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放送法改革の深層

2018年5月1日

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政治経済情報誌・ELNEOS 5月号寄稿 ほまれもなく そしりもなく 「田部康喜」広報マンの攻防」

 メディアの経営が政権によって揺さぶられている。言論機関としての新聞・放送が「モリカケ問題」をきっかけとして、安倍一強体制を追い詰めている裏面史が刻まれようとしている。

 政府の規制改革推進会議が検討している放送事業改革のなかで、政治的公正を掲げている「放送法4条」の撤廃問題である。この条項は番組制作の前提として、➀公序良俗②政治的公正③正確な報道④意見が対立する問題は多角的な論点を提供する、の項目で構成されている。

 また、放送局の番組制作部門と配信部門つまりソフトとハードを分離することも検討課題としている。

 インターネットメディアの進展によって、通信と放送の融合という観点から、この分野においてあらゆる法律が新しい産業の発展の足かせになっていないかどうか、という視点から検討を加えてきた。

 日本民間放送連盟の会長である、東京放送ホールディングス・TBSテレビ取締役名誉会長の井上弘氏は、定例会見で、放送法改正に対して真っ向から反対の姿勢を示した。

 「私たち放送事業者は日々の放送を通じて、民主的な社会に必要な基本的情報を全国津々浦々にあまねくお伝えしているという責任もあるし、自負もある。……単なる資本の論理、産業論だけで放送を切り分けして欲しくない」

 民放業界のみならず、政府・与党内の一部にも慎重論がみられる。新聞の社説の論調もまた反対である。

 しかし、メディアの動向に注視している広報パーソンにとって、こうした論議は隔靴掻痒(かっかそうよう)にしてかつ分かりにくい。

 新聞の権益が侵されるという歴史的な視点に立つことによってのみ、事態は理解される。

 放送法を貫いている大きな柱は「マスメディア集中排除の原則」である。放送の先進国であった米国で戦前から導入されているものである。

 世論に影響力のある新聞が、放送という新たなメディアも支配すれば、その世論形成能力はさらに著しいものとなり、ひいては多様性ある論議を封じる危険性がある、というのが「集中排除の原則」のもともとの意味である。米国におけるこの原則は、徐々に規制緩和されており、その詳細はここで論じないが、新聞による放送支配はいまもできない。

 戦後の日本で民間放送局の設立を主導した電通は、新設の放送局の株式について、地方の有力企業などに割り振ったと同時に新聞社を加え、自らも出資した。形式的には、「集中排除の原則」を遵守したが、放送局の社長以下に新聞社出身の役員が並ぶという、実質的に原則逃れの状態が続いている。

 霞ヶ関の官僚が民間企業に天下るように、新聞社の幹部が民放に天下る構造になっている。官僚たちが、大学の同期が民間企業の役員を務めていることから、自らの能力も同じであるから民間企業の役員もできる、と考えているように、新聞社の幹部もまた放送局を支配する。

 新聞社の経営は、部数の急激と広告の急激な減少によって揺らいでいる。頼みの綱の放送利権もまた、ネット広告の増加の趨勢が続けば、二〇二〇年にはテレビ広告を追い抜くと推定されている。放送法改革は、新聞社にとって劇薬である。

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