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東日本国際大学・地域戦略研究所 紀要(抄録) 財界ふくしま2016年11月号

「いわき」から日本の企業のCSR(企業の社会的責任)活動が変わる―いわき発のベンチャー支援を絡めた論考―

 研究所副所長兼客員教授・一般社団法人麻布調査研究機構代表理事

 田部康喜

  東日本大震災後の企業のCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)活動は、被災地に対する単なる寄付ではなく、新しい持続的な産業を育てる方向に大きく変化している。キリンビールグループによる「キリン絆プロジェクト」は、持続的な農林水産業を育てる基本的な戦略を立てている。地元の特産物を掘り起こして、市場にどのような手法で投入すれば売れるのか、マーケティングの側面のノウハウを支援する。福島県産の梨を原料にした自社製品の飲料なども開発した。

 三菱商事復興支援財団は、郡山市でワイナリー設立を支援して、今春ロゼのスパークリングワインとシードルの初出荷にこぎつけた。三菱商事はぶとう栽培のボランティアに従業員を派遣した。CSRの対象の持続性に注目した活動として米国ではCSV(Creating Shared Value)という新概念が提唱されている。

 ■「1×2×3=6次産業」の発展

  「6次産業」の基本的な定義は、「1次産業としての農林漁業と2次産業としての製造業、3次産業としての小売業等の事業を総合的かつ一体的に推進を図り、地域資源を活用した新たな付加価値を生み出す取り組み」(小林茂典『農産物流技術研究会年報』所収「6次産業化と流通システム」、二〇一四年)とされている。さらに、小林は具体的な「6次産業」の中身について「1、2、3次産業の連携によるバリューチェーンの構築を通じた農林水産物・食品の付加価値の向上」と、「農林水産業者が、加工や販売のノウハウを持つ2次・3次産業の事業者との連携等を図る」と表現している。1次産業×2次産業×3次産業=6次産業という方向性を打ち出したものである。

 「6次産業」にとって必要な要素は、民間の自主的あるいは自律的な起業に近い発想であり、「マネジメント」の観点が重要である。農林水産業を、地域のなかで「6次産業」によって成し遂げようとしている人々には、社会と個人に貢献しようとする「使命」の概念がある。

 ■グローカルな起業

  「いわき6次化協議会」は二〇一五年二月に正式に発足した。ファーム白石代表の白石長利さんが代表を務め、十三人で構成されている。

 スタートアップ資金の提供は「キリン絆プロジェクト」である。この支援事業は、岩手、宮城、福島の被災地に対して、地域の食文化と食産業の復興支援、子ども健康の維持などに対する支援、サッカーや祭りを通じた支援の三本柱で資金を投じた。支援先の選考では、企業のマネジメントつまり「使命」と、それが地域や個人に貢献するかどうか、資金提供に終わらずに事業が継続性を持っているかどうかの判断をしている。「民」の事業に「民」による支援が欠かせないのは、支援する側に回る「民」がマネジメントの概念を持っているからである。

 「いわき6次化協議会」には六千万円が援助された。この資金をもとに協議会は、小規模で量産(小ロット)ができる製造装置を購入してラボ(実験装置)と名付け、商品開発に取り組み始めた。白石さんは「小ロットで多品種の商品を開発して試験販売をしながら、売れ行きがよい商品は外部に委託して生産してもらえばいい」と語る。

 白石さんは、ラボの特性を生かして「ミニトマトのオリーブ漬」の商品化に成功し、ネット販売に乗り出した。地域の農産物を掘り起こして製品化する方向性が第一である。

 「6次産業」の商品の市場性は、商品の質つまり味覚や風味といった数値化がなかなか難しい壁をどう突破するかにかかっている。協議会でその役割を担っているメンバーが、地元で「Hagi フランス料理店」を経営する萩春朋氏である。協議会の商品第一号ともいえる、白石代表の生産物を使い、萩氏が監修した「シェフのトマトハンバーグ」弁当が、二〇一五年十一月に東京駅で販売された。「グローバル」と「ローカル」を合わせた造語である「グローカル」こそ、「6次産業」の将来のありかたの行方を示しているといえるだろう。

 ■NPO主導の地域起こし

  被災者支援をした地元NPOが、農業に乗り出す動きが出ている。震災後の耕作放棄地を放置しておいてはいけないのではないか、という地域の人々による気づきである。

 「いわきおてんとSUN企業組合」は二〇一三年二月に法人格をもって設立された。事業は四分野からなる。第一は、農作放棄地で有機栽培の綿を収穫してタオルなどの製品化を行う「福島オーガニックコットン」、第二は、太陽光発電を行う「いわきコミュニティ電力」、第三は、自然エネルギーを体験できるソーラを実装した特別自動車を使って各地で太陽光パネルの手作り教室などを開く「いわき自然エネルギー学校」、第四は、原発事故後に警戒区域となった富岡町や楢葉町などの視察や、先の三事業を体験できる「いわきスタディツアー」である。

 企業組合代表理事を務める吉田恵美子さんは一九九〇年十二月にNPOザ・ピープルの設立に参加した。ザ・ピープルは、震災が起きて5日後に、古着を被災者に届ける救援活動に入る。さらに「風評被害」によって農産物が売れなくなった状況をみて、首都圏で販売する活動も行った。そうしたなかでNPOの「JKSK(女性の活力を社会の活力に)」と交流が始まり、この縁で、オーガニックコットンの輸入や製品化にかかわってきた株式会社アバンティの渡邉智恵子さんと知り合う。

 吉田さんはオーガニックコットンに地域起こしの力をかけてみようかと考えるようになり、震災の翌年から事業に着手した。企業組合は、生産と商品の企画・販売を手掛けている。ブランドは、自分たちで考えた「ふくしま潮目」。いわき地域の豊かな自然のなかで暖流と寒流がぶつかり合う潮目、次にたくさんの人が集まる集合体の意味、そして、社会と時代を変える転換点の三つの意味が込められている。

 ■異業種から農業へ

  地域や個人に貢献することを「使命」とする経営者が、異業種である農業分野に進出することは新規性を感じさせる。しかし「マネジメント」の実践として考えるならば、建設業であろうが、農業法人であろうが、NPOであろうが、担い手の資格は十分である。

 農業法人「株式会社いわき遠野らぱん」の代表取締役・平子佳廣さんはもともと建設現場の鉄筋業の社長だった。公共事業削減が続いて売上高が減少し、異業種進出を考えた。地元農家を誘って農業法人を立ち上げたのである。

 「6次産業」が製品の製造に成功して立ち上がるときに壁になるブランディングと新規の販路の開拓に「マネジメント」の経験者である平子さんの知恵が生きている。最初に取り組んだのは地元のジネンジョ(トロロイモ)である。「山の神」というブランドをつけて、地元の杉材で長さ一㍍の木箱を作り、地元産の和紙で包んだ。価格は一本あたり一万円。日本橋の高島屋の外商部門に販売を委託すると、初年度三百本が完売した。その後三年ぐらいはこのペースで出荷したが、このサイズの供給が間に合わなくなった。そこで、ジネンジョを原材料に焼酎づくりに乗り出す。仲間と考えたブランドは「百千歳」。これも一本一万円で売り出すと三千百五十本が完売した。

 「ブランディングも難しいが、価格を決めるのも難しい。首都圏の高額所得層は、良いものなら高くても買うことを知った」と、平子さんは語る。

 ブランディングには「物語」が必要であることも、平子さんの口から普通の言葉のようについて出る。「コト消費」の時代だといわれる。買い物をするにしても、そのモノに物語がなければならない、というのが、日本のマーケティングの世界では常識になっている。

 ■地域金融の支援体制

  日本の金融界の再編は今、地方銀行に及んでいる。地方銀行トップである横浜銀行と、首都圏に店舗網を敷く東日本銀行は二〇一六年春をもって経営統合した。このような地域金融の担い手である地方銀行の再編は、地域において金融機能の役割が低下するという見方もある。

 その意味では、「6次産業」のような起業あるいはスモールビジネスの資金需要に応えているとは言えない。そこで、地銀や旧相互銀行である第二地方銀行が、信金を提供してファンドを組成し、ベンチャーキャピタルにその運営を任せる形が増えてきている。中小零細企業を顧客とする信用組合が、起業やスモールビジネスの支援のための子会社を設立して、自らの責任においてリスクマネーの投資に乗り出すケースもある。いわき信用組合が二〇一五年十月に発表した「磐城国地域振興ファンド」は、地域金融の常識を覆すファンドである。ファンドの資金提供は、起業やスモールビジネスに対して、百万円あるいはそれ以下での金額も念頭においている。しかも、経営相談や企業の経営戦略の立案も手助けする。

 「6次産業」のこれまでの論議に欠けているのは、資金の問題、金融論的な側面である。政府や地方自治体による補助金の助成があるゆえに、リスクマネーの観点が見落とされてきたのだと考える。いったん立ち上がって、商品化に成功した段階に至って、在庫リスクと抱えたり、大型の設備投資が必要になったりして、「6次産業」が飛躍するせっかくのチャンスを逃しかねない実態がある。

 いわき信用組合が自らファンドを運用してリスクをとる方式は、全国の信用組合としては先駆けで、業界では既に「いわきモデル」と言われている。

 「6次産業」の育成において、政府・地方自治体は、こうした地域金融のリスクマネーの投入の判断とともに、補助金のありかたを考えるべきではないか。二つの組み合わせがあって、「6次産業」がスタートアップから経営の発展段階に進める可能性が高まってくると考えるからである。

 

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ELNEOS 1月号寄稿

新聞からデジタルへ移行した現場でその成功の足跡をたどってみた

 ロンドンの地下鉄・セントラル線は、市内のビジネス街や観光スポットを東西に貫いている。通勤ラッシュの社内は、新聞とスマートフォンを眺める人がほぼ半々である。

 北海を空路で越えて入国したノルウェーの首都・オスロの市民の足である路面電車に乗ると、新聞を読んでいる人はほとんどいない。

オスロから長距離バスを乗り継いて、国際列車に乗り換えて首都・ストックホルムを目指した。森と湖が点在する風景に牧草地が広がる。深夜の特急列車の乗客たちは寡黙で、若者は手元のスマートフォンをみつめている。

新聞発行部数は2年間で8.5%減少

 英国と北欧のメディアの事情を取材するために、二〇一六年の初秋の九月初旬から中旬にかけて、ロンドンとオスロ、ストックホルムを訪れた。

なぜいま、英国と北欧なのか。日本のメディアはこれまで、米国のメディアの動向に学ぼうとしてきた。ニューヨーク・タイムズ(NYT)やワシントン・ポスト(WP)の課金システムに関心を払い、既存のメディアから飛び出したジャーナリストたちによって成功した、ハフィントンが・ポスト(Huffington Post)や政治サイトのポリティカ(POLITICO)に習ってきた。

デジタルニュースに触れる端末が、PCやタブレットの時代から、スマーフォンの急速な普及によっていま、「マルチ・デバイス(複数の端末)の時代である。こうした視点に立つとき、英国と北欧のメディアがひた走る先駆的な産業化の潮流がみえてくる。

 取材旅行の最初の拠点となった、ロンドン・地下鉄セントラル線のクウィーンズウエイ駅に戻りたい。ロンドンの中心部にある広大なハイド・パークが近い。ジュリア・ロバーツ主演の映画「ノティングヒルの恋人」の舞台である高級住宅街に連なるノッチンガム・ヒル・ゲイトは隣駅である。

 初秋の暖かなに差しを浴びながら出口に向かう乗客たちは、エスカレーターの昇りと下りの境目にある滑り台のようなスペースに新聞を次々と捨てていく。

 通勤客が手にしている新聞は、「メトロ(METRO)」である。創刊が一九九九年の無料紙は二〇〇〇年代半ばには一〇〇万部を超えて、ライバル紙も登場して欧州大陸にも広がった。しかし、ロンドンの朝刊の無料紙はいまでは、「メトロ」一紙となり、夕刊も有料はなくなって無料紙の「イーブニング・スタンダード(Evening Standard)だけになった。

 大衆紙の「ディリー・ミラー(DAILY Mirror)を発行している、トリニティー・ミラー社は今年二月、紙の需要は掘り起こせる、という経営戦略から「ニュー・ディー(New Day)(一部五〇㌺)を創刊したが、売り上げが伸びずにわずか二カ月で廃刊した。

 英国における紙の新聞の「晩鐘」ともいえる出来事だった。新聞発行部数は二〇一四年と二〇一二年を比べると、八・五%も減少している。

 新聞の発行紙数は、それぞれの国の人口や地域の歴史的な成り立ちによって一概に比較はできないが、日本(人口約一億二〇〇〇万人)一〇四紙、英国(約六五〇〇万人)が九六紙、スウェーデン(約一〇〇〇万人)が七九紙、ノルウェー(約五〇〇万人)が七二紙とほぼ同じである。

スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」

 英国の新聞産業は欧米のなかで、際立った特徴を持っている。全国紙が一三紙もある。これに対して、フランスとドイツは九紙、米国は五紙である。

日本の紙数が人口に比較して少ないのは、戦時中の新聞用紙の適正な配給を理由とする言論統制によって、「一県一紙」体制を原則とする統廃合が図られたからである。

 オックスフォード大学のロイター・ジャーナリズム研究所が二〇一六年初めに、日本を含む二六カ国を対象にした調査によると、英国ではニュースを主として読む端末が、二〇一六年に初めて、スマートフォンがPCを上回った。その普及率は、米国、英国、ドイツ、フランス、日本の先進の五か国が四〇%か、ら五〇%の間にある。米国と英国に次いでこのグループでは、日本は第三位である。

 これに対して、全体の調査対象国のなかで、スウェーデンが六九%で第一位、ノルウェーは韓国に次いで六四%の第三位である。ちなみに、第五位にデンマーク(六〇%)、第七位にフィンランド(五九%)の北欧諸国が入っている。

 スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」の先進国のメディア産業が歩んでいる道こそ、日本のメディアが生き残るための選択肢なのである。

 英国の高級紙「ザ・ガーディアン(The Guardian)の本社は、英国の列車が発着する、キングス・クロス駅に近い。ガラスに包まれたような建物は、キングス・プレイス地区のランドマークである。ガーディアンは本社機能と編集局を、ここロンドンのほか、ニューヨークとシドニーにも置いている。

ガーディアングループの二〇一六年の売上高は二億九五〇万㍀で、前年とほぼ同じ水準である。そのうち、四割近くをデジタル部門の収入が占めて下支えしている。

 ガーディアンのデジタル分野での新たなジャーナリズムの挑戦は、元米国国家安全保障(NSA)局員だった、エドワード・スノーデンによって、二〇一二年に持ちだされた国家機密に関する報道だった。「スノーデン」の概要は、米政府が大手電話会社ベライゾンから、数百万人の米国人の電通話記録を得ていたのが第一報だった。

 その後、グーグルやフェイスブックなど大手インターネット企業からも会員の利用状況も手に入れていたり、世界各国の首脳の携帯電話を盗聴していたりしていた事実も明らかにした。

「スノーデン文書」の報道は優れたジャーナリストの存在はもちろんいうまでもない。その活動を助けたのが、スマートフォン向けのアプリケーション「ザ・ガーディアン・ウィットネス(the Guardian Witness)」だった。文書に関する情報を文章ばかりではなく、写真、動画なども含めて、読者が投稿できる。この問題で世界の約五万人がかかわった。そのなかでは、文書の中にあった、トルコとシリアにおける、反政府勢力に対する激しい虐待の事実が裏付けられた。

「スノーデン文書」の報道によって、ピューリッツアー賞を受賞した。読者と一体となって事実を解明していく、ジャーナリズムは、デジタル部門の大きな躍進につながった。ウエブへのアクセス数が毎年三割伸びて、利用者は延べ七億六三〇〇万人になった。一日当たりの平均利用者も延べ五〇〇万人に達した。

読者の好みに応じたニュースを提供

 ガーディアンは二〇一五年初めにウエブのサイトを大幅にリニューアルした。スマートフォンのサイトをみると、利用者にとって「簡便」にみえることに主眼が置かれている。ニュースの項目それぞれが「グレイキング・ニュース」(第一報)なのか、記者のブログなのか、解説記事なのか、あるいは論説、ニュース・ストーリなのかがすぐにわかる。

 リニューアルのキーワードの第一は、「アップデイト(Update)」、すなわち頻繁にサイトをみる読者に対して好みに応じたニュースを提供することであり、第二はそれらの記事についてより掘り下げた記事の「エクステンド(Extend)」と、最後が「ディカバリー(discover)であり、読者に新たな驚きを与えることである。

 こうしたウエブ戦略によって、ウエブの利用者は目標としていた延べ一四億人に達した。そのうち、三分の二が英国以外の利用者で占められている。

 ガーディアンのデジタル部門が、経営の大きな柱に成長した背景には、経営陣がこの部門に長期的な視点で注力してきた歴史がある。

 インターネット時代が到来することを前提として、CEОが米国のシリコンバレーを訪れたのは一九九四年のことである。世界の既存のメディアとしては最も早く、デジタルの重要性を認識した新聞社といわれている。九九年にニュース・サイトを立ち上げ、翌年からデジタル部門の編集長を置いたのである。「デジタル・ファースト」宣言をしたのは二〇一一年のことである。

デジタル部門の成長で人員構成にも変化

 日本の新聞社がデジタル部門に進出した時期は、さほど遅くはない。日本初の新聞社系のサイトは、一九九五年三月に開設された朝日新聞出版局の「オープン・ドア(Open Doors)」である。この年の六月に読売新聞が「ヨミウリ・オンライン(Yomiuri On Line)」を、八月には朝日新聞の「アサヒ・コム」が。同時期に毎日新聞の「ジャム・ジャム(Jam Jam)」も。

 しかし、新聞記事の二次利用的な機能が強く、人事異動などによって一貫したデジタル戦略はこれまで描かれてこなかったといえるだろう。そして、スマートフォンの急速な普及を予測できないままに対応ができず、PC向けのサイトの尻尾を引きずっている。

 英国の高級紙「ザ・インディペンデント(The INDEPENDENT)」は、二〇一六年三月に部数が低迷して廃刊となった。二〇一五年秋にはフロントページに、シリア難民の子どもが波打ち際に横たわっている遺体の写真を掲載して、世界的な反響を呼んだ。

 デジタル版は残った。紙の部数は最終的に二〇万部と切っていたと推定される。スマートフォンによるサイトの定期的な読者数は、紙の時代よりも五割近く増えた。サイトの訪問者数も、紙時代の一日当たり延べ六六〇万人から約三・二倍の延べ二一二〇万人に達した。

 日本経済新聞が買収した「フィナンシャル・タイムズ(FT)」は二〇一六年一〇月初旬、サイトを大幅にリニューアルした。FTは新聞の課金モデルとしては、世界のなかで数少ない成功例である、六〇万人の読者を誇る。

職場や家庭のPC向けから、スマートフォンの普及に対応して、「マルチ・デバイス」で簡便に読めるようにするのが大きな狙いである。スマートフォンの画面でニュースを読むのは、スクロールの時間の短縮にかかっている、とみて従来よりも三秒速くした。さらに、主要な読者がビジネスマンであることから、記事に関するプレゼンテーションンの資料やチャートのデータもみられる。

デジタル部門の成長は、メディアの人員構成の変更にも及んできた。大衆紙「ザ・サン(THE Sun)」は二〇一六年九月、紙の新聞のサブ・エディター(日本の新聞のデスクに当たる)二〇人をデジタル部門に配置転換する方針を明らかにした。ガーディアンは、米国の経営を損益分岐点に引き上げるために、デジタル部門は除いて四〇人を削減する。

英国のウエブサイトのページビュー(読まれた頁数)は、二〇一五年の年間で八〇億である。そのうち、従来の携帯電話とスマートフォンを含む「モバイル」は、五割近い三九億。前年に比べると九〇%も増加している。

英国滞在中の二〇一六年九月九日、「米国新聞協会(Newspaper Association of America )」が、「新聞」の文字を看板からはず形で、「ニュース・メディア連合(NEWS MEDIA ALLIANCE)」と改名した、というニュースに接した。英国の旧新聞協会はすでに、「ニュース・メディア協会(news media association)である。

日本の新聞協会には、NHKをはじめ民放各社の放送会社も会員である。新聞の衣を脱ぎ捨てる時期はすでにきている。

           (次号に続く)

 

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フジサンケイビジネスアイ 寄稿

築地移転延期と新国立問題の深層

 東京湾横断する新交通ゆりかもめの市場前駅に近づくと、巨大な建物が車窓を覆う。「11月7日 豊洲市場 開場!」の白い横断幕が台風一過の青空に浮かび上がる。駅の改札口を出ると、新市場に新橋からつながる環状2号線をまたぐ陸橋の工事現場が見えた。

 復路は、汐留駅で乗り換えて大江戸線で地下に潜る。沿線は勝どき橋東地区をはじめ、再開発計画が目白押しだ。国立競技場前駅で下車してみれば、白いフェンスに囲われたなかで、新国立競技場も建設が進んでいる。東京都の小池百合子知事はこの日、8月31日に築地市場から豊洲市場への移転の延期を発表した。

 「東京大改革」を掲げて当選した小池知事が焦点を当てているのが、豊洲市場の移転問題と東京五輪の巨額な施設と運営費用である。外部の有識者を入れた特別チームを編成して問題の解明に当たろうとしている。

 ここで小池知事が見失ってはならない視点は、個別の問題を掘り下げることも重要であるが、都の財政が再開発に大きく頼っている構造である。神戸湾内に人工島のポートアイランドなどを建設した「株式会社神戸市」にならっていうならば、「株式会社東京」は再開発至上主義に陥っている。都市整備局によれば、都内の再開発地区は7月末時点で219地区。都の税収を税目別の構成比率でみると、法人事業税・法人住民税と個人都民税は、経済の動向を反映して伸縮が著しい。

 これに対して、再開発にともなって増える固定資産税・都市計画税は3割前後で安定している。2015年度において都税収入の総額5兆216億円のうち、固定資産税が1兆1254億円、都市計画税が約2174億円に上る。

 都が主導する再開発計画によって、インフラの整備を進めれば地域の地価が高騰して固定資産税・都市計画税が安定的に入る。開発業者にとっては道路や地下鉄の延伸は大きなメリットである。再開発の認可には都議会が力を持つ。都の官僚たちにとっては人件費の確保につながり,天下り先が生まれる可能性もある。

 新国立競技場の建設にともなって、都は周囲の再開発予定地区の容積率を増大させた。豊洲市場向かう環状2号線は、そもそも関東大震災後の帝都復興計画にさかのぼる。新橋から神田佐久間町までの約9.2キロだったのが、1993年に起点が江東区有明に延伸された。

 再開発至上主義の構造から脱却する政策は、「成熟都市」や「安心・安全」といった美辞麗句が並んだ都の「東京都長期ビジョン」ではなく、都市計画の大きな目標を掲げた見取り図が必要である。さらに、海外で成功した都市計画について、北海道大学の越沢明名誉教授は「インフラ整備の負担を一定のルールにしたがって受益者(地権者)に課すことが多い」と述べている。

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SankeiBiz  高論卓説 2016年12月5日 寄稿

 福島沖地震が11月下旬に発生して東北沿岸を津波が襲い、東日本大震災の被災地は5年前の衝撃が蘇った。東北大学の研究チームよれば、宮城県東松島市の漁港では津波の高さは、平常の海面よりも3mも上回って、漁港の地面からは2.2mに達していた。

 宮城県仙台市と石巻市を結ぶ仙石線に乗って、東松島市の野蒜(のびる)駅に降り立ったのは、この地震の10日前のことである。東日本大震災の津波によって、仙石線が大きく分断されたのは、名勝・松島を望むように海岸を走っていた矢本駅(東松島市)-松島海岸駅(松島町)間であった。

 仙石線が全線復旧したのは2015年5月。復旧区間は内陸部に400mから500m入り込むように線が敷かれ、野蒜駅も高台に移転した。旧野蒜駅とプラットフォームなど、その周辺は震災遺構として保存が決まっている。私が目指したのは、旧野蒜駅舎を利用して一足先に10月にオープンした「震災復興伝承館」である。

 新駅と旧駅がある市街地とは、地下通路を通じて結ばれる予定だったが、未完成のために訪問当時は大きく迂回する坂道を30分以上も下った。

 旧駅に着いた。改札口の壁の上部に、津波が達した3.7mの赤い線が引かれている。「伝承館」には、東松島市の歴史や震災の状況、復興の歩みを示す解説の写真や、巨大地震が発生した瞬間に止まったままの小学校の大時計などが並んでいる。

 震災地の「記憶」遺構の先には、新しい町を築き上げようという息吹がある。東松島市は震災後のがれき処理において、市役所と建設業者などが当初から協議して、金属や木製のがれきを分別して、収集した。その結果、全量約110tの約99%をリサイクルに成功するとともに、がれき1t当たりの処理費用が格段に安くなった。

 この経験の延長線上に「防災エコタウン」作りが進んでいる。地域の病院や集会所などを対象にして、太陽光発電などを活用してエネルギーの「地産地消」を図ろうという試みだ。小学校の再建にあたって、木造建築を目指すだけではなく周囲に森林地帯を作ろうというプロジェクトも進んでいる。

 仙台市の地下鉄東西線の終点である荒井駅には、2月に開業した「せんだい3.11メモリアル交流館」がある。仙台平野を襲った巨大津波は、この駅がある荒浜地区において沿岸と内陸部と分けるようにして構築されていた、バイバスが堰の役割を果たした。「交流館」には津波が襲って跡形もなくなった、沿岸部の記憶を残そうと手作りのジオラマがある。「鈴木さんの家」「玉ネギ畑」……と手書きの小さな印が立っている。

 荒浜地区は漁業の町でもあった。赤貝やナマコ、ワタリガニの宝庫である。漁師として再び海に向かう人々のインタビューが、大型映像装置から静かに流れていた。

 震災地は、「記憶」をとどめながら、新たな地域振興に歩みだしている。

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ELNEOS  「ほまれもなく そしりもなく」 田部康喜 広報マンの攻防戦

 経営情報について、企業がメディアのなかで日本経済新聞の報道を優先するつまり、内容のあらましを予め日経の記者にリークする――「日経ファースト」について考えてきた。

 ソフトバンクグループが今夏に英国の半導体設計専門会社のアーム・ホールディングを約三兆三〇〇〇億円で買収した案件において、世界の経済専門紙を代表する、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)とフィナンシャル・タイムズ(FT)が「ファースト」であった。

「日経ファースト」もそうであるが、「ファースト」か、どうかの判断材料はふたつある。それらの「特ダネ」の内容が詳細にわたっているかどうか、そして報道された直後にトップによる記者会見があるかどうか、である。アーム買収の記事はいずれの条件も満たした。

 ところで、「特ダネ」に訂正なし、とメディア界ではいう。独自の取材で足を使って集めた材料をいったん眺めて、これで書ける、という判断はおおざっぱにいって全体像の六割程度がわかった時点である。

 さらに分かりやすく表現すると、「誰が」「何をするのか」さえ、正確に確認できていればよい。文章には5W1Hが必要だといわれるが、特ダネに完璧を求めることは時機を逸する。つまり、他社に出し抜かれるか、当事者に発表されてしまう。

したがって、確実なデータしか書かないので、訂正はほとんどないのである。

 逆に「ベタ記事」に訂正あり、という。発表モノの記事は完全なデータの資料があるので、確認を怠ることによって訂正を出すことが多い。

「日経ファースト」について、これまでその是非を論じてこなかった。

 それは新聞記者時代に「日経ファースト」に対して、率直なところ怒りを感じたことがなかったことが大きな要因である。

 経済専門紙として日経の手厚い取材陣に対して、いかに独自のニュースのフィールドを切り拓いていくことに精力を傾けた方が生産的だと考えていたからだ。

 しかも、「日経ファースト」の記事は、一般紙が追いかけて報道するにはさほど大きな案件でないことが多かったからでもある。

 広報パーソンの立場に立って考えると、「日経ファースト」には企業にとってふたつの危険性が伴う。

 ひとつは、筆者そうであったように「日経ファースト」に“鈍感”な記者ばかりでないので、企業に対する反発心が記者のなかに澱のように沈殿していく。それが企業危機に陥った際に爆発する可能性を否定できない。

 さらに、「日経ファースト」の案件は、他社が無視するか、追いかけても小さな扱いにしかならない。

 消費者に伝えたい新製品や、新しいサービスならば、一般紙やテレビなどにも公平に報道してもらうのがいいだろう。もちろん最近ではネットメディアの影響力も無視できない。

 企業の大きな経営判断の際に、トップインタビューの「日経ファースト」も目立つ。これも欧米の企業がやるように、多数のメディアが同時に参加できる、電話インタビューが望ましいのではないか。

         (この項了)

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