ブログ

「編集長」は時代と切り結ぶ土俵から降りるな

2012年10月10日

このエントリーをはてなブックマークに追加

 あらゆる広告のなかで、代理店にその制作を任せない唯一のものはおそらく雑誌だけである。通勤電車のいわゆる中吊り広告はいうまでもなく、新聞広告も。かつてはラジオで「週刊新潮は本日発売です」のスポットCMもあった。

  雑誌の売り上げを決めるスクープや特集の原稿が書き上がっていない段階で、広告の原稿は編集部によって作られる。副編集長つまりデスクがその原稿のタイトルを考えるが、最終的には編集長の責任で決定する。

  編集長が決めたタイトルの方向性に向かって、編集部員や契約ライターは、原稿を一気にまとめあげていく。印刷にかける締め切り時刻をにらんで、デスクは原稿を仕上げる。

 編集部が混然一体となって編集作業に取り組む最終日は、緊迫と興奮の瞬間である。

  「発行人 鈴木章一 編集人 藤田康雄」

 講談社の週刊現代6月23日号を地下鉄の売店で買う。背表紙の左に小さな文字で、編集長の名前が刻まれている。2009年6月から編集長を務めていた鈴木が、週刊現代やフライデーなどニュース雑誌を統括する第1編集局長に昇格して、藤田が後任に就任して2カ月近くが経つ。週刊現代は、週刊新潮、文春、ポストと並んで「週刊4誌」といわれる名門誌である。鈴木は、20万部台まで凋落した週刊現代を、号によっては50万部を超えるまで引き上げた。50代になったばかりである。編集長は実は、二度目である。1998年3月から30代の編集長として登場した。本人にとってあまりうれしいことではないだろうが、いまや講談社の「天皇」といわれつつある。

  今週号の表紙もまた、鈴木が今回の編集長時代に開発した中吊りのよう文字主体である。

  「伝説のファンマネジャー ジム・ロジャーズ『どこの国の国債も買ってはいけない』」

 「この男以外に誰がいるのか『それでも橋下徹』」

 「世界恐慌前夜 あなたの預金が溶けてなくなる」

 「菊地直子と高橋克也 6000日のオウム逃亡ノート」

  週刊現代の復活は、政治と経済のいわゆる硬派モノを柱にしたことでる。ページを開けば、やはり低迷から脱出させた名編集長の元木が名づけたとされる「ヘアヌード」も、熟年のセックスものもある。あえてそうした軟派を正面に据えずに硬派を表にだしている。月刊現代が休刊後に、編集長から週刊に異動した高橋明男がこの分野で手腕を振るったと聞く。編集長交代間もないこともあって、鈴木路線はあまり変化がないようにみえる。

  「栄光」の鈴木が出版業界で話題になるのは、雑誌の売り上げに歯止めがかからないからである。新聞・雑誌の部数の調査機関である日本ABC協会によると、2011年下期(7月~12月)の平均発行部数は、1,970万部で前年同期に比べて、6.4%も減少している。月刊誌は7.7%減、週刊誌は5.6%減である。

 「週刊4誌」をみると、現代が8.0%増、やはり路線を変更して低迷から脱したポストが7.6%増、文春が2.1%増、新潮はほぼ横ばいである。

  国民雑誌といわれた月刊文藝春秋と一時代を風靡した朝日新聞出版のアエラ、そして名門経済雑誌である週刊ダイヤモンド――それぞれの編集長の物語がこれからである。

 ABCの上記の同じ期間の調査によると、月刊文藝春秋の平均部数は34万4000部で前年同期比9.6%減である。100万部を誇った伝統はまったく失われている。アエラは8万6000部で7.9%減、創刊時やその後キャリアウーマンにターゲットして、20万部から30万部の大台を超えた面影はない。ダイヤモンドは9万1000部で13.7%減である。経済誌のなかでは、日経ビジネスとプレジデントには及ばないが、ライバルの東洋経済を大きく引き離して10万部台を超えていた勢いは失速している。

  「雑誌は編集長のもの」と象徴的に語られる。そのことの意味は、編集長は自由に雑誌を作ることができるが、売れ行きが落ちれば更迭されるということである。

  月刊文藝春秋とアエラ、週刊ダイヤモンドで昨年末から年明けに起きたことは編集長の交代、なかんずく新編集長が2度目の再登板だったということである。文春の木俣正剛、アエラの一色清、そしてダイヤの鎌塚正良である。それぞれ最初の編集長時代に企画をヒットさせ、洛陽の紙価を高めた。3人の起用は偶然ではない、と筆者が考える。

 彼らはそれぞれ1978(昭和53)年春に入社し、記者あるいは編集者としての道を歩みはじめた。

団塊の世代に続く世代である。同世代の人数は先行する世代のおおざっぱにいって半分である。団塊はその数の多さから、就職と結婚が将来困難になるといわれた。高度経済成長は彼らを大企業に向か入れ、同級生結婚によって結婚難も簡単に超えた。しかしながら、ポスト団塊の世代は石油危機に遭遇して、就職難の時代を乗り越えなければならなかった。

 出版社も新聞社も、採用を絞ったのである。編集長の適任者の不足の遠因である。後続の世代にとっては、チャンスでもあったろう。しかしながら、編集者、編集長は職人であり、先輩の技を盗みながら成長するものであるのに、学ぶべき先輩の絶対数が少なかった。

  経営者の道を歩み始めた文春の木俣とダイヤの鎌塚、テレ朝の報道ステーションのキャスターにいったんは退いた、一色が再登板した陰で、後輩編集長の悲劇があったとするなら、それはかつての経営陣が、人材採用と養成に長期的な視点を欠いていたことが大きいと思わずにはいられない。

  週刊現代の鈴木が再登板によって、誌勢を回復したような結果をこれらの編集長に求めるのは酷であるように思う。それは年齢ではない。経営者となり、評論家ともいえるキャスターとなって、編集者、編集長が絶え間なく時代と切り結ぶために、多方面の人と会い、本を読み、公演に行く、という「現役」の土俵からいったん降りたからである。

 編集長として、読者に現代を切り取ってみせるために感覚を磨いていた日々と、再登板までに彼らが過ごした時間はあきらかに異なっていると思う。

  「編集人 島田真 発行人 木俣正剛」――木俣が早々に再度の編集長から、発行人に戻ったのは賢明であったろう。ダイヤは、鎌塚が編集長ではあるが、副編集長による集団指導体制を選んでいるようだ。特集などについて、鎌塚が編集長としての実権をふるう機会はほとんどないと聞く。雑誌の編集長としては異例である。おそらく副編集長のなかから、次期編集長を起用するまでの過渡的な体制のようにみえる。

 ダイヤを一般的な経済雑誌から、特集のかなりのページを割いて、あたかもムック本のような体裁を整えて10万部雑誌にしたのが、鎌塚であった。「保険」であり、「介護」、「病院」であった。

 しかしながら、ヒットを飛ばした、ワンテーマ特集も繰り返しているうちに、読者の購買意欲は息切れがする。副編集長の集団指導体制のなかで、次のヒットを模索しようとしているのが痛いほどわかる。

  「セブン、イオン 二強が大攻勢 『最後の流通再編』」(6月16日号)

 「家電敗戦 失敗の本質」(6月9日号)

 「ネットの罠」(6月2日号)

 「老後難民になれない!資産運用の鉄則」(5月26号)

  編集後記は「From Editors」である。単数なら編集長を意味する。鎌塚はカゲに隠れている。

  アエラの一色はどうか。「編集長敬白」である。編集長の采配を楽しそうにふるっているようにみえる。

  「会社の不条理 『残業代』を取り戻せ!!」(6月18日号)

 「1000人調査 幸福な60女 不幸な30男」(6月11日号)

 「『抜擢人事』の天国と地獄」(6月4日号)

  新聞社系の雑誌は、新聞製作のシッポをどこか引きずっているところがある。編集長の主導よりも部員から上がってきた企画を重視する傾向が強い。一色アエラは、雑誌として前の編集長時代よりも、一冊の商品としてみたときに破調がなく整って完成度が高いと思う。しかしながら、そのテーマはビジネス誌がかつて何度も取り上げたテーマが多いのではないか。

  編集長の経験がない筆者が、編集者のできを採点できるのかという根源的な問題が横たわっている。大相撲の世界で「栃若時代」を築いた横綱栃錦が負けたときに、酷評した相撲記者にこういったというではないか。

 「そんなにいうなら、いっちょ相撲を取ってみるか」と。

  編集長として、その雑誌の部数を増やして声明を高めた人材は、選ばれし者である。編集長のポストは後輩に譲ってもよいが、編集の土俵から降りることはない。時代と切り結びながら、読者が求めるものを考え続けられるのは、天賦の才能である。

  『編集者 齋藤十一』(冬花社)は、新潮社の天皇と呼ばれた、伝説の編集者である齋藤十一の7回忌を記念して妻の美和が編んだ追悼集である。部下たちばかりではなく、秘書役の女性社員、近隣の人々、親戚、齋藤家の家事手伝いをした女性など、40人以上が思い出を綴っていて、筆者は読むたびに、齋藤の人柄と教養の深さに感嘆する。

 齋藤は芸術新潮と週刊新潮を創刊し、実質的な編集長だった。写真週刊誌「FOCUS」を創刊した時は60代だった。その後「新潮45」の全面リニューアルを指揮した。1997(平成4)年3月相談役に退く70代後半まで、週刊新潮のタイトルと5、6本つくっていたといわれる。

 雑誌低迷の時代に、齋藤十一の再来が待たれる由縁である。

  講談社の鈴木にはまだまだ時間がある。アエラの一色にもチャンスはある。朝日新聞出版社の次期社長は、出版の経験がない新聞の人である。新聞と雑誌の異なること、陸上競技の1万メートと5000メートルの違いではなく、水泳との隔絶と同じ世界であること、経験者でなくてはわからない。(敬称略)

  nikkei BPnet    「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120406/304866/?ST=business

 

このエントリーをはてなブックマークに追加