SankeiBiz 高論卓説 2018年8月30日 投稿
フィンランドの各地に延びる国鉄の発着地である、ヘルシンキ中央駅から徒歩で2分ほどの距離にヘルシンキ中央図書館(Oodi)はある。ガラスと木材を使った斬新なデザインの3階建てのOodiは、2018年末に開設された。欧米や日本など、都市デザインや起業政策の専門家が、視察に押し寄せている。最上階の図書フロアーは、サッカー場をひと回り小さくした広さがあり、書架が途切れると、床は緩やかに坂のように上り勾配となって、若者たちが幅の広い階段に寝そべって読書をしている。起業する若者たちを支援しているのが、2階のワークステーションフロアである。3Dプリンターを利用して玩具のロボットを組み立てたり、大型プリンターを使って新しいデザインの布地を試作したりしているチーム……
北欧の人口約550万人の福祉国家は、世界で初めて女性にも被選挙権を認めた成果を持ち、男女共同社会や、OECDによる生徒の学習到達度調査(PISA)の高い水準から教育制度に注目が集まったこともある。Oodiはそうした、福祉国家の実験の歴史に連なる。
EUに1995年に加盟、99年にはユーロを導入した、フィンランドは当初、ガラ系携帯電話で世界を席巻したノキアなどの工業と、農林産業のバランスがとれた「欧州の優等生」だった。ノキアの衰退やリーマン・ショック受けて、「欧州の病人」といわれる。
グローバル化によって格差が拡大し、高齢化が福祉国家を揺さぶる。政府純債務の対GDP比は2014年からEU基準の60%を上回って推移している。ジニ係数(1に近いほど格差が大きい、2016年)は0.25と国別では38位だが、上昇傾向にある。人口に占める65歳以上の高齢者(2018年)は、5位の21.6%である。
フィンランドが福祉政策の抜本的な改革のひとつの手段として18年から、実験に取りかかったのが、ベイシック・インカム(BI・無条件給付の基本所得)である。同志社大学経済学部教授の山森亮さんによると「現行制度がもつ、収入が途絶えたときの生活保障の基礎部分にあたる。基礎年金や雇用保険、生活保護の大部分は廃止されてベーシック・インカムに置き換わる」。給付について行政の審査が伴わない、無条件かつ個人を対象とする。
世界で初めての国規模の実験は、失業者から抽出した2000人に対して、2年間にわたって毎月€560(約6万5000円)を支給した。フィンランド社会保険庁(Kela)19年2月に公表した中間報告によると、受給者の変化を非受給者と比べると、健康感は増し、ストレスは減少している。しかし、BIの主要は目的である、安心して仕事を探せるので就労率が高まる、という想定は顕著に表れなかった。就労者が増加することによる、福祉予算の縮小は実現できないことになる。Kelaは、20年の最終報告書の作成までに国民的な議論の高まりを要望している。
「TheEconomist」の調査部門による、「政治民主主義度」の国別ランキングで6位を誇る国民の判断が、BIの世界的な成り行きを決めるといえそうだ。 (以上です)
政治経済情報誌「ELNEOS」9月号寄稿
「米中新冷戦」は、米国が中国製品に対する制裁関税第四弾において、スマートフォンや玩具など一部五五五品目の課税が一二月に先送りされた。
米中の制裁関税合戦の行方は、日本の企業の進路を大きく左右する。
企業の情報分析力が問われる。インテリジェンスの世界においては、公開情報が八割、人的な情報収集であるヒューミリエントが二割といわれる。
企業において、公開情報の収集にあたるのは、いうまでもなく広報部門である。官公庁の情報を収集する、渉外部門の情報収集能力も重要である。
「米中新冷戦」時代の日本の企業戦略を占ううえで、携帯電話会社による中国のファーウェー社の新型スマートフォンの導入は、大きな試金石である。
いうまでもなく、米中の関税の制裁合戦の端緒は、ファーウェーの通信機器による、中国政府のサイバー攻撃すなわち違法な情報収集にあった。FBIなどの調査を受けて、米国政府は二〇一八夏、ファーウェーとZTEの製品を政府調達から外すことを決めた。
KDDIとソフトバンクは、ファーウェーの新型スマートフォンを販売する方向である。これに対して、NTTの澤田純社長は「米中の状況が厳しい現状において、販売再開はお客様に迷惑をかけるのではないか」と、両社の対応に疑問を呈した。グループのドコモは、ファーウェーの端末の予約を停止したままである。
スマートフォンの製造のキーのひとつは、基本ソフト(ОS)である。ファーウェーはグーグルのアンドロイドである。トランプ政権は一時、アンドロイドの提供の停止を命じる意向を示した。
もうひとつのキーは、スマートフォンに組み込まれる半導体の設計である。これについては、ソフトバンクグループのアーム社がほぼ世界の市場のほとんどを握っている。アーム社はすでに、トランプ政権の意向に従って、ファーウェーからの受注を停止した。
ふたつの側面から、苦境に立たされているファーウェーは、独自のОSと半導体の製造を急いでいる。
トランプ政権で新設された国家通商会議のトップに就任した、対中強硬派のピーター・ナヴァロはカリフォルニア大学アーバイン校教授時代の著作「米中もし戦わば」(二〇一六年、文藝春秋社刊、赤根洋子訳)のなかで、米国の製造業が対中貿易において真っ二つに分裂している、と指摘している。
「一方の側には、中国の違法な輸出補助金によって大打撃を被っている無数の中小企業がある。……アメリカに本部を置く一握りの多国籍大企業が存在する。これらの大企業は生産拠点を中国に移し、製品をアメリカ市場に輸出することによって、中国の違法な輸出補助金や搾取労働や税金の抜け穴や大甘な環境規制を利用して大儲けしている」と。ナヴァロは、中国による通貨操作を止めさせることと、相殺関税についても論じている。トランプ政権は八月、中国を「為替操作国」に認定した。
グーグルはアンドロイドのファーウェーに対する供与について、水面下でトランプ政権と綱引きをしているのは間違いない。GAFAのロビイングの大きな課題のひとつである。ファーウェーの新型スマートフォンについて、NTTとKDDI・ソフトバンク分かれた判断の成否はまもなくわかる。 (以上です)
政治経済情報誌「ELNEOS」8月号寄稿
参議院選挙は、本稿執筆時点で新聞各社の終盤の情勢調査が明らかになり、与党と維新などの改憲勢力は、参院の発議に必要な三分の二に迫る勢いである。「安倍一強」に揺るぎはない。
今回の選挙戦の報道のなかで、若者の自民党と政権に対する支持率の高さに多くの紙面が割かれたようにみえる。
東京新聞は七月一日付の「若者の自民支持率はなぜ高い」のタイトルを掲げた。二〇一七年衆議院選挙における、共同通信の出口調査の結果として、一〇代が三九・九%、二〇代が四〇・六%と、全年齢層の三六%を上回っている事実をあげる。複数の大学生のインタビューを通じた、自民党優位の要因として「とりあえず現状維持」と結論づける。
日経新聞は同月六日付「政権支持 二〇代は七割」の刺激的な見出しで報じた。同社の六月の世論調査の結果である。六〇歳以上の支持率は四六%である。「これまで日本は欧米ほど世代間の分断は目立っていなかった。政権支持の背景を探ると、新たな兆しがみえてくる」としている。
早稲田大学社会科学総合学術院の遠藤昌久准教授と同大政治経済学術院のウィーリー・ジョウ准教授による最新刊の「イデオロギーと日本政治―世代で異なる『保守』と『革新』」(新泉社刊)は、政治信条の分断に関する今後の議論の出発点となる分析である。論壇のなかで高い評価を得ている。
政治と経済の関係について、企業のなかで最も鋭敏であるべき組織は、広報部門である。政権の政策によって、企業行動は変化を求められる。与党の支持母体について、「ファクトフルネス」な情報をメディアの報道のなかからすくい取って、経営層に上げなければならない。
「イデオロギーと日本政治」は次のように述べる。
「学術的にもジャーナリスティックにも共有されてきた、政党や政権に関する保守・革新イデオロギー上の相対的な位置への合意は、中高年の有権者の心の中には存在しているが、過去30年間に有権者となった若い世代にはいまや適用できない」
保守・革新イデオロギー上の位置について、12年の衆院選挙のウェブ調査の結果を引用して「40代以下の若い有権者が今日の日本政治において最も『革新』側に位置していると考えているのは、共産党ではなく、日本維新の会やみんなの党といった新党であった。これらの政党は規制緩和や、より積極的な外交政策を支持しており、他のコンテクストでは保守や右派として考えられているにもかかわらず、である」
高齢者と若者層の政治意識の断裂について、同著は対立軸として「保守・リベラリズム」とともに、「改革志向」というキーワードを提起している。両社を座標軸にとると、50歳以上では、」自民党が保守でありながら改革志向はトップである。共産党がリベラルのトップ、民進党が続く。両党ともに改革志向の側面で公明党と日本維新の会に及ばない。
49歳以下では、改革志向のトップが日本維新の会であり、自民党が続く。共産党は保守的なトップの政党であり、改革志向は最低である。「維新は『革新』、共産は『保守』」という政治意識と、自民党は「改革派」である、という若者の政治意識が参院選の結果を左右する。
(以上です)
政治経済情報誌「ELNEOS」7月号寄稿
日本のウォールストリート・兜町は、情報網が網の目のように張り巡らされた迷宮である。相場に関する情報なら、針が落ちた音でも聞き分ける。
わたしが「兜記者」だった時代は、細川護熙内閣が誕生する直前のことである。小沢一郎氏による自民党の分裂を背景として、政権交代の足音が迫ってきていた。来るべき総選挙に備えて、自民党は政治資金の提供を兜町にも求めてきた。
大手証券のある首脳との一対一の雑談のなかで、そのことを知ったわたしは、電話で資金の融通を申し出てきた自民党の首脳の名前とともに、朝刊の一面で特ダネとして事実を報じた。
記者の情報源の秘匿は、いうまでもなく破ってはならないメディアの根幹である。「秘密」の共有はふたりに限る。上司や同僚にも明かしてはならない。当然ながら、彼らもその主体を聞いてはこない。
兜町の情報網の恐ろしさを知ったのは、大手証券の首脳と一対一の取材であったにもかかわらす、報道の当日には他の証券会社の経営部門に近い幹部は、情報源のみならず、取材のおおよその日時まで知っていたことである。
兜町の情報収集の担当者の力量は、会社よりも、その人が日ごろ築き上げている、霞ヶ関の官庁街や日本銀行などの人脈にかかっている。とはいえ、その総合力において、野村證券の地位が筆頭格であることはいうまでもない。
その野村證券が情報網の陥穽に落ちた。東京証券取引所が第一部の活性化に向けて、企業の絞り込みについて諮問していた「市場構造の在り方等に関する懇談会」(座長・神田秀樹学習院大学大学院教授)のメンバーである野村総研のフェローが、本体の野村證券のリサーチ部門に対して需要な事項を漏らしたのである。
東証一部改革の要点は、一定以上の基準の企業について新たな特別の枠に入れて、それ以外は一部にとどめくというものである。この基準が焦点になっていた。時価総額によって判断されるとみられていた。それが二五〇億円になるのか、五〇〇億円になるのか。TОPIXに組み入れられるかどうか、といった思惑を呼んでいた。
「懇談会」のメンバーである、野村総研のフェローは三月五日、野村證券のリサーチ部門に「二五〇億円」の可能性が論議のなかで高まっていることを告げた。さらに同日と翌日にかけて、リサーチ部門は日本株営業の社員らに情報を伝えた。
東京市場が始まる直前に本支店で営業担当者を交えて「朝会」が開かれる。「二五〇億円」の情報は、さほど大きなものとしては捉えられなかった。東証一部改革の全貌が決まったわけではなかったし、上場株式指数にどのように反映されるかもわからなかった。その意味では「小ネタ」扱いだった。
野村證券の取締役会が、情報漏えいを認識したのは、一部報道機関によって報じられた直後の三月二九日だった。
野村證券の広報部門がことの重大性に気づくチャンスはあった。この取締役会に先立つ三月一六日付の日本経済新聞が一面トップで、「二五〇億円」ラインを報じた。朝会における「小ネタ」ではなく、重大な情報であること「がわかる。金融庁から業務改善命令を受けた。政府が保有する日本郵政株の第三次売却について主幹事を落選した。「小ネタ」の代償は大きかった。
政治経済情報誌「ELNEOS」6月号寄稿
企業ばかりではなく、大学やスポーツ団体などでも不祥事が起きている。上場企業に対する内部統制の規制の強化や、企業不正の検査の専門家の養成を目指す、国際的な組織である「公認不正検査士協会(ACFE)」の日本支部もある。公認不正検査士の資格試験を実施している。
不祥事が起きてから、さまざまな組織が立ち上げる、第三者委員会の報告書については、弁護士の久保利英明氏が委員長になって「第三者委員会報告書格付け委員会」も二〇一四年から活動している。報告書自体については、日本弁護士会が二〇一〇年にガイドラインを示している。
それでも、組織の不正はなくならない。かえって増えているのではないか。では、それは何故なのであろうか。あまりにも素朴な疑問に読者の微苦笑を誘うのを承知で議論を進めたい。
「不正は決してなくならない…『不正は起きる者である』」という、帯を巻いた「鼎談 不正¦最前線」(同文舘出版・二〇一九年二月)は、不正問題や内部統制、不正に関する教育・人材育成など、多角的に三人の専門家が語り合った。
日本公認不正検査士協会の評議員会会長の八田進二氏、理事長の藤沼亜起氏、日本監査研究学会会長の堀江正之氏である。
先の筆者の疑問を解く手がかりが、この鼎談のなかで八田氏が紹介している、ОECDが十年前に行った日本の監査制度の検証のなかにあるように思う。検証の目的は、日本の公認会計士の育成方法にあった。
八田氏が驚いたのは、検証の多岐にわたる議論のなかで、ОECDが「倫理教育はどうなっていますか?」と尋ねてきたことである。同氏は振り返る。
「『今の日本には、倫理を直接に扱った科目はありません』と答えると、『ないのはおかしい』と言うわけです。それで苦しまぎれに『あえて言えば、監査論の試験のなかでふれられているくらいです』と言いました。ところが、途上国の場合でも、監督論の領域の試験だと思いますが、そのなかの2割くらいは倫理関係の内容が占めるそうです」
「関係者のなかには、日本の公認会計士は極めて優秀で、試験の合格率も数パーセントであり、アジアの会計士とは品質が違うと発言した人がいました。そうしたら、倫理教育をやっていなくて、どうして質が高いと言えるのですかと問われ、一同、言葉に詰まりました」
企業や組織の会計的な不正を糺す公認会計士の資質に「倫理」が欠けていては不正の真相に迫れない。法曹資格である弁護士もまた、そうである。顧客である企業や組織に対して、経理にかかわる法規ばかりに準拠していては、社会が納得する第三者委員会の報告書も十分なものにはならない。
IT企業の広報部門で働いていたときに、ある傘下の企業の正当な売却にあたって、この売却を阻止しようとした企業のなかに、コンプライアンスの専門家として知られる弁護士が加わっていた。「顧問弁護士」の名のもとに、「倫理」に欠ける仕事ぶりには驚かされた。企業の不正のカゲには、倫理なき専門家がいる。