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市民が作る映像

  2001年に起きた同時多発テロをきっかとして、マスコミが伝え切れない市民の声を伝えようと、発足したOurPlanet-TVは、衛星放送のBS11と提携して、市民による震災番組を行った。メディアに市民の意見をどのように反映させるか、という「パブリック・アクセス」の問題を考えるうえで、重要な出来事だった。OurPlanet-TVは、それまで、主にインターネットを通じて活動してきた。「放送」との連携は画期的だった。 震災地では、NPOによる臨時のFM局も多く生まれて、地域の情報を発信続けている。OurPlanet-TV副代表理事の池田佳代は、「放送の市民参加」が、大震災のなかで芽吹いたと考えている。

 3月15日の朝、地球対話ラボの代表・渡辺裕一から電話がかかった。

 「震災について市民が伝える番組を放送すべきではないかと思っている。心当たりの放送局にアポイントメントをとってみるので、番組制作にOurPlanet-TVも参加して欲しいのですが」

 渡辺氏の企画は、被災者や被災者支援に取り組む人々が「自ら伝える」番組を作り放送する、つまり、これまで取材される側や視聴する側にいた人が放送に参加するというものだ。提案先は衛星放送のBS11、アポイントメントは17日と決まった。

 面談に応じたのは、BS11の鈴木哲夫報道局長、毎日映画社の奥天路生取締役報道制作室長だ。市民参加の価値や意義、尋常ではない規模の震災だからこそ被災者に寄り添って伝えたい、自分たちにできることの一つとして放送に参加したい――。メンバーそれぞれの考えてに2人は理解を示した。

 番組づくりにおける放送局の関与については、パブリック・アクセスにこだわりたいと主張する私たちに対し、その意義は理解しており、内容は自由との確約を得た。

 1回目の放送は4月5日の火曜日夜10時台の「InsideOut」という報道番組の特集としして、放送時間は45分間ということも決まった。

 市民による放送に向けた初めての会合は3月22日、東京・渋谷区内の公共施設の会議室で行われた。集まったのは約20人。市民による情報発信に関心のあるメディア関係者やNGO、そして、震災直後にろう者への情報提供を目的に、ユーチューブを通じてろう者が

手話で被災者への情報を伝えようと発足したDNN(デフ・ニュース・ネットワーク)のメンバーなど。その2日後に目的や参加規則が合意され、さらにその3日後に、投票により4月5日の構成内容が決定した。

 規則とは、▽公共の電波を利用することの自覚、▽被災地と支援活動を結ぶ、▽障害者や日本語に不自由のある人への配慮、▽内容や参加者の多様性、▽非商業性、▽プライバシーの保護、▽偏見や暴力などの不法行為や反社会的行為の排除、▽偏向の否定――など13項目である。このプロジェクトの制作方針、放送基準ともいえるものである。

 放送当日。司会は、企画提案者の小川光一さん(20代)と私の2人。内容は、①高校生が始めた被災地支援活動、②ろう者、女性、外国人を取り巻く問題、③岩手県陸前高田市からの報告、④スマトラ沖地震の支援活動の経験から学べること――というものだった。

 次の回以降は、毎週火曜日22時45分ごろから3分間、11月11日までは継続することになった。

 制作メンバーは当初、被災地や関東の人たちが中心だったが、6月以降は、関西や九州からも参加している。阪神淡路大震災の経験を生かした活動、宮崎県串間市で揺れている原発建設問題など震災に関連した被災地外からの情報も増え、外国出身者の参加も徐々に増えている。

 3月11日の震災後、臨時災害放送局が各地に設置された。免許は2カ月間の期限付きで、即日交付される。震災当日に免許が交付された花巻市(4月3日に廃止)を皮切りに、6月9日までに設置されたのは合計26局。現在も活動しているのは岩手県内4、宮城県内11、福島県内3、茨城県内1の計19局だ。

 甚大な被害を受けた地域の一つである南三陸町は5月17日に免許が交付され、「南三陸災害エフエム」(80・7MHz)が同日、放送を開始した。

 放送局のスタッフは、南三陸町が募集した緊急雇用に応じて採用された10代から40代の男女4人の計8人。そのうち20代後半の男性は地元紙での活動経験があるが、それ以外はメディア活動そのものが初めてだった。

 放送は、午前10時と午後3時に放送する1時間の放送が、それぞれ再放送、再々放送されて1日6時間放送している。内容は、町から提供される炊き出しや瓦礫撤去・仮設住宅

・ 事件などの生活情報、音楽のほか、スタッフが企画した自主制作だ。スタッフの企画には町の人だけではなく国内外、全国各地からやってきたボランティアも出演する。

 町には、外国人労働者や日本人と結婚した日本語が母語でない外国出身者も暮らしている。そういう人のためにと、タガログ語、中国語など6言語による情報提供も行った。同局は被災者とはだれを指すのか、多文化共生の視点に立ち、メディアに求められている役割を実践で示している。

 CS放送局の朝日ニュースターでOurPlanet-TVによる毎週30分の放送が決まっていた。4月29日の特番を皮切りに、7月7日に本放送がスタートした「ContAct」。こちらは完全に編集権をもったパブリック・アクセスである。

 放送の市民参加――それは、独りよがりでも、情報の垂れ流しでも、見るに堪えない素人仕事でもない。また、制作は自己完結でき、手間がかかる仕事でもない。

 テレビはつまらない、と言って見なかった人をも引き付ける可能性に富んでいる。放送局が経営に窮しているならば、ぜひ、新しい取り組みに挑戦してほしい。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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映像を途切れなく

 東日本大震災をきっけとして、日本の放送局として初めて、ユーストリーム上でライブ放送を始めたのは、TBSテレビだった。報道局のデジタル編集部の担当部長・鈴木宏友は、同社のニュース専門CSチャンネル「ニュースバード」の映像を、“ワンクリック”で切り替え、Ust(ユーストリーム)で流したのだった。さらに、世界のテレビ局で初めてYouTube(YT)上でもライブ配信を開始した。

 

 私が所属するデジタル編集部でも緊急地震速報を発すると同時に、震災を伝える特別番組が始まっていた。CSの24時間ニュース専門チャンネル「TBSニュースバード」だ。

 そのとき、「Ustはいけないのか」と大きな声が響く。今放送中の「ニュースバード」の特別弁組みをUstで配信できないのかという指示である。

 1年前、私は編成替えに伴い『NEWS23』のチーフプロデューサーからニュースのWeb展開を担当するよう辞令を受けた。デジタル編集部の業務は地上波以外のニュース、つまりCS放送、Web、デジタルサイネージ等への動画ニュース配信が主な業務である。

 Ustを使うにしても課題はある。まず、配信画面に出る広告を配信側がコントロールできない。これは、Ust上にTBSの公式チャンネルを開設することでTBSのコントロールとなった。もう一つは、画面の横に併設されるツイッターなどSNSの掲示板。いまや映像を見ながらの書き込みはWebの必須ではあるが、書き込みに対し配信側のTBSが責任を持つのか、という問題。実際やってみるしか結論が出ない手詰まり状態が続いた。

 ところが昨秋。

 菅直人vs小沢一郎という構図でまれに見る盛り上がりを見せた民主党の代表選、事実上、次の総理が決まる選挙だ。投票から開票まで全てを放送したいコンテンツだ。報道局、編成局からもWeb配信実験が許可された。動画ニュースサイト『TBSNewsi』には映像だけが埋め込まれ、Ustの『TBStv』ではツイッターの書き込みが流れた。

 この間、Web上のもう一つの重要なパートナーであるYou Tube(YT)とも定期的な意見交換を繰り返した。いざというときのパートナーとしてTBS報道局は向き合い続けた。

 そして3月11日。

 報道・編成・営業への連絡が完了した。17時42分、メディアビジネス局のUstチームがPCをクリック。「最大の緊急事態」の決断だった。「ニュースバード」がUstに流れ出す。TBSが、TV局の意思で、番組をWebに配信した瞬間だ。その1時間後、NHK、フジが動画配信会社側の要請によって配信を認め始めた(19時00分)。この際、他局は地上波をそのまま配信したが、TBSはCSのコンテンツである「ニュースバード」を選択した。かねてより会見などのライブ情報、1次情報を重視した「ニュースバード」の編成の方がWebとの相性が良く、地上波と同じものをWebに出しても意味がないとの判断だ。

 TBSはその間、YTと詰めの交渉を続けていた22時35分、世界のTV局で初めて、TBSがYT上でライブ配信を始めた。

 既存メディアに対する不信が危機的水準まで高まっている。これまでわずかなエッセンスだけ放送に使い、それ以外死蔵されてきた1次情報素材をWebで公開し、TV局が編集したニュースと見比べてもらう。TV局の編集作業の証拠を示す。見る側、伝える側、相互のリテラシーを高められる。その際、TV局と視聴者のコミュニケーションは何らかのSNSで行われていくことになる。Webとの対立関係にはならない。

 TVは一見、ツイッターの速報性に敵わない。しかし震災時のようなカオスの時こそ、信頼性を担保した組織的、物質的取材が求められる。まだTVの発信力は圧倒的だ。上から目線と叱られそうだが、Webに対し既存メディア、TVが責任を果たすべきなのだ。「TVを諦めた人達」がWebの世界にいるのなら、追いかけてニュースを伝えに行かなければならない。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
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東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

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ソーシャルメディアという新しい武器

 「東日本大震災はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、ブログ、ツイッターなどのソーシャルメディアが 普及して初めての大規模災害だった」。河北新報社のメディア局長の佐藤和文は、そう語る。

 

 東日本大震災は河北新報社のインターネット回線の最上位部分に打撃を与えた。社内にサーバーを置いてあったニュースサイト「コルネット」は、よく衝撃に耐えた。そのためニュース編集作業や社内での閲覧は可能だったが、ネット回線の断絶のため外部から閲覧できない状態が続いた。地震発生から15時間余り。電子メールシステムも途絶し、携帯電話、固定電話の回線も不調。文字通り外部との連絡を絶たれた。USBでつなぐネット回線が細々ながら生きていたため、遠隔地にサーバーがあった自社の地域SNS「ふらっと」をニュースサイト代わりに使い、かろうじてニュースを送り出した。

 「M9・0」のショックでまだ頭が働かない中で、今回の巨大地震とそれに続く巨大津波はSNS、ツイッターが普及して初めての大規模災害であり、多メディア環境にある地方新聞社としてもその活用を試みるべきだという思いがまず先に立った。

 SNSサーバーにニュースコンテンツを可能な限り送り込む一方、新聞紙面に毎日掲載されている大量のニュースや生活情報を再編集し、ツイッターで配信することにした。

 加えて編集局夕刊編集部とメディア局の記者が自転車で、仙台市中心部や多くの犠牲者が出た海岸部地域を回った。見たまま聞いたままを現地からツイッターで送信することを始めたのだ。そのために夕刊編集部とSNS「ふらっと」の公式アカウントを使った。ニュースサイト「コルネット」のツイッターアカウントは新聞コンテンツの再編集・配信用にと、現場の判断で使い分けが行われた。

 夕刊編集部とメディア局は、連日、被災現場の真ん中に向かう新聞の記者とは少し異なる位置で取材し、ツイッターを使って発信した。

 SNS「ふらっと」は、地震直後、ニュースサイトの代替機能を果たしたにとどまらない。震災と同時に「ふらっと」にはブログやコミュニティーを使って震災関連の情報が大量に流れ出した。河北新報社が地域のブロガーに呼び掛けてプロジェクト化した「街角ブロガー」「気仙沼ブロガー」を中心に、新聞記者が取材しようにも手の届かない情報や、読み手一人ひとりの心に届くような、多様な表現が流れ始めた感じがある。

 河北新報社のような地域に由来するメディアがインターネット、特にソーシャルメディアと連携することは何を意味するのだろうか。どんな手掛かりがあり、それをどうつかんでいけば、有意義な展開が開けてくるだろうか。東日本大震災を契機に急展開しはじめた状況に追いつくのは簡単ではないが、地域に由来するメディアに与えられた大きな試練の一つと考えるべきだ。新聞かネットかといった二者択一の論理からは一刻も早く抜け出さなければならない。

 地域に由来するメディアがソーシャルメディアと連携する上で参考になる考え方に、やはり米国で今、急速に進んでいる「ハイパーローカルジャーナリズム」がある。インターネットがもたらした急激な変化は、米国の伝統的な主流メディアの経営環境を極端に悪化させ、多くのジャーナリストが解雇された。その結果、主流メディアの取材が及ばない地域が数多く生まれた。主流メディアの地域切捨てを批判的にとらえたり、逆にビジネスチャンスを追求する非営利組織や企業が「超地域密着型」のメディアを多数生み出している。

 ハイパーローカルメディアを経営的に可能にするポイントは、①「オンライン」中心に可能な限り多様な展開を組み合わせること、②既存のメディアの取材が行き届かない地域あるいはテーマに徹底して付き合う「超地域主義」であること――この2点だ。米国の場合、これらの動きは従来の既存メディアの対抗メディアとして出現しているが、オンラインによる、より深くて広い地域密着の手法は、日本の地域メディアにとっても有効な戦略になりうる。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
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被災地に住む

 TBSテレビ報道局の森岡こずえは、3月11日、たまたま岩手県沿岸部に入った。「海鮮丼」の取材中に森岡は、被災した。TBSをキーステーションとするJNNは、宮城県気仙沼市に南三陸臨時支局を開設することになる。森岡は、6月11日、臨時支局に赴任するため、気仙沼駅に降り立った。

 

 入社して7年、番組制作しかしたことがない。バラエティ局から報道局に異動してからこの1年半も、夕方の報道番組内の特集枠を制作している。つまり、私は報道局員の名刺を持ちながらも突発的な事件や事故の取材をしたことがなかった。「海鮮丼」の取材をするために岩手県沿岸部に入ったのが、たまたま3月11日だった。

 午後2時46分、釜石沖での取材を終え、宮古市へと北上する国道45号線の上で、私を含む4人態勢のクルーはあの地震に遭遇した。カーナビは山田町、船越湾を指している。土地勘がないため、海を見つめる住民に安全な場所を尋ねようと車を降りたそのとき、初めて海の異常さに気がついた。

 津波が襲い、さっきまで穏やかだった海が、町を丸ごと飲み込んでいく。私たちがいる場所は、たまたま海抜50mの場所だった。しんじがたいその惨状を伝えるために、慣れないリポートを、必死で繰り返す。夕方までに系列局のある盛岡にテープを運搬し、放送に貢献しよう。

 私たちは、避難所となっている船越公民館で一晩お世話になりながら主愛を続けた。取材することでしか自分自身の置かれている状況を把握できなかったし、取材でもしていないと、この夢のような現実に自分が身を置いていることへの不安で押しつぶされそうだった。

 臨時に作られた道路を通り盛岡の放送局まで戻ってこられたのは翌日の昼前だ。山田の状況をいち早く伝えたい。すぐさま編集にとりかかった。あの避難所で「生きている」を伝えたかった。

 しかし、その日テレビでは、津波が町を襲うシーンばかりが繰り返し流された。もどかしさを抱えながら、私は放送局の会議室で横になった。

 ラジオから「山田町の△△さんの安否をご存知の方はお知らせください」というアナウンスが聞こえてきたのは、うとうととし始めた頃だった。私はローカル局のデスクに懇願しにいった。山田町の避難所の映像を持っている。その映像は安否を知りたい人が映っているかもしれない。それをテレビで流してほしい。懇願しながら、怒っていた。怒りながら、号泣していた。

 今振り返れば、非常に冷静さを欠いた、ひとりよがりの訴えだったと思う。未曾有の大震災に直面したローカル局を前にして、あまりに視野の狭い訴えだったと思う。

 帰郷後も、私は山田町のその後が気になってしょうがない。「被災地」に女性記者を送り込むことに後ろ向きな会社の網の目をくぐって、どうにかして山田に行く手段はないかと、私は探していた。チャンスは2週間後に来た。山田町にいる親戚に会いに行くという親子を見つけ、単身ハンディカムでの密着取材をすることになったのだ。あの町はどうなっているのか。

 後になって思うと、このときの訪問が、その後の私の震災取材の姿勢を形成したと思う。震災発生からの数日間持っていた「私が発信しなきゃ」という必死感は、この訪問を境に、良くも悪くもほとんどなくなっていった。あの晩を過ごした人たちと再会を喜び、嬉しい報告や悲しい報告を聞いた。初めて出会った人とも、すぐに打ち解けた。

 しばらくしても、別の被災地で取材をしながら、時間を作っては山田町を訪ねた。まるで私の兄や、親戚の叔母のようにふるまってくれるその人たちに、ただ、会いたくて、ただ話を聞きたかった。プライベートで会いにいくこともあったし、電話をかけてきて愚痴をこぼしてくれるときには「本音」に近づけたようで嬉しくもあった。

 そんな経験をしてきた上で、6月11日、私はJNN三陸臨時支局のある気仙沼駅に降り立った。志願したわけでもなかったし、一日でも早く帰りたかったというのが本音。支局仲間の中には、もっとずっと滞在したいと言う人や、楽しいと言う人もいたので人それぞれだろう。

 今、三陸支局で自分が何を感じながら記者をしていたかを思い返してみる。すると「頑張って」と言わないようにしよう、という赴任前に思っていた意識がなくなっていることに気づく。なぜだろう。誤解を恐れずに言うと、もしかしたら私は、避難所や仮設住宅、知人の家で暮らす被災地の方と自分を重ね合わせていたのかもしれない。これは山田町でも経験していないことだった。

 本来の居場所でないところで1カ月暮らしてみると、私が気仙沼で出会った人々は、自分と違うサイド、つまり、特別な“被災地”に住んでいる“被災者”ではなく、すぐ隣にいる気仙沼で暮らしている人になったのかもしれない。だから、「“頑張って”と言わないようにしよう」という意識が必要なくなっていたのだろう。頑張ってほしい人には「頑張って」と言えばいいし、いや、むしろ「頑張って」と声をかけられることの方が多く、この言葉を意識しなくなることは私のなかの“被災”に対する特別感が薄まったことの表れのおうに感じる。仮設住宅の一部屋でお茶をご馳走になったり、道に迷って通りすがりの車に支局まで送ってもらったり、取材を抜きにした付き合いの方が記憶に残っているのも、その影響かもしれない。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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火の海のなかで

 読売新聞東京本社。編集局のナンバー2である総務の松田陽三は、編集局にいた。

 永遠に続くかと思われた揺れの中、伝川幹・編集局長(当時)が席からすくっと立ち上がった。両手を大きく広げ、仁王立ちになって叫んだ。「みんな落ち着け、まず身の安全を図れ。次に号外の準備だ」

 読売新聞の取材拠点も津波で大きな被害を受けた。宮城県・石巻支局や岩手県・大船渡通信部の建物が水没した。幸いなことに現地の支局、通信部の記者は全員無事だった。

 九死に一生を得た記者もいる。気仙沼通信部の中根圭一記者は、公民館に避難した住民を取材中に津波に遭遇した。市街地に流れ込んできた津波は見る見る間に水位を上げ、公民館2階の天井に迫った。3階屋上に逃げた中根記者は「あと数メートル水位が上がっていたら、命がなかった」と振り返る。

 さらに、気仙沼港の石油タンクが津波に流され、漏れた重油に火がつき、公民館の周囲は文字通り「火の海」となった。中根記者は450人の住民とともに公民館に残され、ほとんど飲まず食わずで、二晩を過ごした。底冷えのする床の上の冷たさに、被災者はぐっすりと眠ることもままならず、立って寝るひともいたという。

 孤立した中根記者がようやくヘリで救出されたのは43時間後。こうした状況を取材カメラで撮影した動画は、ユーチューブにもアップされ、閲覧回数は6月上旬現在で630万回を超えた。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
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三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

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東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

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東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
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