政治経済情報誌「ELNEOS」6月号寄稿
新型コロナウイルスに関する偽情報をSNで通じて受け取った人は多いと思う。
筆者の記憶では、中国・武漢の病院に勤務する看護婦と称する人物からの予防法に関する情報と、日本国内の著名な病院の医師による医療崩壊の情報があった。
リツイートに次ぐリツイートによって、既存のメディアでも取り上げられ偽情報であることが断定された。た。そもそも情報の発信者が、所属する組織を代表して発信できる立場ではないと推定されることから偽情報の疑いが濃い、と分析するのが広報パーソンをはじめとするプロの常識である。
メディア史家である、京都大学教授の佐藤卓己氏は『流言のメディア史』(岩波新書・二〇一九年)のなかで、次のように「新型コロナウイルス時代」の今日を予言している。
「誤情報はすべて排除して正しい情報のみを残すべきだ、そうした主張は歴史上しばしば『表現の自由』を抑圧する権力側の口実としてりようされてきた。……『正しい情報』のみが伝えられた全体主義国家、たとえばナチ第三帝国であれ、ソビエト連邦であれ、それは流言にあふれた社会であった」
「マスメディアの責任を追及していればよかった安楽な『読み』の時代はすでに終わり、一人ひとりが情報発信の責任を引き受ける『読み書き』の時代になっている。こうした現代のメディア・リテラシーの本質とは、あいまいな情報に耐える力である。この情報は間違っているかもしれないというあいまいな状況で思考を停止せず、それに耐えて最善を尽くすことは人間にしかできないことだからである」
「新型コロナウイルス時代」の偽情報に対して、最善を尽くしているのは、欧州対外行動局(EEAS)である。この機関は、EUの外交機関の位置づけで、各国の外務・安全保障の上級代表によって構成されている。
パンデミックに関する情報の波及の在り方や偽情報について、EEASは定期的に分析してリポートしている。
偽情報の発信元として、ソ連と中国の存在が浮かび上がる。もとより両国はEEASに対して自らの行為を否定している。
・クレムリン派の情報源は「EUが新型コロナウイルスによって「解体」していると広めている。
・中国当局は、パンデミックに関する情報を統制し続けている。国境なき医師団(RSF)は当局による「統制と検閲」がなければ、おそらく現在の大流行を回避できた。
・中国の在イタリア大使館は、ツイッターによって新中国のハッシュタグのツイートをロボットによって何千も流した。イタリアにおいて、中国が友好的である、と考えている人が一月の一〇%から三月には五二%に上昇した要因と考えられる。
先の新書の著作者である、佐藤氏が、あえて「流言」とタイトルにうたっているのは、戦前から終戦直後の怪文書やデマが歴史に少なからず影響を与えていることを実証しているからだ。フェイク・ニュースの泉源を学ぶ好著である。
(以上です)
政治経済情報誌「ELNEOS」5月号寄稿
新型コロナウイルスによる、パンデミックはついに、日本政府が対象地域を全国に広げる非常事態宣言を発する事態になった。企業のあらゆる組織は、ウイルス対策に関する情報の収集を続けている。
メディアのあふれる情報のなかで、筆者が最も注視すべきである、と考えているのは、厚生労働省が二月下旬に設置した、専門家チーム「新型コロナウイルス対策班」である。
リーダーの東北大学教授の押谷仁氏はWHО(世界保健機関)において、SARS(重症急性呼吸器症候群)の封じ込めの指揮を執った。感染症数理モデルの第一人者である、北海道大学教授の西浦博氏は日本における感染症の拡大の要因として、「密閉」「密集」「密接」のいわゆる「三密」の存在を国内の感染者の分析から発見、警告を発した。
政府や地方自治体に対して、独立した立場で提言するために、無給であることに驚かされる。さらに、危機感からチームのメンバーがSNSなどを通じて情報発信をしている。
情報分析のプロフェッショナルたる、広報パーソンはこのチームの発言の分析を経営層に伝える任務がある。
列島の全体が非常事態宣言に覆われる直前の四月一一日、押谷教授はNHKスペシャルの番組のインタビューに答えて、次のように述べている。
「いかにして、社会や経済活動を維持したうえで(新型コロナウイルスの)収束を図るか。都市を封鎖して、再開し、また封鎖するようなことがあれば、経済も社会も人の心も破綻する」
「その先にあるのは、闇です。そんなことをやってはいけない」と。
企業の組織にとって、社会と経済を闇に突入させない防波堤は、広報と法務部門である。このシリーズで、いまは亡きIT企業の実質的な創業者から直接聞いた「法務と広報は、企業のブレーキ役である」という言葉を紹介したことがある。
パンデミックは、国際的な契約から国内の雇用関係などに至るまで、法務部門がかつて経験したことのない事案を抱えることになるだろう。広報部門との連携がさらに試される。
係争の場となる、裁判所もまたこれまでにない提訴を受けることになるだろう。
裁判手続きに関する法律書は当然のことながら、数々ある。公平にして、かつ独立した裁判官によって判決が書かれる、とされてきた裁判所について、官僚機構としてアプローチした著作は極めて少ない。
パンデミックの危機において、裁判所の内部を穿った著作の存在があれば、法務部門が企業を闇に突入させることを避ける一助になるのではないか。
ジャーナリストの岩瀬達哉氏の最新刊『裁判官も人である』(講談社刊)は、そうした使命感を抱く企業人にとって、必読の書である。
岩瀬氏は、百人を超える裁判官に対するインタビューによって、歴史的に司法権が行政権によって、牽制されてきたことを明らかにしている。あるいは、司法権が行政権を慮る実態にも迫っている。
裁判所に信頼を寄せる人々の救いとなるのは、本書の副題の「良心と組織の狭間で」良心に従って判決を下す幾人もの裁判官たちの存在である。
岩瀬氏の過去の作品同様に、けれん味のない真摯な文章が読ませる。
(以上です)
新型コロナウイスの感染拡大を受けて、安倍晋三首相は二月二九日に初めて記者会見に臨んだ。首相は緊急対策の第二弾として、ウイルス検査体制の強化策などの説明に冒頭の二〇分近くを使い、記者の質問に答えたのは二〇分弱だった。説明にはプロンプターを使い、質問には手元の想定問答の答えを読み上げた。
この記者会見は、メディアやネットの有識者のコメントをみるとすこぶる評価の低いものだった。首相が説明した第二弾の内容をみると、空疎な中身とは必ずしもいえない。
学校の急行によって仕事をやすまざるを得なくなった保護者には、賃金を補てんするための企業向けの制度を新設することや、医師が必要と判断したすべの患者にウイルス検査をするとともに、その費用については三月第一週から健康保険の対象とすること、など多岐にわたっている。
安倍首相の説明がメディアやネットの識者に響かなかったのは、従来からの「反安倍」の感情ばかりとはいえないだろう。
ここでは、マネジメントとう補助線を引きながら、安倍首相のトップマネジメントのありようを考えてみたい。日本経営者の多くが教科書としている、P・F・ドラッカーの「マネジメント【エッセンシャル版】――基本と原則」(二〇〇一年一二月刊、上田惇生編訳・ダイヤモンド社)を手がかりとしたい。
「トップマネジメントに課される役割は、各種の能力、さらには各種の性格を必要とする。少なくとも四種類の性格が必要である。『考える人』『行動する人』『人間的な人』『表に立つ人』である。これら四つの性格を合わせて持つ者はほとんどいない」
「トップマネジメントにはそれぞれの流儀があり、それぞれ自分なりの役割を決めればよいという考えはナンセンスである。……トップマネジメントとは何であり、何でなければならないかは客観的に規定される。引力の法則が、その朝物理学者が食べたものと関係がないように、トップマネジメントの役割はその座にある者の流儀とは関係ない。……トップマネジメントの役割が多様な能力と性格を要求しているという事実とが、トップマネジメントの役割のすべてを複数の人間に割り上げることを必須とする」
ドラッガーはトップマネジメントの役割を例示する。➀目標の設定、戦略計画の作成、明日のための意思決定②組織をつくりあげ、それを維持する③トップの座にあるものだけの仕事として渉外の役割⑤重大な危機に際しては、自らから出動する、著しく悪化した問題に取り組む。
「マネジメント」を座右の書としていた、IT経営者のもとで働いていたとき、危機に際して彼は昼夜をおかずに対策会議を主催し、記者会見を一手に引き受けた。会見は記者の質問がなくなるまで続けた。
安倍首相の会見後、自民党のコロナウイルスに関する対策本部は提言をまとめて、政府の広報について「専門家とともに首相による情報発信を強化する」ことを提言した。
政府がコロナウイルスという危機にあたっては、広報の手法ではなく、トップマネジメントが問題である。
(以上です)
政治経済情報誌「ELNEOS」2月号寄稿
警視庁公安部が通信大手のソフトバンクの元社員・荒木豊容疑者を在日ロシア通商代表部の幹部職員に対して不正に機密を漏洩した、として不正競争防止法違反容疑で逮捕したのは一月下旬のことである。
同社が二月七日に開いた二〇二〇三月期・第三四半期の決算会見において、宮内謙社長は元社員が持ち出した情報は、基地局づくりの手順書だったことを明らかにした。そのうえで、「(元社員の容疑者は)まじめな人だが、ロシアの古典的なスパイ活動にはまってしまったということではないか」と推定してみせた。
「通信の秘密、機密性の高いものにはタッチできなかった。そこは安心していただきたい」――宮内社長が謝罪の言葉のあとに付け加えた理由は、ソフトバンクグループのインターネット接続サービスの子会社がかつて、加入者の個人情報を契約社員に盗まれ、宗教集団の幹部の手に渡って恐喝された事件である。
ロシアの諜報活動からみれば、人的接触すなわちヒューミントによって得た、基地局の手順書は十分な成果であったといえるだろう。
手順書の詳細は明らかにされていないが、基地局の位置や導入されている機器の生産国や機能がわかれば、ロシアはインターネットによる攻撃や諜報がやりやすくなるだろう。
ヒューミントは古典的なスパイ活動とはいいきれない。諜報活動はいま、確かにサイバー空間のインテリジェンスの存在が高まっているが、ヒューミントは依然として諜報の大きな柱である。
今回のロシアによるスパイ事件から、ソフトバンクが教訓を得るとするならば、加入者の利益を守ることは当然ながら、「国益」を担っている企業としての自覚の必要性だろう。
中国の世界的な通信機器大手である、ファーウェーの製品について、米国政府が一昨年、国内の通信会社にその使用を禁じたのを受けて、日本政府が企業名を明らかにしないながらも、追随する方針を明らかにしたとき、ソフトバンクの反応はいささか反発ぎみであった。
最近では、次世代通信の5Gの新規投資において、ファーウェーの機器を使用しないことを約する軌道修正を行っている。
いうまでもなく、諜報活動はそれぞれの国家の「国益」の達成のために行われている。グローバリズムの進展によっても、国民国家の壁が崩れたわけではない
広報パーソンと渉外部門の役割は、メディアが発している情報と官公庁などの情報の海のなかから、「国益」にからむ諜報について重要な一片を拾い出すことにある。
ファーウェーの問題については、英国のテリーザ・メイ政権下の昨年五月、ギャビン・ウィリアムソン国防大臣の解任事件がそれにあたる。英国メディアが、ファーウェーの通信機器が通信の秘密を脅かす通路(ホール)を英国政府はすでに見つけ出しており、それを塞げば利用が可能だ、と結論づけたと報道したことに端を発する。英政府の調査の結果、情報源が特定されたのである。サイバー・インテリジェンスの専門部署でなければ、ホールは発見できない。日本の新聞はこの事件をベタ記事で伝えていた。
政治経済情報誌「ELNEOS」2月号寄稿
政府は通常国会に「GAFA」と呼ばれる世界的な巨大IT企業について、個人情報保護法の改正案と、独占禁止法の「優越的地位の乱用」を、個人に対しても適用できるようにする同法の運用指針などを提出する。
巨大IT企業が個人情報を握って、さまざまなビジネスに生かそうとしているのは間違いない。しかし、我々を監視しているのは、先進諸国の政府そのものである。市民も企業も「監視社会」のなかにいる。
米国の国家安全保障局(NSA)と中央情報局(CIA)の元局員である、エドワード・ジョセフ・スノーデンの自伝の最新刊・邦訳「スノーデン 独白 消せない記録」(河出書房新社・山形浩生訳)は改めて我々の世界認識を根底から覆した。
「スノーデン事件」と呼ばれる一連の彼によるNSAの内部文書の暴露は、世界の主要なメディアの調査報道チームとの連携によってもたらされた。
「NSA文書を見ても、そこにあらわれた最も深い秘密として実施されている大量監視の世界的なシステムについての話が理解されにくいのはわかっていた――あまりにもよじれて専門的な話なので、それを一気に『文書ダンプ(dump・投げ出すこと)』として提示するのは無理だ。ジャーナリストの辛抱強く慎重な活動を通じて提示されなければならず、しかも思いつく最高のシナリオでは、それは複数の独立マスコミ組織の支援で実施されなければならなかった」
スノーデンとジャーナリストとの共闘の第一弾は二〇一三年六月、英国のガーディアンが放った特ダネである。NSAは毎日、米国の電話会社の通話記録を数百万件収集しているほか、巨大IT企業が個人情報の収集に協力していた。
「その文書の解釈を手伝う以上のことさえ必要があるかもしれない。彼らのパートナーとなって、正確かつ安全に報道を助ける技術訓練とツールも提供しなければならない」
ジャーナリストとのメールのやり取りにおける鉄壁な暗号化であり、持ち出した文書を保存した記録媒体について二重三重の暗号化をほどこして、捜査当局の手に落ちても解読できないようにすることなどである。
日本のメディアのなかで、スノーデンはNHKを選んだ。「クローズアップ現代+」は一七年四月、ネット上の電子メールや通話記録を個人別に検索できる「XKEYSCORE(エックスキーソコア」をNSAが、日本政府に提供したことをスクープした。
「国の自由は、その市民の権利尊重によってしか計測できず、こうした権利は実は国の権力に対する制限であり、政府がずばりいつ、どこで個々人の自由の領域を侵犯してはいけないかの定義だと僕は確信している。これはアメリカ独立革命では『自由』と呼ばれ、インターネット革命では『プライバシー』と呼ばれるものだった」
情報漏洩防止の最前線に立っている、広報パーソンにスノーデンの自伝を勧めたい。捜査当局に手の内を探られるのを避けているが、「監視社会」を生き抜く方法は学べる。