就寝前のベッドのなかで、スマートフォンを手にとって、ニュースを見る。冷たい寝具が体温でぬくもってくる。朝目覚めてみると枕のかたわらに、画面が開いたままの端末がころがっている。
ニュースがつくづく好きだと思う。スマートフォンの画面をスライドさせていく。「NIKKEI」――日経電子版である。「FT」フィナンシャル・タイムズ、「WSJ」ウォール・ストリート・ジャーナル、その日本語版、「Newsstand」にはニューヨーク・タイムズ(NYタイムズ)が放り込まれている。
もちろん、すべてに目を通すわけではない。どこまで読むのかを決めるのは、正直のところ、酔眼の具合次第である。
日経電子版の「Web刊」2012/3/21 6:36 ニューヨーク=清水石珠実記者によると、ニューヨーク・タイムズは(NYタイムズ)は、傘下のニュースサイトで無料閲覧できる記事の本数を従来の月20本から10本に減らす。
NYタイムズが有料の読者を増やそうという戦略である。料金は4週間で約15ドル、会員数は現在約45万4000人。昨年末よりも約16%増加している。
米国の新聞の電子化について、現地調査するために、筆者がNYタイムズ電子版の編集長を訪ねたのは2006年4月のことだ。その日がちょうど、ウエブ版のデザインを一新する瞬間だった。
同紙のウエブ戦略は紆余曲折がある。無料つまり広告モデルで開始後、一部有料化に踏み切ったが失敗し、このときは無料化に再び戻って再挑戦しようとしていた。
有料路線をひた走っていたWSJと、無料モデルのワシントン・ポスト(Wポスト)のそれぞれのウエブ版の編集長にもインタビューした。WSJは経済専門紙であり、その有料化の成功例は、NYタイWポストといえども学べない、というのが一般的な見方だった。
インターネットの世界は「フリー(タダ)」でしか成り立ち得ないのか。民主主義の基盤であるジャーナリズムが生き残るためには、フリーからの脱却すなわち有料化の方策はないのか。――インターネット企業に新聞社から転職したビジネスマンとして、ジャーナリズムとウエブを結ぶ道を探ろうとした旅は徒労に終わった。時代はまだ、ウエブへのアクセスの「窓」は、PCが主体だったのである。
スマートフォントとタブレットの登場によって、「フリー」からの逃走の道筋が、メディアにはどうやらみえてきたようだ。端末の機能性と美しい画面に対応した、ニュースの配信だけの話ではない。ウエブ独自の多様なコンテンツのサービスが課金のキーであることがわかってきたのである。急速に会員を拡大している、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)が、その逃走の大きなエネルギーとなっている。
有料と無料の間を揺れ動いてきた、あのNYタイムズがいまや、WSJと並ぶ有料モデルの総本山とみられるようになった。
オーストリアの首都ウィーンで昨秋開催された世界新聞・ニュース発行者会議(WAN-IFRA)部下を参加させた。毎年開催されている年次総会のリポートは、最新のメディアの動向を知るうえで欠かせないからだ。
NYタイムズの副編集主幹であるジム・ロバーツは、ウエブの課金システムについて、次のように語った。
「早すぎたと思っていたが、この実験は成功だった」と。
正式のスタートは、2011年3月。「メーター制」という仕組みにした。記事20本までは無料で読めるが、これを超えるデジタル版の読者は月額35ドルを支払う。
そして、SNSである。NYタイムズのウエブ版は、読者がFacebookやTwitterで記事を共有すると、NYタイムズのアプリケーションをその相手が共有できるようになっている。
NYタイムズの有料版を購読している、かかりつけの医師は「ウエブだけで読めるワインの話がとてもいい。そのために有料で購読している」という。
「団塊の世代」に属するこの医師は、東京大学医学部闘争の生き残り。年齢を重ねて、全共闘世代もワインをたしなむ時代となったのである。
「革命の旗を振った先生も、いまやワインですか?」と、筆者。「いやいや、NYタイムズのウエブ版は、ガーデニングの記事もいいだよ」と、まぁ、議論はかみ合わないのだが。
米国のベビーブーマーたちもきっと、趣味に生きる時代になったのだろう。
「古い歴史を持つ企業の風土や文化を、どうすれば変えていくことができるのか。コダック社と似た問題に直面している」
朝日新聞社の秋山耿太郎社長が1月25日、創刊記念式の挨拶で述べた言葉(文化通信2012年2月13日付)は、デジタル化に直面している新聞経営者の危機感であろう。
デジタル版で先行する日経を追走しようと、2011年5月朝日新聞デジタルを創刊した。「もうひとつの朝日新聞」がキャッチフレーズである。
新聞社がコダック化しないヒントは、技術革新に挑んだ、自らの過去の歴史のなかにある、と筆者は考える。
米国の新鋭高速輪転機の導入をめぐる大正年間末の朝日と毎日の競争もそのひとつだろう。買い付けのため、「大阪毎日」は専務らの役員を送った。朝日が派遣したのは、京都帝大工学部を卒業して「大阪朝日」に入社2カ月目の小西作太郎氏。新技術の導入に若者の先見性をかったのである。米国の機械を日本の新聞づくり向けに改良した小西の勝利に終わった。
日本新聞協会による小西の聞き書きによると、旧制三高時代の野球部主将時代に考えた中等学校野球の全国大会(現在の高校野球全国選手権)のアイデアが、朝日に採用されたのが入社のきっかけだというから、センスのよい若者であったに違いない。
経営者はどうか。創業者で社長だった村山龍平翁は、新聞の紙面の刷り上がりをみた瞬間、不具合があると、誰の責任かわかったという。つまり、印刷のことをよく知っていたのである。写真の印刷が悪い場合、写真の原板が原因か、鉛を流して印刷原板をつくる紙型か、印刷の工程か、たちどころにわかったという。
「フリー」からの逃走の挑戦もおなじようなものだと、筆者は考える。経営者がデジタル機器を使いこなして、デジタル化を実感しなければならない。新聞社の経営者のなかで、SNSを駆使しているという話はあまり聞かない。
アップルが創業してまもなく、「アップルのマーケティング哲学」と題されたペーパーが創業メンバーのひとりによって書かれた。
第1は「共感」顧客の思いに寄り添う
第2は「フォーカス」やると決めたら、重要度の低い物事はすべて切る
第3は「印象」会社や製品が発するさまざまな信号がその評価を形成する
読売新聞や毎日新聞が電子版を発行するのは、時間の問題であろう。日刊工業新聞は4月2日、電子版の創刊である。
ウエブの有料課金によって、ジャーナリズムが永続することを祈るばかりである。 (敬称略)
nikkei BPnet 「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」
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