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痛恨の極み

 東日本大震災の報道活動のなかで、記者の犠牲者はひとりだった。福島民友新聞社の南相馬市にある相双支社の記者だった。編集局長の加藤拓哉は、「痛恨の極み」だと書き記す。

 3月11日午後2時46分。東日本大震災が発生したこと時から、すべてが始まった。

 ド、ド、ド、ド、ドという不気味な地鳴りが聞こえたかと思うと、縦へ横への大きな揺れが3分近くも続いた。

 11日は、地震直前まで晴れのおだやかな天候だった。しかし、地震発生と時を同じくするように黒い雲が立て込めて雨が降り出し、まもなく吹雪になった。地震発生とともに取材に飛び出した記者やカメラマンたちは、市内の至るところで車が使えず、徒歩や自転車での取材を余儀なくされば。社内の固定電話や携帯電話もほとんど使えなくなり、かろじて連絡が取れるのは携帯電話のメールぐらい。モバイルパソコンでもメールで連絡がついたが、バッテリーがなくなれば使えなくなった。

 福島民友新聞社は、福島市にある本社を含め県内外に28の取材拠点をもつ。今回の大震災と原発事故を受けて、福島第1原発の10キロ県内にある浪江、富岡両支局に出入りができなくなった。30キロ圏の南相馬市にある相双支社、いわき支社や相馬支局一時ライフラインのストップや、原発事故による危険を回避するために、記者を一時避難させ、本社や郡山市を拠点に取材活動を続けた。

 相双支社の記者一人を津波で失った。地震直後に支社長が電話で無事を確認したが、その後連絡が取れなくなった。生存を信じ、家族らとともに捜索を続けたが4月2日に遺体で発見された。前途ある若い記者を失った悲しみは筆舌に尽くしがたく痛恨の極みだ。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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あの声がまだ聞こえる

 仙台市に本社を置く東北放送の報道部記者の武田弘克は、そのとき、津波による大きな被害が出ることになる荒浜地区にいた。武田は津波にのまれた町の水没したビルに逃げ込んだ。

 

 あの日午後、私は仙台市若林区荒浜で産業廃棄物の取材をしていた。緊急地震速報を伝える携帯電話のアラームが鳴った。タクシーを横道に止めると、間もなく激しい揺れが始まり、デジタルカメラを手に外に飛び出した。経験したことのない激しい揺れは一旦おさまり、タクシーに戻るとラジオは大津波警報が出たことを伝えていた。

 避難誘導にあたっていた警官が避難を始めた。「津波が来ます。高台に避難してください」と言い残しパトカーで走り去った。それをきっかけに、渋滞の車列もパトカーを追うように、丁字路降参店でUターンしていった。津波は間もなくやってきた。

 私と運転手は、道の反対側にあった電機メーカーの事務所に避難することにした。走っている途中、側溝からは黒い下水が溢れ出し、道路を覆っていく。事務所の2階へ上がる階段に辿り着き後ろを振り返ると、私たちが車で走ってきた道路の向こう側、およそ50メートル先で白波が立つのが見えた。この間もカメラを回し続けた。逃げなければという焦りと、津波を撮らなければならないという思いが交錯していた。階段では高齢女性が腰が抜けた状態で一段一段登っている。女性の弟だという人にカメラを預け、女性が階段を登るのを手伝った。次の瞬間、背後から凄まじい轟音が響いてきた。振り返ると材木を巻き込んだ激流が流れ込んできた。白波が立つのを見てからわずか20秒から30秒だった。

 なんとか3階まで辿り着くと、私たちがさっきまでいた場所は、一面茶色い水に覆われ、ありとあらゆるものが押し流されていた。ヘッドライトがついたままの乗用車やトラックのほか、貨物用コンテナも次から次へと押し流され、私たちの居る事務所にぶつかってくる。その様子を撮影していると、電柱に引っかかった車の窓から身を乗り出し、子供2人を両脇に抱えている男性を見つけた。

 私たちが避難した事務所には、消防団の経験がある2人の男性がいて、彼らが中心となって、救助活動が始まった。一人また一人と取り残されていた人たちが、流れ着いた貨物コンテナを伝って救助されていく。私は彼らの横でカメラを回しつつ悩んでいた。このまま撮影を続けるべきか?撮影を止めて共に助けるべきか……。

 50メートルほど離れたコンビニエンスストアの屋根に子供1人を含む3人が取り残され、その裏側には車の屋根に取り残された女性が1人確認できた。

 夜になると星空が広がった。その光に温かみはなく、ただ大気を冷やしていくばかりに思えた。足元は寒さで凍りついている。空を飛びかうヘリコプターの音とサーチライトが恨めしかった。「大丈夫ですかー」。ほの暗い闇に向かって声をかけると「もう限界です」と女性の声が返ってきた。他にも至る所から男性や女性の叫びがこだまする。何を言っているのかも聞き取れない叫びがほとんどだ。ただ、必死で助けを求めていることだけは分かる。

 私は事務所の中で一夜を過ごした。しかし、夜が明けると、車の屋根に横たわっている女性が見えた。寒さで息絶えていたのだ。もっと、もっと声をかけ続けていればよかったと、私は未だに悔やんでいる。もしかしたら助けることができた命だったかもしれない。

 本社に辿り着いたのは、地震発生から27時間後の午後6時だった。

 あの日から3カ月、被災地の状況は日々変化している。しかし、津波から避難したあの夜、四方八方から響いていた助けを求める叫び声は未だに耳から離れない。

 

 記者たちはそのとき、死と隣り合った。現地からのルポルタージュは、緊迫した震災地と避難民の姿がはっきりとみえた。ただ、「客観報道」という名の呪縛から解き放たれ、自らの苦悩を語ることはなかったように思う。彼らの魂の叫びは、紙面や誌面、画面には現れなかったといえるだろう。そして、彼らは日本新聞協会の機関誌など、許される空間のなかで、思いを綴ったのであった。客観報道という仮想の現実を超えて、多くの人に肉声を届けることが、震災後の世界を築く大きな力になるのではないか、と筆者は考える。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
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4歳の詩人の肖像

 作家の曽野綾子が月刊誌に寄せた次のような文章は、読売新聞東京本社写真部の立石紀和の撮影した写真が   生んだものだ。曽野はいう。

 「3月31日付の読売新聞はこの災害の中でもっとも胸迫る詩を書いた4歳の詩人の作品を載せた」と。

 

  震災発生から1週間後、まだ報道すらされていない辺鄙な地域に焦点をあてたいと思った写真部の立石紀和記者は、岩手県のリアス式海岸に点在する漁村を歩いていた。

 宮古市の重茂半島・千鶏地区に入った時だった。漁港は跡形もなかった。集落の大部分が流され、残った家屋は十数軒しかない。高台にある家を訪ね、「こんにちは」と声をかけると、引き戸が開き、おばあちゃんが出てきた。背中の後ろから顔をのぞかせたのが4歳の女児、昆愛海ちゃんだった。漁師をしていた父親と母親、妹を津波に流され、愛海ちゃんだけが漁網に引っかかって奇跡的に助かったという。恐怖の体験をした女の子は心を閉ざし、笑顔はなかった。

 立石記者は、会った当日はカメラを向けなかった。その後、何度も愛海ちゃん宅に通い、トランプをしたて遊んだり、絵本を読み聞かせたりして、少しずつ距離を縮めていった。ある日、いつものようにババ抜きをしていると、愛海ちゃんが突然、「ママに手紙を書く」と言い出した。愛海ちゃんは、覚えたてのひらがなで、1文字ずつ、ゆっくりと思いをつづった。分からない文字は幼児学習雑誌『めばえ』を開いて確かめた。

 「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」

 そこまで書き終えると、疲れたのか、すやすやと寝入ってしまった。立石記者はノートにつっぷして眠る姿をそっとカメラに収めた。

 震災から2カ月後の5月10日には、少しずつ笑顔を取り戻した愛海ちゃんを再び紙面に取り上げた。

 

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参考文献

 

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
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真っ黒い波が迫った

 岩手日報の報道部次長の熊谷真也は、そのとき、宮古市にいた。日本新聞協会長賞を受賞した同社の写真企画「平成三陸大津波 記者の証言」のメンバーのひとりである。沿岸の6支局すなわち、洋野、久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田に駐在していた計7人の記者が大津波の来襲の瞬間をとらえた企画だった。

 

 3月11日午後2時46分、私は宮古市議会本会議を取材するため、市役所6階にいた。

 立っていられないほどの揺れがとても長く続いたように感じた。揺れが収まり、屋外に避難したところで、駐車場で防災無線により、大津波警報の発令を知った。

 さらに、海に近い同市の漁協ビルに移ろうと思い車に乗ったものの、途中は閉伊川河口沿いの道を走ることになる。移動時間を考えて引き返し、市役所で取材することにした。車から望遠レンズを持ち出し、市役所庁舎5階に駆け上がった。

 次第に閉伊川の川底が見えるぐらい、水が引いていく。そして、津波の第1波。急に海面が盛り上がっていった。係留していた漁船が次々に上流に流される。宮古大橋の橋脚に衝突し、バリバリという音が響く。

 津波は続き、3時25分、ついに防潮堤を乗り越え、真っ黒い波が市街地に襲いかかった。営業中だったラーメン店や印刷所などが流される。屋上に避難する人たち。車や漁船が建物の上に打ち上げられていた。周りには助けを求める人たちの声が響く、非現実的な場面にただシャッターを切り続けるしかなかった。

 今回の企画に参加した7人のうち、東日本大震災の際に事前に想定していたポイントに駆け付けることができたのは4人だった。残る3人は取材で支局から離れた村に出掛けていたり、渋滞に巻き込まれるなどして予定していた撮影場所には到達できなかった。それでも、日ごろの取材活動の中から次善の策として安全を確保できる場所を選定し、取材場所とした。7人以外の沿岸部にいた記者も津波様子を撮影した。岩手県沿岸では、宮城県沖地震による津波の可能性が高まっていた。日ごろの取材活動のなかで、土地勘を養い、さまざまなケースの撮影場所を想定していた。今回の企画は文字通り、足を使った取材の成果だったと思う。

 

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参考文献

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新聞を発行せよ

 仙台市にある河北新報社の本社を地震が襲ったのは、夕刊の降版つまり紙面が作成し終わった直後のことだった。その時、編集局長の太田巌は、新聞を発行できるだろうか、と思った。

 

 午後2時46分。仙台市で震度6強を観測した地震は、市中心部にある8階建ての河北新報本社ビルをも約3分間、縦、横、斜めへと激しく揺さぶった。

 激烈を極める揺れの中、新聞制作系の報道部のワークステーション、整理部の組み版端末が何とか所定の場所にとどまっているのが、むしろ不思議に思えた。本社から北に12キロほど離れた、最新の免震構造が自慢の印刷センターとも連絡を取り、4セットの輪転機とも無傷で、停電に見舞われているものの自家発電で当分の新聞印刷に支障はなさそう、という回答を得た。

 新聞づくりには大きく、取材・出稿、整理・紙面づくり、印刷の3工程がある。何とか三つのうち二つの見通しが付いた。

 残る一つがそろわなかった。ビル8階に設置してある組み版基本サーバーが、横倒しになったのだ。

 整理・紙面づくりの工程が自社でどう努力しても欠ける、と判断せざるを得なかった時点で、新潟日報社に紙面づくりをお願いすることを決めた。友好社の新潟日報はとは災害時の紙面制作協定を結んでいる。直近の今年2月にも、記事・画像を送り合い、お互いの8ページ建て紙面を作って印刷する訓練を実施していた。

 新潟日報が作ってくれた号外の紙面データを受信終了は、午後6時55分。7時半には1万部を刷り終えた。本震発生から約5時間。翌日朝刊の発行を、いつものように絶対確実なものとして受け止めた瞬間だった。

 

 盛岡市にある岩手日報社の本社ビルも大きくまた揺れの時間がいように長い地震に襲われた。編集局長の東根千万億は、発生直後からの編集局内が意外と落ち着いていた印象が残っている。

 

 総合デスクの女性は喪服姿だった。祖父の葬儀中、弔辞が始まった途端に強い地震に見舞われた。全員が本堂の外に退避、彼女はそのまま本社に駆け付けたという。日中の地震だったため緊急呼び出し指令を出すまでもなく外勤記者たちは本社に続々参集した。

 盛岡市の本社から沿岸の被災現場までは車で2時間以上かかる。総動員態勢が必要と分かり、局デスクは、取材応援に出向く本社記者たちに持たせる現金を総務局に手配した。現地で食料調達などに使うためだ。

 地震発生から1時間後、連絡が取れない沿岸支局もある中、援軍の記者たちは2、3人1組で陸前高田市、宮古市、久慈市など沿岸各地に次々と出動した。続いて「人間バック」班が後を追った。撮影した現場写真を収めたメモリーカードを陸路本社に持ち帰るためだ。高度情報通信社会が当たり前の中でついつい忘れがちだが、非常事態下で確実なのはやはり「人力」だった。

 

 三陸沿岸をはじめ、太平洋沿岸の各地に点在している新聞社の取材拠点を巨大津波が襲ったとき、記者たちは死と隣りあわせで、取材の使命を果たそうと動いた。

 宮城県南三陸町にある志津川にある河北新報社の支局は、局舎が跡形もなく流された。

 

 11日の本地震発生時、取材で町役場にいた記者は、防災無線が大津波警報を伝える中、車で支局近くの幼稚園に向かった。妻が仙台に出掛けていたために預けていた息子を受け取り、高台に避難するためだ。2人で、高台の志津川高校に退避できた。午後3時35分。見たこともない大きな津波が襲ってきて、町の中心部をのみ込んだ。自分たちの町が大変なことになっている。カメラのシャッターを切り続けた。

 携帯電話を持って、あちこちを歩き回って、本社報道部の電話への発信を続けた。午後7時ごろ。偶然か、必然かは確かめようがないが、つながった。報道部デスクに吹き込んだ迫真の記事は、社会面全体を横切る「大津波 消えた」の2段トッパンに、6段の大見出しで掲載された。

 翌12日、一夜明けた町を取材後、通信が途絶えたままで、道路も寸断されていることを知った彼は、被災の様子、津波の瞬間を撮った写真を紙面に載せようと、息子の手を取り仙台の本社へと歩き始めた。午後1時ごろ。途中、親切な人の車に乗せてもらったり、また歩いたりして、午後6時過ぎ、やっと本社に着いた。必死の思いで届けた、津波来襲を撮り続けた写真は、翌13日朝刊の見開き2ページの写真グラフ面に、5枚組みの連続写真として載った。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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