の真相 (完)

2016年9月24日

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ELNEOS  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 経営情報について、企業がメディアのなかで日本経済新聞の報道を優先するつまり、内容のあらましを予め日経の記者にリークする――「日経ファースト」について考えてきた。

 ソフトバンクグループが今夏に英国の半導体設計専門会社のアーム・ホールディングを約三兆三〇〇〇億円で買収した案件において、世界の経済専門紙を代表する、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)とフィナンシャル・タイムズ(FT)が「ファースト」であった。

「日経ファースト」もそうであるが、「ファースト」か、どうかの判断材料はふたつある。それらの「特ダネ」の内容が詳細にわたっているかどうか、そして報道された直後にトップによる記者会見があるかどうか、である。アーム買収の記事はいずれの条件も満たした。

 ところで、「特ダネ」に訂正なし、とメディア界ではいう。独自の取材で足を使って集めた材料をいったん眺めて、これで書ける、という判断はおおざっぱにいって全体像の六割程度がわかった時点である。

 さらに分かりやすく表現すると、「誰が」「何をするのか」さえ、正確に確認できていればよい。文章には5W1Hが必要だといわれるが、特ダネに完璧を求めることは時機を逸する。つまり、他社に出し抜かれるか、当事者に発表されてしまう。

したがって、確実なデータしか書かないので、訂正はほとんどないのである。

 逆に「ベタ記事」に訂正あり、という。発表モノの記事は完全なデータの資料があるので、確認を怠ることによって訂正を出すことが多い。

「日経ファースト」について、これまでその是非を論じてこなかった。

 それは新聞記者時代に「日経ファースト」に対して、率直なところ怒りを感じたことがなかったことが大きな要因である。

 経済専門紙として日経の手厚い取材陣に対して、いかに独自のニュースのフィールドを切り拓いていくことに精力を傾けた方が生産的だと考えていたからだ。

 しかも、「日経ファースト」の記事は、一般紙が追いかけて報道するにはさほど大きな案件でないことが多かったからでもある。

 広報パーソンの立場に立って考えると、「日経ファースト」には企業にとってふたつの危険性が伴う。

 ひとつは、筆者そうであったように「日経ファースト」に“鈍感”な記者ばかりでないので、企業に対する反発心が記者のなかに澱のように沈殿していく。それが企業危機に陥った際に爆発する可能性を否定できない。

 さらに、「日経ファースト」の案件は、他社が無視するか、追いかけても小さな扱いにしかならない。

 消費者に伝えたい新製品や、新しいサービスならば、一般紙やテレビなどにも公平に報道してもらうのがいいだろう。もちろん最近ではネットメディアの影響力も無視できない。

 企業の大きな経営判断の際に、トップインタビューの「日経ファースト」も目立つ。これも欧米の企業がやるように、多数のメディアが同時に参加できる、電話インタビューが望ましいのではないか。

         (この項了)

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