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 福島県の南会津地方を源流とする阿賀野川は、会津盆地を抜け、急峻な山地を縫うように、細い帯となって日本海に向かう。水力発電所のダムに行く手を阻まれて、ゆったりとした流れを見せる耶麻郡高郷村の川沿いの集落で、わたしは育った。村役場の近くに創立した保育園まで、森を抜ける2キロほどの道を歩いた。道すがら採って食べた野いちごのすっぱさが、いまも口に広がる。

 「さんぱち(38)豪雪」といわれた1963(昭和38)年は春の彼岸も雪がうず高く、小学2年生のわたしの前を歩く小柄な祖父が雪の壁に押しつぶされそうに見えた。この夏、わたしたち家族は、父の転勤に伴って、会津盆地と別れを告げ仙台市に移り住んだ。

 転校生は孤独である。母に伴われて、校長室で待っていると担任が現れる。その後ろに従って、教室までの階段を上っていく。友だちはできるだろうか、勉強はついていけるだろうか。不安にかられる少年のわたしを思い出すと、胸が熱くなる。

 仙台市に住み慣れたころ、引越しによって、再び転校生となった。わたしは3つの小学校を経験した。受験して入学した中学校も転校生のようなものだった。幼稚園、小学校と下から上がってきた生徒たちが大半だった。

 わたしは話し言葉を失っている。会津弁も仙台弁も耳では理解できるし、話せもするが、それはからだの奥底から発せられる言葉ではない。

 どこから来て、どこにいて、どこへ向かっているのか。

 デラシネつまり故郷を喪失した、根無し草である。

 会津から仙台へ、東京、佐賀、北九州、福岡、東京、仙台、大阪、東京。海外の町々も取材で歩いた。香港、サンフランシスコ、サンジエゴ、ニューヨーク、ワシントン、ウィーン、ブタペスト、ワルシャワ、シテチェン、ハバロフスク、ソウル、上海、バンコク、ジャカルタ、クアラルンプール、マラッカ・・・・・

  2012年3月11日未明、いわき市の薄磯浜にわたしは立った。東日本大震災から1周年を迎える日に参加者が手と手をつないで、日の出に鎮魂と復興を祈る。地元の人々に加えて、東京や高知、長崎からもやってきた。

 海水浴場として知られている美しい浜辺に2000人近い人々が海に向かって並んだ。背中の後ろは、巨大津波に襲われて土台だけが残った家屋の跡。うず高い瓦礫のヤマも迫る。

 ご来光は臨めなかったが、薄日が差し始めた日の出時刻の午前6時前、参加者たちが歌う小学校唱歌「ふるさと」のメロディーと歌詞が、波に巻き取られるようにして、海に溶けていった。

  「ポスト・東日本大震災時代の政治、経済、社会、文化について、新たな思想と知識を結集する」を理念として、一般社団法人と個人会社を設立して、独立しようとしていたわたしだった。

  潮風に強く髪と頬を打たれながら、「ふるさと」を口ずさむ。東北で過ごした日々のさまざまな思い出が、怒涛のごとくわたしの心を満たした。

 わたしはデラシネではない。会津でも仙台でもない、東北こそわたしの故郷。わたしがやってきて、いまいるところだ。そして、世界は、日本は、大震災後の東北を考えることによって、生き方を変えようとしている。

 東北出身のわたしが独立して、世界を変革する思想と知識をこの地から探し出し、人々に伝えたい。

 これがわたしの独立宣言です。

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