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社内の批判にさらされて

 東京新聞・科学部の原発担当記者である、永井理は、そのとき編集局の自分の席で強い揺れに襲われた。

 編集局の自分の席にすわっていた。強い。「首都直下が来たか」と思った。背中に置かれたスチールロッカーが倒れかかってこないようすぐに振り返って手を伸ばした。

 都内の交通は麻痺してタクシーも拾えない。とにかく気象庁と東京大学地震研究所に人を出さなければ、どうしても必要だと言って社の車を出してもらった。私は地震研に飛んでいった。今から考えると、これも外れだったかもしれない。

 原発担当記者はふだん、大事故が起きたときのことを頭の隅に置きながら、日常的なトラブルの記事を書いたり、まるで修行のように委員会を傍聴したりして、いざというときに使える知識の引き出しを増やしていく。「S2の2倍の揺れ」「スロッシングでプール水漏えい」2007年の新潟県中越地震で壊れた東電柏崎刈羽原発ぐらいまでは、なんとか引き出しにある情報をひっくり返して追いつけた。

 これに対して「津波で浸水」「ドライベント弁」「海水注入」。福島第一原発の事故は、引き出しのどこにもない出来事であふれ返った。「水素爆発」の引き出しはかろうじてあっったが、取材したこのある浜岡原発1号機の配管爆発事故とは規模も質も大違いで、すぐにからっぽになってしまった。

 福島第一原発事故の取材班には、各地の支局から若手記者が集められた。

 あるとき、支局から来たばかりの記者が原子力・安全保安院に電話している声が耳に入った。「基本的なことで恥ずかしいのですが教えてください。原子力安全・保安院の会見で、なぜ経済産業省の審議官が答えているんですか?」。とてもいい質問だ。頭では分かっても違和感を肌で感じなくなっているベテラン記者の方がよほど恥ずかしい。

 自社紙面の1面下コラムに「原子力政策に無批判だった新聞」「無批判に記事を掲載したメディア」と二度も書かれてしまった。原子力を担当してきた記者はみな、言いたいこともあるだろう。でもここは何も言わず、素直な疑問をぶつけていきたい。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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終わりなき原発報道

  福島第1原発の事故は、放射能による環境破壊に関する終わりなき報道にメディ アが覚悟を決めなければならない、そう覚った事件だった。事故以前から、原発推進派と反原発派の激しい論争があり、メディアのなかでも社としての論を決めるために相克があった。専門記者たちは、過去と向き合いながら、進行する事故の現実を報道しなければならなかった。朝日新聞社の原発に対する社の姿勢は「yes but」となづけられた論だった。つまり、原発の必要性は認めるが、廃棄物などさまざまなマイナス面の施策が必要だ、というものだった。福島の事故を契機として、朝日新聞は段階的に原発からの脱却を目指す「脱原発」に社論を大きく転換した。

 大手新聞社の場合、原発報道は、科学的な側面は科学部が、東京電力など電力会社の経営的な側面は経済部が、原発を主管している経済産業省・エネルギー庁は、やはり経済部が、現場の環境被害など報道は、主に社会部や地元の取材拠点である支局や通信局が担当している。もとより、原発取材には科学的な知識が必要なので、科学部以外の部署でも、原発報道に関わる可能性がある記者たちは、原発の仕組みなど、基礎的な知識は常日頃から学習していた。

 朝日新聞社東京本社の前・科学医療エディター(部長)の大牟田透は、あの日を編集局のなかで迎えた。

 

 3月11日の地震発生直後から、当然、総掛かり態勢になった。科学・環境系、医療・医学系それぞれ3人計6人のデスクが、地震、津波、原発、被災地医療、被爆医療、総括といった分担で、記者の差配に動き出した。

 地震・津波で始まった取材は、午後4時前、保安院職員が詰めかけた記者を前に「15時42分、1F(福島第一原発)1-5、全電源喪失」などと書かれた紙を大声で読み上げた瞬間から、さらに緊迫の度が高まった。

 一報を受け「なにっ!全電源喪失?ECCS(緊急炉心冷却システム)が動かない?」と大声を上げたことを覚えている。電源確保のため電源車が向かっていると聞き、「まあ、最後は電源が回復してECCSが働き、ほっと一安心というパターンだろうな」と楽観していた。

 様子がおかしいと思い始めたのは、夜になってだ。3月12日午後に1号機の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛んだのを皮切りに、原発事故は次から次に拡大していった。

 1号機の爆発をテレビで見た直後、紙面づくりの総指揮を執る局長室へ駆け込み、「ここへ陣取っていいですか」と西村陽一ゼネラルエディター・編成局長(当時)に申し出た。「おう。ここに座れ」とゼネラルエディター横の席をあてがわれた。局長室詰めは、地震3週間の4月1日まで朝夕刊続けた。

 朝日新聞の今回の原発報道を振り返ると、大きくぶれることなく、事態の深刻な推移を比較的早め早めに伝えたのではないかという思いがある。爆発した1号機については当日組み紙面から「炉心融解」を見出しに取った。放射性物質の広がり具合を予測する国の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク(SPEEDI)」が動いているにもかかわらず公表されていないことを特報し、公開につなげた。さらに、その推定放出量からみて、少なくとも米スリーマイル島(TMI)原発事故を超える国際原子力事業評価尺度(INES)レベル6以上の事故であることも3月25日付朝刊で報じた。

 これらは「東電や保安院の発表には頼れない」という判断に基づく報道だった。一次情報を握る東電や保安院の発表が必ずしもあてにならない状況は、非常につらいものだった。

 解決策になったかどうか分からないが、窮余の一策が署名入り解説・論文の多用だった。長年原子力取材に携わってきた竹内敬二編集委員を中心に、さまざまな取材結果を総合して「現時点はこういう状況で、この程度の危険を覚悟する必要があるだろう」と、連日、かなり思い切って筆者の考えを書いてもらったつもりだ。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
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原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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感情を排して

  TBSテレビ報道局の「NEWS23クロス」のキャスターである松原耕二は、震災発生から5日間、夜の時間帯の特別番組を担当した。

 

 毎晩5時間にわたる生放送にもちろん台本などなかった。それどころか次の瞬間にどんな情報が入り、どこの現場と中継を結ぶかもわからない。新しく入ってくる情報を整理し、スタジオの専門家たちに問いかける。地震や原発に詳しいわけでもない自分にできるのは、一瞬一瞬を集中して、現実に向き合うことだけだった。

 震災から2カ月以上たって、1号機から3号機までの原子炉でメルトダウンが起きていたことを、東京電力が初めて認める。それも事故発生からさほど時がたっていない段階で、すでにその状態に陥っていたと分析した。

 すると、なぜメディアはそうした事態を伝えなかったのか、大本営発表を繰り返していたのではないか、というそしりを受けることになった。ところが発生直後に届いた声は、まったく逆のものだった。

 原発の専門家に、最悪のシナリオを何度も問いかけた。楽観的な見通しを示す専門家に対しては、バランスをとっておこうという心理もあったが、何より本当は何が起きているのか、誰も見ることができない原子炉のなかでどんな事態が進行しているのか、をしりたかったのだ。

 だがそうした問いかけは、なぜ煽るのか、なぜわざわざ不安を煽る必要があるのか、という反応を呼び起こすことになった。

 もっと報道してください。

 被災地でそんな言葉をかけられた。一度や二度ではない。被災者の口から何度もその言葉を聞いた。

 これまで記者という仕事を27年やってきて、こんな経験は初めてだった。災害現場でメディアの人間は、たいていの場合招かざる客だ。被災者から見れば、記者やカメラマンは厳粛な場所に土足で入ってくる心ない人種にも映る。

 福島第1原発から20キロ~30キロの範囲内は、当初、屋内退避地域に指定される。その結果、店は閉まり物資も届かない、いわば陸の孤島となっていた。スタジオから電話をつないで惨状を聞く、というメディアの姿勢を住民は醒めた眼で眺めていた。

 それだからだろう。南相馬市の桜井勝延市長は行くたびに「よく来てくれた」という言葉で迎えてくれた。JNNの取材チームは、おそらくメディアのなかでは例外的に屋内退避地域の取材を続けていた。取材する必要があれば放射能を管理しながら現場に入る、とういスタンスをとっていたためだ。

 言葉を失う。それでもリポートしなければならない。まるで空襲のあとのような……、いや違う、しかも私は空襲のあとを肉眼で見たことなどない。黙り込む。現場の惨状をたとえる言葉を探している行為自体が、後ろめたいことに思えてくる。

 結局、形容詞や副詞は排し、事実関係だけで言葉をつないだ。

 

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新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
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最初の6時間

 日本放送協会(NHK)「ニュース7」編集責任者の等々力健は、「はじまりは、いつもの警報音だった」と、  気象庁の高度利用者向け緊急地震速報の受信端末が鳴らした警報で始まった、最初の6時間を振り返る。

 

 2時46分48秒、緊急地震速報が発令された。総合テレビは参議院決算委員会の中継放送中だった。

 菅総理大臣の外国人献金問題などでこの日の国会は注目度が高い……、緊急地震速報は外れる可能性がゼロではない……と思っているうちに、放送センターが大きく揺れた。しかも長い。

 「間違いない!」。2時48分18秒、NHKは、すべての放送波8波で地震報道を始めた。

 スタジオの第一声は「国会中継の途中ですが、地震・津波関係の情報をお伝えします。いま東京のスタジオも揺れています」だった。

 放送からしばらくは「東北地方で強い地震、念のため津波に注意」という地震速報を、仙台・青葉区と石巻の固定カメラの激しく揺れる映像とともに繰り返した。

 大津波はいつ来るんだ、そんな思いがよぎった矢先、午後3時14分、釜石の固定カメラが異常を捉えた。

 港の岸壁を海水が乗り越え始めた。一気に流れ込む海水、1分もたたないうちに、トラックが流された。

 宮古、気仙沼、銚子、さらに八戸で、車が、漁船が、港湾施設が押し流され、街が津波に飲み込まれていった。

 想像を超える大津波の威力、私たちはさらにそのすさまじさを目撃する。午後3時54分、仙台平野の上空のNHKのヘリコプターが名取川河口付近に押し寄せた大津波を捉えた。田畑・住宅・車を黒い渦が次々に巻き込んでいく。ヘリはこのあとも海上を進む大津波を捉え、さらに仙台空港が水没し、多くの人がターミナルビルの屋上から救助を求めている様子を伝えた。そして、放送は1時間近く、このヘリが送ってくる宮城県から福島県にかけて海岸沿いの映像を中心に組み立てた。

 交通や通信の事情が極端に悪い中、この日の午後、東北の被災地から届く映像は、仙台や福島、郡山などの市街地からのものを除いては、このヘリの映像と各地の固定カメラの中継映像がほとんどすべてだった。しかし、ヘリのフライト時間には限りがある。仙台平野のヘリは午後5時前には海岸線を離れた。各地の固定カメラも非常用バッテリー(2-4時間分)の電源が落ちて、夕方から夜にかけてはほとんど使えなくなっていった。

 放送は途切れることが許されない。そして後戻りもできない。放送を出しながら、次はなに、次はなに、と選んでいくのが編責の役目だ。

 午後4時半ごろから、首都圏の情報を中心に津波以外のさまざまな情報が入るようになった。目だったのは、製油所の火災の中継映像で、ほかにも首都圏の鉄道の運転見合わせ、地震による土砂崩れの被害の情報などがあった。午後5時前には、東京電力福島第一原発で非常用ディーゼル発電機が一部使えなくなったという情報も入ってきた。

 伝えるべき情報がより多様になる中で、放送が大きく変わったのは、午後6時前の枝野幸男官房長官による「職場待機」の呼びかけだった。「帰宅困難者」による混乱が現実のものになろうとしていた。

 午後7時、通常ならば、「ニュース7」はその日のニュースをまとめて伝える。だが、休まず放送を出し続けてきたため、情報と映像を十分にせき止めるだけの時間がない。7-8時台も、大津波警報と帰宅困難者という二つの現在進行形のテーマをめぐって、いま何が起きているのか、何に注意が必要かを中心に伝えていくことになった。

 その中で、増えてきたのが原子力発電所にかかわる情報だった。女川原発1号機の火災、福島第二原発の「10条通報」(同法第10条に基づく原子力事業所から主務大臣への通報)、そして、7時台後半には福島第1原発の「原子力緊急事態」宣言と続いた。「緊急事態宣言」については、枝野官房長官の記者会見を中継し、専門記者がそれを解説するという、その後“定番”となる方法で10分以上伝えた。ただ、内容は、この時点では放射性物質が漏れ出ていないことを強調し、住民に落ち着いて行動するように呼びかけることに主眼を置くものだった。

 この時間帯、むしろより切迫感が増したと感じられたのは都内の帰宅困難者の状況だった。黙々と歩き続ける人びと、まったく動かない都心部の渋滞の車列、ターミナル駅の人だかり……。8時台後半は、主にこうした映像を流したりしながら、津波に対する警戒の呼びかけや、停電などのライフラインについての情報、それに新たな被害情報を伝えていった。

 そうして放送をはじめて6時間10分、東京駅の映像を最後に、編責業務を引き継いだ。

 

 中継映像を多用する中で、目に見える事象にとらわれて、肝心の情報を十分に伝えられないという問題が残った。大津

 波が確認されるまでの30分間、大津波警報が出されていたのに、放送は一時、東京都内の地震被害や火災の情報に振り向けられた。優先順位はどちらにあったのか。放送として単調なものになっても、愚直に繰り返し避難を呼びかけるべきではなかったか。反省すべき点だ。

 東京の「帰宅困難者」は目に見えた。被災地の「避難住民」は目に見えなかった。映像はなくても、被災地からの電話リポートなどで、もう一歩踏み込んだ情報提供ができなかったかと思う。

 さらにもう一つ、原発事故という目に見えない情報の扱いも難しかった。「緊急事態」が宣言されたことで、尋常ではないとの意識は確かにあったし、その分、時間をかけて伝えもした。ただ、その伝え方には「住民に無用の混乱を起こしたくない」という配慮が強く働いた。放送を引き継いでまもなく、午後9時23分、3キロ圏内の住民に退避指示が出された。残念ながら、そうした事態の展開を見通すことはできなかった。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
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「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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「東京発」は眠らない

 大地震が発生した翌日の3月12日夜11時55分、テレビ東京が、各局に先がけて定時のアニメ番組を放送するまで、在東京のテレビ局全てが報道特別特番を続けた。

 NHK放送文化研究所のメディア研究部は、各局の特別番組の特徴を次のように記している。

NHK総合 民放に比べると東京のスタジオからの情報発信に多くの時間を割き、発生直後から一貫して、原稿による情報の整理や余震・津波に関する情報提供・避難の呼びかけに重点を置いた。

日本テレビ 午後5時からの「ニュースevery,特別版」として、平時の夕方ニュースのキャスターがメインを務めた。被災者への呼びかけを積極的に行い、その内容は、避難所での寒さをしのぐ過ごし方や帰宅困難者への注意事項など、早くから今回の事故の「複合的な側面」に目配りしたものが多かった。

 民放各局にほぼ共通するが、日没以降は一貫して東北県域民放局のスタジオと結ぶ形式を多用し、ほぼ1時間に1~2回の割合で宮城・岩手・福島のスタジオとつなぎ、VTR・中継を含め、現地からの情報を伝えた。

TBS 夕方のニュース番組「Nスタ」のスタジオをベースに、地震・津波情報を伝えた。メインスタジオとは別のアナウンサーが1名常時張り付き、最新の情報はそこから伝えることを基本の形にしていた。この結果、メインスタジオは全体の流れの調整、解説、およびローカル各局とのつなぎ役としての機能にある程度特化して情報整理を行った。その分、視聴者へ「呼びかける」タイプの情報提供は比較的少なかった。

フジテレビ 前の時間帯から引き続き、報道フロアの一角にセットを設け、安藤キャスターが全体の仕切り役を務めた。他局と比べて、解説や報告の際にも中継やVTRの映像を早め早めにかぶせていく傾向があり、現場の映像を優先して織り込んでいく姿勢が見られた。

テレビ朝日 夜7時から「報道ステーション」の古館キャスターがメインで情報を取り仕切った。報道開始直後から、情報提供に加え、余震・津波への警戒の呼びかけが随時行われた。比較的早くから、自衛隊の動きに関する情報を伝えていたことが独自の特徴としてあげられる。

テレビ東京 スタジオでのアナウンサーによる進行と社員の気象予報士による解説、さらに報道フロアを設け各地の被害情報を担当アナウンサーが繰り返した。最も被害の大きかった東北の映像は少なかった。その一方で、他局が全く伝えることがなかった株や為替、企業の動きなど経済関係の情報を多く伝え、海外報道の動向を伝えるニューヨークからの中継も経済情報にからめて他局に先駆けて行われた。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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