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グーグルは得意技で 上

 グーグル・ジャパンは震災当日の3月11日、「パーソナルファインディング」のサービスを開始した。このサービスは、2005年に米国南部を襲った、ハリケーン・カトリーナの災害に対応して生まれたものだ。多くのウェブサイトが安否確認のサービスを開始したが、それぞれが別個にやっていたので、利用者が統合したサービスを求めたことから出発している。安否確認の巨大なサイト―それがパーソナルファインディングである。

 このサービスに登録された情報元は、被災地の宮城、岩手、福島の3県、警察庁、携帯電話各社の災害掲示などのほか、NHKや朝日新聞、毎日新聞といったメディアの安否情報である。

 日本語以外にも、英語、韓国語、中国語、ポルトガル語、スペイン語の情報も共有された。

 6月時点のデータ数は、約67万件だった。この数字は、2010年のハイチ地震の約5万5000件、チリ地震の約7万7100件を大きく上回っている。

 

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原発報道にツイッター 下

 NHK科学・文化部長の木俣晃は、ツイッターを活用したことについて、プラス面を次のように評価している。

 ツイートは当初、一方的な呼びかけや情報提供で始まったが、フォロワーが増え、質問が増えるにつれて、質問への回答も多くなっていった。さらに、放射線量への関心が高まってからは、ツイッターでブログへいざない、詳しい情報はブログで伝えるという手法も増えていった。結果的には、ツイッターの「速報性・簡便性」とブログの「記録性・無限性」を組み合わせて使うことで、テレビ・ラジオの放送を補う一定の効果があったのではないかと思う。

 ツイッターやブログに多くの意見が寄せられたため、人々の関心事や思いを感じながら仕事をすることができ、テレビの解説などにフィードバックすることもできた。さらに、ツイッターでは、1人の質問に答えることが同時に多くの人に伝えることになるため、結果として、新しい形の視聴者対応の役割を担うことになったと言える。

 その一方で、「ツイッターを使うことには覚悟がいる」と、木俣は率直に述べている。

 そもそもツイッターは簡単に情報を発信できる一方、一歩間違えると混乱を生む要因にもなり、相応の怖さを抱えている。安易に手を出すと大やけどをする代物である。

(科学・文化部ではツイッターに先立って)まずブログを運営することにし、利用を申請した。(NHKの)ツイッターについては業務利用ガイドラインに「厳選された者に限り例外的に利用を認める」と記され、厳しく審査される。ポイントは幾つかある。▽NHKの情報として世界中に公開されることの意味と危険性をよく理解していること、▽一定レベル以上のネットリテラシーとある種の覚悟があること、▽継続的に行える態勢があること――などだ。

 担当者は、まさに昼も夜もなく、ツイートを続けることになった。また、フォロワーとの関係があるため「親しみ」を込めて、日常会話的な表現をした方が自然なことも多い。さりとてくだけすぎても良くない。なかなか難しいものだと思う。ツイートについては、踏み込みの度合いや表現ぶりを含め、まさに模索しながら進んできたが、あらゆる意味において「視聴者のために」という意識があって初めて成り立っている取り組みであることは、肝に命じておきたいと思う。

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参考文献

新聞研究 2011年9月号
原発災害報道にツイッターを活用――テレビ・ラジオを補う効果
日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃

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 原発報道にツイッター 上

  福島第1原発の事故に際して、NHKがツイッターによって報道をした。ソーシャル・ネットワーク・サービスとメディアの関係が大きく変わる瞬間だった。

 その主体は、科学・文化部である。ツイッターのアカウントを取得したのは、大震災が起きた2011年の初めのことだった。災害報道に活用しようと考えていたわけではなかった。原発事故の直後は、ツイッターでつぶやかれている被災者の情報をチェックして、選択して放送することに利用していた。

 科学・文化部長の木俣晃は、災害報道にNHKのツイッターがつぶやき始めた瞬間を振り返る。

 

 担当デスクがツイッターでつぶやき始めたのは、(3月)11日夜8時を回ってからだ。翌12日の明け方までのツイート  は12件ほど。しかし12日午前9時すぎから急激につぶやきが増えている。この頃からは、ニュースを短く伝えたほか、菅総理や枝野官房長官の記者会見の内容を10から20の連続ツイートで伝えたり、テレビで伝えた記者解説の内容をツイートしたりしている。この日のツイート数は、293に上っている。その後も4月にかけてはツイート数が100を超える日も多く、かなりのヘビーユーザーだったと言える。

 フォロワーの数は、震災前日の3月10日に3千人ほどだったが、1カ月後には8万人を超え、3カ月後に12万人に達した。この間、フォロワーとのやりとりを繰り返す中で化学反応のようなものが生じ、その使い方や、伝える内容に少しずつ工夫が加えられていった。そして、テレビ解説と同じように、ツイッターにも次第に「新たな役割」が加わっていった。

 ◇     3月12日 避難20キロ圏に拡大

・     【原発19:22】みなさん念のため、テレビでこれまで放送した内容とおなじものをつぶやいています。

・     【原発19:22】原子力発電所から放射性物質が放出された場合、ヨウ素や希ガスといった気体のような状態で出るため、これらの物質から出る放射線の被曝を防ぐ必要があります。

◇     3月13 日頃 3号機で水素爆発

・     【被爆とは①】ご質問の多い被爆について、ご説明します。「被ばく」とは、放射線を浴びることです。私たちは、日常の生活の中でも、宇宙から降ってくる放射線や食べ物の中に入っている放射線などを、平均で、年間2400マイクロシーベルトを浴びています。

◇     4月17日 質問に答えるツイート例

・     3号機では584体の燃料集合体のうち32本、5.8%がMOX燃料でしたRT@×××3号機はMOX燃料を使っていると認識しています。間違いないですか?

・     私たちも当初から注視して複数の関係者に取材していますが、現在の炉の状態では、かなり条件が重ならないかぎり再臨界の可能性は少ないと見られます。RT@再臨界の可能性はないのでしょうか?

◇     ブログと連動したツイート例

・     【子どもの被ばく限度は1ミリなのか?20ミリなのか?】学校の安全目安をめぐってわき起こる多くの疑問。藤原記者の解説をブログに掲載しました。引き続きご意見、募集しています。http://bit.ly/h17O6Q

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参考文献

新聞研究 2011年9月号
原発災害報道にツイッターを活用――テレビ・ラジオを補う効果
日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃

 

 

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こちらは「とめさいがいFM」

 宮城県の北部にある登米市に本拠を置く、登米コミュニティエフエムは、震災のほぼ1年前の2010年4月4日に産声をあげた。震災発生のそのとき、音楽CDを紹介する番組を放送していた。

 代表取締役兼局長の斉藤恵一は、「防災を目的に作られた局でしたので、マニュアルこそ作っていなかったが、日ごろから話しあっていた災害時の行動に沿ってスタッフは対応しました」という。

 登米コミュニティーエフエムは、社員が3人、契約社員1人、パーソナリティーは全員パートである。現在「とめさいがいFM」として、従来の出力20Wから100Wに増力して放送している。

 

 こういう言い方は変ですが、もし津波が来なかったら、たぶん登米市が最大の被災地だったと思います。家屋などに被害が出たのは5360棟です。災害時、登米市は沿岸部の復旧復興の支援に当たる方針を出しましたので われわれもその方針に則って、現在も南三陸町の支援に回っています。

 局舎がある通りは、20軒から30軒程度の建物が全壊しましたが、放送を続けました。3月31日まで、24時間態勢でパーソナリティーはじめスタッフはスタジオに寝泊まりして常時、放送にあたりました。

 登米には、南三陸町から5時間歩いて避難された方、津波でずぶ濡れになりながら避難所までたどり着いた方、登米に来る途中の杉林で枝に子どもの遺体が引っかかっていたのを降ろしたり、足元が遺体だらけで踏まないと歩けないぐらいで「ごめんなさい」と言いながら避難してきた方、そういった方がたくさんいらっしゃいます。

 われわれは、仮設住宅で暮らす南三陸町の方々に、南三陸町の情報を届けようと一生懸命やっています。行政もそれを理解し、あと2年間、臨時災害放送局を継続する意向です。まだまだわれわれは、被災地の支援をしていきたいと思います。いずれ町を出て行った若い人たちが戻ってくれるよう、戻る場所があるよう、がんばっていきたいと思います。

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参考文献

新聞研究2011年8月号
市民による震災報道プロジェクト        OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
月刊民放 2002年1月号
被災地のメディアは何を伝え、被害者にどう利用されたか
――民放連研究所「東日本大震災時のメディアの役割に関する総合調査」報告会から

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 ラジオも「つぶやいた」

 福島市にあるラジオ福島はそのとき、ワイド番組を放送中だった。アナウンサーは安全の確保を繰り返しよびかけた。このときから、350時間連続の生放送が続くことになる。東京キーステーションとのラインや、インターネットが使えなくなった。番組スタッフが使っているスマートフォンでネットに接続することに気付いた。

 編成制作報道部長の伊藤直樹は、即座にネットを利用すると判断した。

  番組スタッフが持っていたiPhoneでネット接続ができることが判明し、早速Gメールのアカウントを取り、情報提供を呼びかけました。これが地震発生からおよそ2時間後です。この時点で、リスナーからメールで寄せられた情報をラジオとツイッターで発信する、ネット連動の災害放送がスタートしました。

 情報が欲しい、水が欲しい、携帯電話の充電器が欲しい、そんな声を放送と一緒にツイッターに出しますと、あっという間に情報が集まりました。ほかにも、避難所での過ごし方、哺乳瓶がないときのミルクの飲ませ方など、医師をはじめ、いろいろな専門家の方からも情報をいただきました。寄せられた情報は放送し、順次ネットにアップしていきました。

 課題としては、届いた情報を確認せずに全部放送していましたから、リスナーを混乱させるおそれがあったことです。1週間ぐらいで電話が復旧してからは確認した上で情報を取捨選択して伝えました。安否情報も、よせられてきたものをどこまでネットにあげていいのか、かなり大変でした。

 特に気をつけたのは、安心情報を伝えようということです。パニックを起こさせない、ストレスを感じさせない。リスナーに寄り添う。そして、聞きなれたアナウンサーの声で話すことに努めました。

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参考文献

新聞研究2011年8月号
市民による震災報道プロジェクト        OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
月刊民放 2002年1月号
被災地のメディアは何を伝え、被害者にどう利用されたか
――民放連研究所「東日本大震災時のメディアの役割に関する総合調査」報告会から

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