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ELNEOS 1月号寄稿

ジャーナリズムの伝統を堅持しながら「デジタル」で産業化の道をひた走る

 英国中央銀行の正面に向かう大通りから、路地を入ったビルの壁に、大判の雑誌を開いたほどの小さな記念板がはめ込まれている。

「ここにロンドン初のコーヒーハウスがあった」と。オープンしたのは一六五二年、そして創業者の名前がある。当時勃興した商業的な新聞や出版物を手にした人々が集まって議論の花が咲いた。民主主義やメディア史のなかで特筆されている。

 ときは、チャールズ王の専制に対して、オリヴァ・クロムウェルが率いた軍が一六四九年に暴君を処刑してピューリタン革命がなり、共和制が実現した(『イギリス史10講』・近藤和彦著)。さらに王制復古を経て、名誉革命に向かう時代だった。英国の長期変動の大きな要因として、近藤氏は言論の自由と「紙」の戦いがあると指摘している。

ノールウェーはデジタル部門の最も進んだ地域

 現在まで継続して発行されている、最古の新聞は、スウェーデンの「Post-och Inrikes Tidningar(スウェーデン語)」である。英文から重訳すると「ポスト・&・国内タイムズ」。一六五四年にクリスチーナ女王が創刊した。一九〇〇年代に入って商業新聞との競争に敗れて、官報としての存在となり、〇七年からはネット版に転換した。

 スウェーデンの新聞界が誇るのは、言論の自由において、法律に加えて倫理規定を世界で初めて、一九一六年に制定したことである。

 英国とノールウェー、スウェーデンの北欧のメディアは民主主義の基盤であるジャーナリズムの伝統を堅持しながら、デジタル時代の産業化の道をひた走っている。パソコンとタブレット型端末、スマートフォンによる「マルチ・デバイス」が、揺籃である。

 ロンドンから北海を空路で越えて、ノールウェーの首都オスロへ。初青空に浮かぶ雲は、地表に近い。上空の冷たい大気が下りてきているためだろうか。ノールウェーが生んだ画家のエドヴェルト・ムンクの絵画について「ノルディック・メランコリー」と呼ばれるのがわかる。冷気を帯びた青は憂愁である。

 王宮に続く大通り沿いのビル街の一角に、ノールウェーの三大メディアグループの筆頭である、「シブステッド」(Shibsted)傘下の「ヴェルデンス・ガング」(通称・VG、Verdens Gang)の本社がある。

欧米のメディア界は、ノールウェーはデジタル部門の最も進んだ地域とみなしている。市場としては人口約五〇〇万人と小さいが、小回りの利いた新しい試みは、自らも進むべき道だと考えているからである。

 VGはノールウェー最大の部数を誇るタブロイド紙。一九九五年にオンラインサービスを開始した。一二年にはモバイル版も。

 一五年には、「マルチ・デバイス」向けと「紙」の合計読者数は、一日当たり二四〇万人になった。「紙」の読者のみなら約一一万部に過ぎない。ピーク時の一九九三年には約三七万部を超えていた。

健全なジャーナリズムと商業主義の組み合わせ

 デジタル部門の読者数を増大させた大きな要因は、画像と映像のサイトである。

世界新聞・ニュース発行者協会(WAN❘IFRA)が毎年表彰している「デジタル・アオード」において、読者とのつながりを深める部門で、一五年に最高賞に表彰された、ファッションサイト「MINMОTE」。会員になると、女性向けのファッションの画像や動画をクリックすると、ファッション・メーカーのサイトに飛んで購購入できる。

このサイトの在り方は、画像や映像が企業から提供されたものである。世界的に論議されている、企業が作った「ネイティブ広告」と、ジャーナリズムが抵触するのではないか、という問題を呼び起こした。

これに対して、VGは企業から提供されていることを明確に表示することで対処した。さらに、読者のブログによって、商品の品質などについて評価を明らかにしている。

 サイトの運営にあたっているのは、女性三人とこれに関した映像部門に二人の計五人がかかわっている。これに対して、一日当たりの訪問者は延べ二十万人から三十万人に及ぶ。

 VGは、このサイトを新聞社のニュースの「母船」から「健全なジャーナリズムと商業主義の最もよい組み合わせを取り出した」としている。

 ノールウェーのタブロイド紙で部数第二の「ダーグブラーデット」(Dagbladet)もまた、「紙」の部数はピークの一九九四年の約二二万部から一五年には約七万部まで落ちている。

 WAN❘IFRAの一四年のデジタル・アオードで、データ・ジャーナリズム部門で最高賞を獲得したのが「Null CTRL(意訳・コントロールキーなき世界)」プロジェクト。調査報道にデジタルを応用するのが、デジタル・ジャーナリズムである。

 このプロジェクトの意図を端的に表現している、サイト及び紙面の大見出しは、こういっている。

「あなたはどのようにして、オンライン上で曝(さら)されているか?」

 プロジェクトのチームはたった二人の記者である。ノールウェー国内のオンライン上にある、約二〇〇〇カ所のカメラがなんらのパスワードもかけられていない状態であることを発見する。家庭やナイトクラブ、店舗、レストランの人々の動きが丸見えなのである。

 さらに、約二五〇〇カ所のインターネットにつながっている、コントロールシステムが極めて簡単か、あるいはまったく侵入に対して無防備であった。このうち約五〇〇カ所は工場や重要なインフラのシステムだった。

 こうした事実を紙面で報道するとともに、ウエブのイトでオンラインのカメラに映し出される映像などをアップしていった。英語のサイトもある。取材は現在も進行している。

一番読まれる記事配信をグラフで示す装置で判断

 オスロから長距離バスと深夜特急を乗り継いで、スウェーデンの首都ストックホルムを目指した。バスの車窓からは森と湖の風景が流れ、広々とした牧草地が広がる。村上春樹の小説『ノールウェーの森』は、ザ・ビートルズの同名の名曲が通奏低音になっている。

 バルト海に浮かぶストックホルムは一四の島から成る。ノーベル賞の受賞晩さん会は市庁舎の「青の間」で催される。

 庁舎に近いビルのなかに、ノールウェーが本拠のシブステッドのスウェーデン本社がある。このビルの一つのフロアを占める「オムニ」(OMNI)は、スマートフォン向けのニュース・キューレーションのアプリケーションとサイトで、世界的に先進的な成功を収めた事例として、欧米のメディアの見学者が絶えない。キューレーションとは、ニュースをさまざまな媒体から選別、編集して読者に提供する仕組みである。

 スウェーデンの人口が約一〇〇〇万人であるのに対して、オムニのアプリケーションをダウンロードしている人数は六〇〇万人。

 創業者のひとりである、マークス・グスタフソンさんは、シンガポールの英字紙でジャーナリスト人生を始めた。ロンドンなどを経て故国に戻って、米国のハフィントン・ポストの創業者らの出資を仰いで、サービスを始めたのは一三年のことである。

 スウェーデンでスマートフォンを含む携帯サイトにおいて、読者の位置情報を利用して的確な広告を打つ戦略を進めていた、シブステッドの傘下に入ることで、事業の発展を期した。

「ニュースに四六時中接していたい、ニュース・ジャンキー(news junkie )を狙った。彼らは高学歴で高収入かつ好奇心が旺盛である」と、グスタフソンさんは語る。

 オムニのキューレーションの対象となるメディアは、親会社の新聞のみならず、英国の公共放送BBCや「ザ・ガーディアン」(The Guardian)など、約一〇〇にも及ぶ。

 編集体制は昼間が三人程度、夜間が二人程度。いずれも記者や編集者の経験者である。キューレーションしたニュースのサマリーをスウェーデン語でつけて配信する。

 ニュースの更新頻度が極めて高い。世界的なニュースの発生の具合にもよるが、五分あるいは一〇分置きも珍しくはない。

「小さなニュースルーム」とグスタフソンさんが呼ぶ、編集室の「企業機密で撮影禁止」は、どんな記事が一番読まれて、それがどの程度の時間を置いて読者数が下がっていくかをグラフで表示する装置。編集者たちはキューレーションをする目の前のPCの画面をみるとともに、常にこの装置が示すグラフに注意を払いながら更新作業をしている。

 オムニは基本的には無料モデルつまり広告収入が収益の柱である。プレミアム会員として、シブステッド傘下の新聞記事を読める有料会員の制度もある。

 シブステッドの一五年の売上高一五一億一七〇〇万ノールウェー㌛のうち、デジタル収入は前年より二割近く増え、全体の約三七%の五六億四〇〇〇万ノールウェー㌛である。

「マルチ・デバイス」の時代をチャンスとみて、起業する「メディア・スタートアップ(Media startup)」の胎動が起きているのである。スウェーデンの南部のカルマル市で地方ニュースをオンラインで配信する「ジャーナリスティク 24」(Journalistik 24)も創刊した。テキストのニュースだけではなく、映像ニュースもある。

ポッドキャストで音声投稿サイトを構築

 もう一度、英国に戻ろう。英国におけるスマートフォン時代の激変ぶりといったらどうか。「マルチ・デバイス」のビッグ・バンともいっていい。ネットメディアの一五年の年間ページビューは八〇億で、そのうち約四七%の三八億はスマートフォンを含むモバイルによる。しかも、モバイル経由は前年に比べて九〇%も増加した。

 一六年春に「紙」を廃刊した、高級紙の「ザ・インディペンデント」(The Independent)はデジタル空間のなかで蘇った。継続したネット版の一日当たりの延べ読者数は、「紙」時代の六六〇万人から三・二倍の二一二〇万人になったと推定されている。

 観光名所であるロンドン塔からテムズ川を渡って一〇分ほど歩いた、小さな三階建てのビルのなかに「オーディオブーム」(oudioBoom)はある。編集しているのは記事ではなくて、音声である。ポオッドキャスト(Podcast)によって、投稿された、記者会見や政治・経済の解説などを配信する。

 英国の公共放送の「チャンネル4」で働いていたメンバーが五年前に立ち上げた「メディア・スタートアップ」である。

 オーディオブームのスマートフォン向けのアプリケーションを立ち上げると、音声をアップすると同時にテキストで内容を書き込むことができる。利用者は五〇万人に近い。アップされた音声は、BBCなどのメディアやジャーナリストが引用の形で利用する。投稿者は利用料の三〇%を得る。

 創業者のひとりで国際担当のルース・フィッツサイモンさんは「ロンドン、メルボルン、ニューヨークの現在の拠点から、英語圏への進出を拡大したい」という。インタビュー時点で候補としてあげていた、インドのムンバイにはすでに事務所を構えている。

 ポッドキャストは新しい技術とはいえない。世界のラジオ局が、聞き逃した番組を聴取できる仕組みとして利用している。「いつでも、どこでも」使えるスマートフォンによる、音声投稿サイトを構築したところが新しい。

 日本のメディアことに新聞界は、デジタルによる「産業化」という言葉に対して拒絶反応が強いようにみえる。ジャーナリズムの旗を掲げることと、産業化は二律背反するものではない。

「メディア・スタートアップ」の流れも,ようやく日本に打ち寄せてきた。大手新聞社や雑誌社からスピンアウトしてネットメディアにかける人々の成否は、時の砂が落ちるのを、もうしばらく待たなければならないのか。                   (完)

 

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

 東京・銀座の歌舞伎座の近くに、「スワン・ベーカリー」銀座店はある。パイ地を生かしたレモンのパンを買って食べた。以前住んでいた地域にあった、チェーン店の懐かしい味である。

 宅急便を創業した、ヤマト運輸の故・小倉昌男氏が私財を投じたヤマト福祉財団が、障害者に働く場を作ろうと、銀座に第1号店を開店したのは1998年6月。いまでは、ベーカリーばかりではなく、カフェの業態も加わって全国で29店にもなる。小倉氏は障害者に月額10万円の支給する目標を成し遂げた。各地の作業所が月額1万円だった常識を打ち破った。

 小倉氏が社長時代に、景況に関するインタビューで数回会ったことがある。宅急便の創業に当たって、運輸業の免許などを巡って中央官庁に訴訟を起こすなど、戦う経営者のイメージとは異なって、学者然とした丁寧な物腰に驚いたものだった。

 ノンフィクション作家の森健氏は、最新刊の「小倉昌男 祈りと経営」(小学館ノンフィクション大賞)によって、小倉氏の内面を描いて、表面的な経営者としてではなく、人間としての相貌を描いた。小倉氏は妻と同じカトリックに改宗して、深い信仰の世界に入った。会長を退任後、障害者の支援に没頭する。こうした背景に、小倉氏が家庭的な悩みを抱えていたことを、森氏は明らかにする。妻は自死したと考えられ、娘は長らく精神疾患に苦しんでいた。

 ガンを患い、最期を悟った小倉氏は、精神疾患が完治した娘の家族と暮らすために、ロスアンゼルスに向かう。

 銀座の街は、創業者の思いが残された場所である。ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、社長を退任後、この地の古いビルに事務所を構えた。私財を投じて、若手の工学研究者に奨学金を支給する「財団法人作行会」や、科学技術の振興の「ブレーン・サイエンス財団」などの活動を続けた。

 ランドマークである、ソニービルはいうまでもない。開業から半世紀を経て、来年春には解体作業が始まり22年に新ビルが完成する。これに合わせて、当初からのショールームは来月、近くの新築のビルに移転する。創業者の井深大氏が、幼児教育に精魂を込めた理由は娘の知的障害であったことは知られている。

 小倉氏がそうであったように、本田氏も井深氏も最期は静かなものであった。

 創業者たちの去就をめぐって、さまざまな出来事があった。ソフトバンクグループの孫正義代表は、いったんはトップの座を譲ろうと考えたが翻意した。日本のコンビニエンスストアの創業者である、鈴木敏文氏はトップの座を追われた。大塚家具やロッテの「お家騒動」は記憶に新しい。

 「死の直前に走馬灯のようにめぐる自分の人生に、満足できるように生きていこう」と、孫氏が幹部たちに語っていたこと思い出す。創業者とは、人生の終着点まで生き抜く気概を持った人々である。

 

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 エルネオス 田部康喜 「広報マンの攻防」 寄稿

   ネット・メディアに対して、どのように臨むのかは、広報パーソンにとって課題となって久しい。

 インターネットの先端企業の広報室長に就任した十数年前、ネット・メディアの若手記者が大手新聞社から転職した経歴の持ち主であることを知ったときには、いささか驚いた。それもひとりではなかった。

 彼らが書いている記事の影響力については、部下たちから学んだ。一般的な新聞は若者たちの読み物ではなかったのである。

 時代はさらに進んでいる。「キューレーション・サイト」と呼ばれるネット・メディアの「グノシー」はいまや上場企業である。「キューレーション」とは、博物館や美術館の学芸員が展示物を目利きするように、ニュースを集めてみせる、意味である。

 大手新聞や雑誌の記者や編集者から、こうしたネット・メディアへの転職の流れは強まる一方である。この分野の起業の動きもある。

 ネット・メディアの真贋(しんがん)を見極める方法はあるのか。ネット・メディアの質に関する重大な事件が起きた。

 IT業界大手のDNAが運営する「キューレーション・サイト」が閉鎖に追い込まれた。最初に問題になったのは、健康サイトの「WELQ」サイトだった。医療情報に関して、専門家の点検を受けずに、誤った記事が掲載されたのである。最終的には旅行に関するサイトなど、計九サイトが閉じた。

 これを発端にして、リクルートホールディングスもアニメに関するサイトなど、計四サイトのほとんどの記事を、サイバーエージェントも同様の措置を取った。

 こうしたまとめサイトの記事がどのように作られていたのか。ネットに詳しい、個人投資家・作家の山本一郎氏の論考はメディア業界全体にも衝撃を与えた。

「リライトツール」と呼ばれるソフトが、元凶である、と山本氏は指摘している。ネット上で一万五〇〇〇円から四万円で売られているという。

 このツールが要求する基準によって、ネット上の情報を入れ込むと、自動的に何種類ものリライトした原稿ができる、というのである。

 さらに、山本氏は「これらのシステムを転がすだけでは……マウスをポチポチやらないといけません。なので、コピペとリライト作業をもっと効率的にするために『お目当てのキーワードを入れるだけでネットから品質の高い記事をコピーしてきてリライトソフトにぶち込んでくれるBОT』が出回ることになります」という。BОTとはロボットである。

 山本氏によると、こうしたBОTとリライトソフトの組み合わせで、一日二時間サーバーを稼働させるだけで、約二〇〇〇字数の記事が三〇〇本できるという。

 既存のメディアの世界でも「ロボット・ジャーナリズム」は最近の論点である。AP通信が企業の決算報道に当たって、単なる決算単身はロボットに任せ、記者は深い分析記事を書く体制を整えつつある。

 広報パーソンが向き合うのは、血が通った記者ではなく、BОTである時代である。

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東日本国際大学・地域戦略研究所 紀要(抄録) 財界ふくしま2016年11月号

「いわき」から日本の企業のCSR(企業の社会的責任)活動が変わる―いわき発のベンチャー支援を絡めた論考―

 研究所副所長兼客員教授・一般社団法人麻布調査研究機構代表理事

 田部康喜

  東日本大震災後の企業のCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)活動は、被災地に対する単なる寄付ではなく、新しい持続的な産業を育てる方向に大きく変化している。キリンビールグループによる「キリン絆プロジェクト」は、持続的な農林水産業を育てる基本的な戦略を立てている。地元の特産物を掘り起こして、市場にどのような手法で投入すれば売れるのか、マーケティングの側面のノウハウを支援する。福島県産の梨を原料にした自社製品の飲料なども開発した。

 三菱商事復興支援財団は、郡山市でワイナリー設立を支援して、今春ロゼのスパークリングワインとシードルの初出荷にこぎつけた。三菱商事はぶとう栽培のボランティアに従業員を派遣した。CSRの対象の持続性に注目した活動として米国ではCSV(Creating Shared Value)という新概念が提唱されている。

 ■「1×2×3=6次産業」の発展

  「6次産業」の基本的な定義は、「1次産業としての農林漁業と2次産業としての製造業、3次産業としての小売業等の事業を総合的かつ一体的に推進を図り、地域資源を活用した新たな付加価値を生み出す取り組み」(小林茂典『農産物流技術研究会年報』所収「6次産業化と流通システム」、二〇一四年)とされている。さらに、小林は具体的な「6次産業」の中身について「1、2、3次産業の連携によるバリューチェーンの構築を通じた農林水産物・食品の付加価値の向上」と、「農林水産業者が、加工や販売のノウハウを持つ2次・3次産業の事業者との連携等を図る」と表現している。1次産業×2次産業×3次産業=6次産業という方向性を打ち出したものである。

 「6次産業」にとって必要な要素は、民間の自主的あるいは自律的な起業に近い発想であり、「マネジメント」の観点が重要である。農林水産業を、地域のなかで「6次産業」によって成し遂げようとしている人々には、社会と個人に貢献しようとする「使命」の概念がある。

 ■グローカルな起業

  「いわき6次化協議会」は二〇一五年二月に正式に発足した。ファーム白石代表の白石長利さんが代表を務め、十三人で構成されている。

 スタートアップ資金の提供は「キリン絆プロジェクト」である。この支援事業は、岩手、宮城、福島の被災地に対して、地域の食文化と食産業の復興支援、子ども健康の維持などに対する支援、サッカーや祭りを通じた支援の三本柱で資金を投じた。支援先の選考では、企業のマネジメントつまり「使命」と、それが地域や個人に貢献するかどうか、資金提供に終わらずに事業が継続性を持っているかどうかの判断をしている。「民」の事業に「民」による支援が欠かせないのは、支援する側に回る「民」がマネジメントの概念を持っているからである。

 「いわき6次化協議会」には六千万円が援助された。この資金をもとに協議会は、小規模で量産(小ロット)ができる製造装置を購入してラボ(実験装置)と名付け、商品開発に取り組み始めた。白石さんは「小ロットで多品種の商品を開発して試験販売をしながら、売れ行きがよい商品は外部に委託して生産してもらえばいい」と語る。

 白石さんは、ラボの特性を生かして「ミニトマトのオリーブ漬」の商品化に成功し、ネット販売に乗り出した。地域の農産物を掘り起こして製品化する方向性が第一である。

 「6次産業」の商品の市場性は、商品の質つまり味覚や風味といった数値化がなかなか難しい壁をどう突破するかにかかっている。協議会でその役割を担っているメンバーが、地元で「Hagi フランス料理店」を経営する萩春朋氏である。協議会の商品第一号ともいえる、白石代表の生産物を使い、萩氏が監修した「シェフのトマトハンバーグ」弁当が、二〇一五年十一月に東京駅で販売された。「グローバル」と「ローカル」を合わせた造語である「グローカル」こそ、「6次産業」の将来のありかたの行方を示しているといえるだろう。

 ■NPO主導の地域起こし

  被災者支援をした地元NPOが、農業に乗り出す動きが出ている。震災後の耕作放棄地を放置しておいてはいけないのではないか、という地域の人々による気づきである。

 「いわきおてんとSUN企業組合」は二〇一三年二月に法人格をもって設立された。事業は四分野からなる。第一は、農作放棄地で有機栽培の綿を収穫してタオルなどの製品化を行う「福島オーガニックコットン」、第二は、太陽光発電を行う「いわきコミュニティ電力」、第三は、自然エネルギーを体験できるソーラを実装した特別自動車を使って各地で太陽光パネルの手作り教室などを開く「いわき自然エネルギー学校」、第四は、原発事故後に警戒区域となった富岡町や楢葉町などの視察や、先の三事業を体験できる「いわきスタディツアー」である。

 企業組合代表理事を務める吉田恵美子さんは一九九〇年十二月にNPOザ・ピープルの設立に参加した。ザ・ピープルは、震災が起きて5日後に、古着を被災者に届ける救援活動に入る。さらに「風評被害」によって農産物が売れなくなった状況をみて、首都圏で販売する活動も行った。そうしたなかでNPOの「JKSK(女性の活力を社会の活力に)」と交流が始まり、この縁で、オーガニックコットンの輸入や製品化にかかわってきた株式会社アバンティの渡邉智恵子さんと知り合う。

 吉田さんはオーガニックコットンに地域起こしの力をかけてみようかと考えるようになり、震災の翌年から事業に着手した。企業組合は、生産と商品の企画・販売を手掛けている。ブランドは、自分たちで考えた「ふくしま潮目」。いわき地域の豊かな自然のなかで暖流と寒流がぶつかり合う潮目、次にたくさんの人が集まる集合体の意味、そして、社会と時代を変える転換点の三つの意味が込められている。

 ■異業種から農業へ

  地域や個人に貢献することを「使命」とする経営者が、異業種である農業分野に進出することは新規性を感じさせる。しかし「マネジメント」の実践として考えるならば、建設業であろうが、農業法人であろうが、NPOであろうが、担い手の資格は十分である。

 農業法人「株式会社いわき遠野らぱん」の代表取締役・平子佳廣さんはもともと建設現場の鉄筋業の社長だった。公共事業削減が続いて売上高が減少し、異業種進出を考えた。地元農家を誘って農業法人を立ち上げたのである。

 「6次産業」が製品の製造に成功して立ち上がるときに壁になるブランディングと新規の販路の開拓に「マネジメント」の経験者である平子さんの知恵が生きている。最初に取り組んだのは地元のジネンジョ(トロロイモ)である。「山の神」というブランドをつけて、地元の杉材で長さ一㍍の木箱を作り、地元産の和紙で包んだ。価格は一本あたり一万円。日本橋の高島屋の外商部門に販売を委託すると、初年度三百本が完売した。その後三年ぐらいはこのペースで出荷したが、このサイズの供給が間に合わなくなった。そこで、ジネンジョを原材料に焼酎づくりに乗り出す。仲間と考えたブランドは「百千歳」。これも一本一万円で売り出すと三千百五十本が完売した。

 「ブランディングも難しいが、価格を決めるのも難しい。首都圏の高額所得層は、良いものなら高くても買うことを知った」と、平子さんは語る。

 ブランディングには「物語」が必要であることも、平子さんの口から普通の言葉のようについて出る。「コト消費」の時代だといわれる。買い物をするにしても、そのモノに物語がなければならない、というのが、日本のマーケティングの世界では常識になっている。

 ■地域金融の支援体制

  日本の金融界の再編は今、地方銀行に及んでいる。地方銀行トップである横浜銀行と、首都圏に店舗網を敷く東日本銀行は二〇一六年春をもって経営統合した。このような地域金融の担い手である地方銀行の再編は、地域において金融機能の役割が低下するという見方もある。

 その意味では、「6次産業」のような起業あるいはスモールビジネスの資金需要に応えているとは言えない。そこで、地銀や旧相互銀行である第二地方銀行が、信金を提供してファンドを組成し、ベンチャーキャピタルにその運営を任せる形が増えてきている。中小零細企業を顧客とする信用組合が、起業やスモールビジネスの支援のための子会社を設立して、自らの責任においてリスクマネーの投資に乗り出すケースもある。いわき信用組合が二〇一五年十月に発表した「磐城国地域振興ファンド」は、地域金融の常識を覆すファンドである。ファンドの資金提供は、起業やスモールビジネスに対して、百万円あるいはそれ以下での金額も念頭においている。しかも、経営相談や企業の経営戦略の立案も手助けする。

 「6次産業」のこれまでの論議に欠けているのは、資金の問題、金融論的な側面である。政府や地方自治体による補助金の助成があるゆえに、リスクマネーの観点が見落とされてきたのだと考える。いったん立ち上がって、商品化に成功した段階に至って、在庫リスクと抱えたり、大型の設備投資が必要になったりして、「6次産業」が飛躍するせっかくのチャンスを逃しかねない実態がある。

 いわき信用組合が自らファンドを運用してリスクをとる方式は、全国の信用組合としては先駆けで、業界では既に「いわきモデル」と言われている。

 「6次産業」の育成において、政府・地方自治体は、こうした地域金融のリスクマネーの投入の判断とともに、補助金のありかたを考えるべきではないか。二つの組み合わせがあって、「6次産業」がスタートアップから経営の発展段階に進める可能性が高まってくると考えるからである。

 

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ELNEOS 1月号寄稿

新聞からデジタルへ移行した現場でその成功の足跡をたどってみた

 ロンドンの地下鉄・セントラル線は、市内のビジネス街や観光スポットを東西に貫いている。通勤ラッシュの社内は、新聞とスマートフォンを眺める人がほぼ半々である。

 北海を空路で越えて入国したノルウェーの首都・オスロの市民の足である路面電車に乗ると、新聞を読んでいる人はほとんどいない。

オスロから長距離バスを乗り継いて、国際列車に乗り換えて首都・ストックホルムを目指した。森と湖が点在する風景に牧草地が広がる。深夜の特急列車の乗客たちは寡黙で、若者は手元のスマートフォンをみつめている。

新聞発行部数は2年間で8.5%減少

 英国と北欧のメディアの事情を取材するために、二〇一六年の初秋の九月初旬から中旬にかけて、ロンドンとオスロ、ストックホルムを訪れた。

なぜいま、英国と北欧なのか。日本のメディアはこれまで、米国のメディアの動向に学ぼうとしてきた。ニューヨーク・タイムズ(NYT)やワシントン・ポスト(WP)の課金システムに関心を払い、既存のメディアから飛び出したジャーナリストたちによって成功した、ハフィントンが・ポスト(Huffington Post)や政治サイトのポリティカ(POLITICO)に習ってきた。

デジタルニュースに触れる端末が、PCやタブレットの時代から、スマーフォンの急速な普及によっていま、「マルチ・デバイス(複数の端末)の時代である。こうした視点に立つとき、英国と北欧のメディアがひた走る先駆的な産業化の潮流がみえてくる。

 取材旅行の最初の拠点となった、ロンドン・地下鉄セントラル線のクウィーンズウエイ駅に戻りたい。ロンドンの中心部にある広大なハイド・パークが近い。ジュリア・ロバーツ主演の映画「ノティングヒルの恋人」の舞台である高級住宅街に連なるノッチンガム・ヒル・ゲイトは隣駅である。

 初秋の暖かなに差しを浴びながら出口に向かう乗客たちは、エスカレーターの昇りと下りの境目にある滑り台のようなスペースに新聞を次々と捨てていく。

 通勤客が手にしている新聞は、「メトロ(METRO)」である。創刊が一九九九年の無料紙は二〇〇〇年代半ばには一〇〇万部を超えて、ライバル紙も登場して欧州大陸にも広がった。しかし、ロンドンの朝刊の無料紙はいまでは、「メトロ」一紙となり、夕刊も有料はなくなって無料紙の「イーブニング・スタンダード(Evening Standard)だけになった。

 大衆紙の「ディリー・ミラー(DAILY Mirror)を発行している、トリニティー・ミラー社は今年二月、紙の需要は掘り起こせる、という経営戦略から「ニュー・ディー(New Day)(一部五〇㌺)を創刊したが、売り上げが伸びずにわずか二カ月で廃刊した。

 英国における紙の新聞の「晩鐘」ともいえる出来事だった。新聞発行部数は二〇一四年と二〇一二年を比べると、八・五%も減少している。

 新聞の発行紙数は、それぞれの国の人口や地域の歴史的な成り立ちによって一概に比較はできないが、日本(人口約一億二〇〇〇万人)一〇四紙、英国(約六五〇〇万人)が九六紙、スウェーデン(約一〇〇〇万人)が七九紙、ノルウェー(約五〇〇万人)が七二紙とほぼ同じである。

スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」

 英国の新聞産業は欧米のなかで、際立った特徴を持っている。全国紙が一三紙もある。これに対して、フランスとドイツは九紙、米国は五紙である。

日本の紙数が人口に比較して少ないのは、戦時中の新聞用紙の適正な配給を理由とする言論統制によって、「一県一紙」体制を原則とする統廃合が図られたからである。

 オックスフォード大学のロイター・ジャーナリズム研究所が二〇一六年初めに、日本を含む二六カ国を対象にした調査によると、英国ではニュースを主として読む端末が、二〇一六年に初めて、スマートフォンがPCを上回った。その普及率は、米国、英国、ドイツ、フランス、日本の先進の五か国が四〇%か、ら五〇%の間にある。米国と英国に次いでこのグループでは、日本は第三位である。

 これに対して、全体の調査対象国のなかで、スウェーデンが六九%で第一位、ノルウェーは韓国に次いで六四%の第三位である。ちなみに、第五位にデンマーク(六〇%)、第七位にフィンランド(五九%)の北欧諸国が入っている。

 スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」の先進国のメディア産業が歩んでいる道こそ、日本のメディアが生き残るための選択肢なのである。

 英国の高級紙「ザ・ガーディアン(The Guardian)の本社は、英国の列車が発着する、キングス・クロス駅に近い。ガラスに包まれたような建物は、キングス・プレイス地区のランドマークである。ガーディアンは本社機能と編集局を、ここロンドンのほか、ニューヨークとシドニーにも置いている。

ガーディアングループの二〇一六年の売上高は二億九五〇万㍀で、前年とほぼ同じ水準である。そのうち、四割近くをデジタル部門の収入が占めて下支えしている。

 ガーディアンのデジタル分野での新たなジャーナリズムの挑戦は、元米国国家安全保障(NSA)局員だった、エドワード・スノーデンによって、二〇一二年に持ちだされた国家機密に関する報道だった。「スノーデン」の概要は、米政府が大手電話会社ベライゾンから、数百万人の米国人の電通話記録を得ていたのが第一報だった。

 その後、グーグルやフェイスブックなど大手インターネット企業からも会員の利用状況も手に入れていたり、世界各国の首脳の携帯電話を盗聴していたりしていた事実も明らかにした。

「スノーデン文書」の報道は優れたジャーナリストの存在はもちろんいうまでもない。その活動を助けたのが、スマートフォン向けのアプリケーション「ザ・ガーディアン・ウィットネス(the Guardian Witness)」だった。文書に関する情報を文章ばかりではなく、写真、動画なども含めて、読者が投稿できる。この問題で世界の約五万人がかかわった。そのなかでは、文書の中にあった、トルコとシリアにおける、反政府勢力に対する激しい虐待の事実が裏付けられた。

「スノーデン文書」の報道によって、ピューリッツアー賞を受賞した。読者と一体となって事実を解明していく、ジャーナリズムは、デジタル部門の大きな躍進につながった。ウエブへのアクセス数が毎年三割伸びて、利用者は延べ七億六三〇〇万人になった。一日当たりの平均利用者も延べ五〇〇万人に達した。

読者の好みに応じたニュースを提供

 ガーディアンは二〇一五年初めにウエブのサイトを大幅にリニューアルした。スマートフォンのサイトをみると、利用者にとって「簡便」にみえることに主眼が置かれている。ニュースの項目それぞれが「グレイキング・ニュース」(第一報)なのか、記者のブログなのか、解説記事なのか、あるいは論説、ニュース・ストーリなのかがすぐにわかる。

 リニューアルのキーワードの第一は、「アップデイト(Update)」、すなわち頻繁にサイトをみる読者に対して好みに応じたニュースを提供することであり、第二はそれらの記事についてより掘り下げた記事の「エクステンド(Extend)」と、最後が「ディカバリー(discover)であり、読者に新たな驚きを与えることである。

 こうしたウエブ戦略によって、ウエブの利用者は目標としていた延べ一四億人に達した。そのうち、三分の二が英国以外の利用者で占められている。

 ガーディアンのデジタル部門が、経営の大きな柱に成長した背景には、経営陣がこの部門に長期的な視点で注力してきた歴史がある。

 インターネット時代が到来することを前提として、CEОが米国のシリコンバレーを訪れたのは一九九四年のことである。世界の既存のメディアとしては最も早く、デジタルの重要性を認識した新聞社といわれている。九九年にニュース・サイトを立ち上げ、翌年からデジタル部門の編集長を置いたのである。「デジタル・ファースト」宣言をしたのは二〇一一年のことである。

デジタル部門の成長で人員構成にも変化

 日本の新聞社がデジタル部門に進出した時期は、さほど遅くはない。日本初の新聞社系のサイトは、一九九五年三月に開設された朝日新聞出版局の「オープン・ドア(Open Doors)」である。この年の六月に読売新聞が「ヨミウリ・オンライン(Yomiuri On Line)」を、八月には朝日新聞の「アサヒ・コム」が。同時期に毎日新聞の「ジャム・ジャム(Jam Jam)」も。

 しかし、新聞記事の二次利用的な機能が強く、人事異動などによって一貫したデジタル戦略はこれまで描かれてこなかったといえるだろう。そして、スマートフォンの急速な普及を予測できないままに対応ができず、PC向けのサイトの尻尾を引きずっている。

 英国の高級紙「ザ・インディペンデント(The INDEPENDENT)」は、二〇一六年三月に部数が低迷して廃刊となった。二〇一五年秋にはフロントページに、シリア難民の子どもが波打ち際に横たわっている遺体の写真を掲載して、世界的な反響を呼んだ。

 デジタル版は残った。紙の部数は最終的に二〇万部と切っていたと推定される。スマートフォンによるサイトの定期的な読者数は、紙の時代よりも五割近く増えた。サイトの訪問者数も、紙時代の一日当たり延べ六六〇万人から約三・二倍の延べ二一二〇万人に達した。

 日本経済新聞が買収した「フィナンシャル・タイムズ(FT)」は二〇一六年一〇月初旬、サイトを大幅にリニューアルした。FTは新聞の課金モデルとしては、世界のなかで数少ない成功例である、六〇万人の読者を誇る。

職場や家庭のPC向けから、スマートフォンの普及に対応して、「マルチ・デバイス」で簡便に読めるようにするのが大きな狙いである。スマートフォンの画面でニュースを読むのは、スクロールの時間の短縮にかかっている、とみて従来よりも三秒速くした。さらに、主要な読者がビジネスマンであることから、記事に関するプレゼンテーションンの資料やチャートのデータもみられる。

デジタル部門の成長は、メディアの人員構成の変更にも及んできた。大衆紙「ザ・サン(THE Sun)」は二〇一六年九月、紙の新聞のサブ・エディター(日本の新聞のデスクに当たる)二〇人をデジタル部門に配置転換する方針を明らかにした。ガーディアンは、米国の経営を損益分岐点に引き上げるために、デジタル部門は除いて四〇人を削減する。

英国のウエブサイトのページビュー(読まれた頁数)は、二〇一五年の年間で八〇億である。そのうち、従来の携帯電話とスマートフォンを含む「モバイル」は、五割近い三九億。前年に比べると九〇%も増加している。

英国滞在中の二〇一六年九月九日、「米国新聞協会(Newspaper Association of America )」が、「新聞」の文字を看板からはず形で、「ニュース・メディア連合(NEWS MEDIA ALLIANCE)」と改名した、というニュースに接した。英国の旧新聞協会はすでに、「ニュース・メディア協会(news media association)である。

日本の新聞協会には、NHKをはじめ民放各社の放送会社も会員である。新聞の衣を脱ぎ捨てる時期はすでにきている。

           (次号に続く)

 

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