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英国・北欧メディア紀行(前編)

2017年1月3日

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ELNEOS 1月号寄稿

新聞からデジタルへ移行した現場でその成功の足跡をたどってみた

 ロンドンの地下鉄・セントラル線は、市内のビジネス街や観光スポットを東西に貫いている。通勤ラッシュの社内は、新聞とスマートフォンを眺める人がほぼ半々である。

 北海を空路で越えて入国したノルウェーの首都・オスロの市民の足である路面電車に乗ると、新聞を読んでいる人はほとんどいない。

オスロから長距離バスを乗り継いて、国際列車に乗り換えて首都・ストックホルムを目指した。森と湖が点在する風景に牧草地が広がる。深夜の特急列車の乗客たちは寡黙で、若者は手元のスマートフォンをみつめている。

新聞発行部数は2年間で8.5%減少

 英国と北欧のメディアの事情を取材するために、二〇一六年の初秋の九月初旬から中旬にかけて、ロンドンとオスロ、ストックホルムを訪れた。

なぜいま、英国と北欧なのか。日本のメディアはこれまで、米国のメディアの動向に学ぼうとしてきた。ニューヨーク・タイムズ(NYT)やワシントン・ポスト(WP)の課金システムに関心を払い、既存のメディアから飛び出したジャーナリストたちによって成功した、ハフィントンが・ポスト(Huffington Post)や政治サイトのポリティカ(POLITICO)に習ってきた。

デジタルニュースに触れる端末が、PCやタブレットの時代から、スマーフォンの急速な普及によっていま、「マルチ・デバイス(複数の端末)の時代である。こうした視点に立つとき、英国と北欧のメディアがひた走る先駆的な産業化の潮流がみえてくる。

 取材旅行の最初の拠点となった、ロンドン・地下鉄セントラル線のクウィーンズウエイ駅に戻りたい。ロンドンの中心部にある広大なハイド・パークが近い。ジュリア・ロバーツ主演の映画「ノティングヒルの恋人」の舞台である高級住宅街に連なるノッチンガム・ヒル・ゲイトは隣駅である。

 初秋の暖かなに差しを浴びながら出口に向かう乗客たちは、エスカレーターの昇りと下りの境目にある滑り台のようなスペースに新聞を次々と捨てていく。

 通勤客が手にしている新聞は、「メトロ(METRO)」である。創刊が一九九九年の無料紙は二〇〇〇年代半ばには一〇〇万部を超えて、ライバル紙も登場して欧州大陸にも広がった。しかし、ロンドンの朝刊の無料紙はいまでは、「メトロ」一紙となり、夕刊も有料はなくなって無料紙の「イーブニング・スタンダード(Evening Standard)だけになった。

 大衆紙の「ディリー・ミラー(DAILY Mirror)を発行している、トリニティー・ミラー社は今年二月、紙の需要は掘り起こせる、という経営戦略から「ニュー・ディー(New Day)(一部五〇㌺)を創刊したが、売り上げが伸びずにわずか二カ月で廃刊した。

 英国における紙の新聞の「晩鐘」ともいえる出来事だった。新聞発行部数は二〇一四年と二〇一二年を比べると、八・五%も減少している。

 新聞の発行紙数は、それぞれの国の人口や地域の歴史的な成り立ちによって一概に比較はできないが、日本(人口約一億二〇〇〇万人)一〇四紙、英国(約六五〇〇万人)が九六紙、スウェーデン(約一〇〇〇万人)が七九紙、ノルウェー(約五〇〇万人)が七二紙とほぼ同じである。

スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」

 英国の新聞産業は欧米のなかで、際立った特徴を持っている。全国紙が一三紙もある。これに対して、フランスとドイツは九紙、米国は五紙である。

日本の紙数が人口に比較して少ないのは、戦時中の新聞用紙の適正な配給を理由とする言論統制によって、「一県一紙」体制を原則とする統廃合が図られたからである。

 オックスフォード大学のロイター・ジャーナリズム研究所が二〇一六年初めに、日本を含む二六カ国を対象にした調査によると、英国ではニュースを主として読む端末が、二〇一六年に初めて、スマートフォンがPCを上回った。その普及率は、米国、英国、ドイツ、フランス、日本の先進の五か国が四〇%か、ら五〇%の間にある。米国と英国に次いでこのグループでは、日本は第三位である。

 これに対して、全体の調査対象国のなかで、スウェーデンが六九%で第一位、ノルウェーは韓国に次いで六四%の第三位である。ちなみに、第五位にデンマーク(六〇%)、第七位にフィンランド(五九%)の北欧諸国が入っている。

 スマートフォンを中核とした「マルチ・デバイス」の先進国のメディア産業が歩んでいる道こそ、日本のメディアが生き残るための選択肢なのである。

 英国の高級紙「ザ・ガーディアン(The Guardian)の本社は、英国の列車が発着する、キングス・クロス駅に近い。ガラスに包まれたような建物は、キングス・プレイス地区のランドマークである。ガーディアンは本社機能と編集局を、ここロンドンのほか、ニューヨークとシドニーにも置いている。

ガーディアングループの二〇一六年の売上高は二億九五〇万㍀で、前年とほぼ同じ水準である。そのうち、四割近くをデジタル部門の収入が占めて下支えしている。

 ガーディアンのデジタル分野での新たなジャーナリズムの挑戦は、元米国国家安全保障(NSA)局員だった、エドワード・スノーデンによって、二〇一二年に持ちだされた国家機密に関する報道だった。「スノーデン」の概要は、米政府が大手電話会社ベライゾンから、数百万人の米国人の電通話記録を得ていたのが第一報だった。

 その後、グーグルやフェイスブックなど大手インターネット企業からも会員の利用状況も手に入れていたり、世界各国の首脳の携帯電話を盗聴していたりしていた事実も明らかにした。

「スノーデン文書」の報道は優れたジャーナリストの存在はもちろんいうまでもない。その活動を助けたのが、スマートフォン向けのアプリケーション「ザ・ガーディアン・ウィットネス(the Guardian Witness)」だった。文書に関する情報を文章ばかりではなく、写真、動画なども含めて、読者が投稿できる。この問題で世界の約五万人がかかわった。そのなかでは、文書の中にあった、トルコとシリアにおける、反政府勢力に対する激しい虐待の事実が裏付けられた。

「スノーデン文書」の報道によって、ピューリッツアー賞を受賞した。読者と一体となって事実を解明していく、ジャーナリズムは、デジタル部門の大きな躍進につながった。ウエブへのアクセス数が毎年三割伸びて、利用者は延べ七億六三〇〇万人になった。一日当たりの平均利用者も延べ五〇〇万人に達した。

読者の好みに応じたニュースを提供

 ガーディアンは二〇一五年初めにウエブのサイトを大幅にリニューアルした。スマートフォンのサイトをみると、利用者にとって「簡便」にみえることに主眼が置かれている。ニュースの項目それぞれが「グレイキング・ニュース」(第一報)なのか、記者のブログなのか、解説記事なのか、あるいは論説、ニュース・ストーリなのかがすぐにわかる。

 リニューアルのキーワードの第一は、「アップデイト(Update)」、すなわち頻繁にサイトをみる読者に対して好みに応じたニュースを提供することであり、第二はそれらの記事についてより掘り下げた記事の「エクステンド(Extend)」と、最後が「ディカバリー(discover)であり、読者に新たな驚きを与えることである。

 こうしたウエブ戦略によって、ウエブの利用者は目標としていた延べ一四億人に達した。そのうち、三分の二が英国以外の利用者で占められている。

 ガーディアンのデジタル部門が、経営の大きな柱に成長した背景には、経営陣がこの部門に長期的な視点で注力してきた歴史がある。

 インターネット時代が到来することを前提として、CEОが米国のシリコンバレーを訪れたのは一九九四年のことである。世界の既存のメディアとしては最も早く、デジタルの重要性を認識した新聞社といわれている。九九年にニュース・サイトを立ち上げ、翌年からデジタル部門の編集長を置いたのである。「デジタル・ファースト」宣言をしたのは二〇一一年のことである。

デジタル部門の成長で人員構成にも変化

 日本の新聞社がデジタル部門に進出した時期は、さほど遅くはない。日本初の新聞社系のサイトは、一九九五年三月に開設された朝日新聞出版局の「オープン・ドア(Open Doors)」である。この年の六月に読売新聞が「ヨミウリ・オンライン(Yomiuri On Line)」を、八月には朝日新聞の「アサヒ・コム」が。同時期に毎日新聞の「ジャム・ジャム(Jam Jam)」も。

 しかし、新聞記事の二次利用的な機能が強く、人事異動などによって一貫したデジタル戦略はこれまで描かれてこなかったといえるだろう。そして、スマートフォンの急速な普及を予測できないままに対応ができず、PC向けのサイトの尻尾を引きずっている。

 英国の高級紙「ザ・インディペンデント(The INDEPENDENT)」は、二〇一六年三月に部数が低迷して廃刊となった。二〇一五年秋にはフロントページに、シリア難民の子どもが波打ち際に横たわっている遺体の写真を掲載して、世界的な反響を呼んだ。

 デジタル版は残った。紙の部数は最終的に二〇万部と切っていたと推定される。スマートフォンによるサイトの定期的な読者数は、紙の時代よりも五割近く増えた。サイトの訪問者数も、紙時代の一日当たり延べ六六〇万人から約三・二倍の延べ二一二〇万人に達した。

 日本経済新聞が買収した「フィナンシャル・タイムズ(FT)」は二〇一六年一〇月初旬、サイトを大幅にリニューアルした。FTは新聞の課金モデルとしては、世界のなかで数少ない成功例である、六〇万人の読者を誇る。

職場や家庭のPC向けから、スマートフォンの普及に対応して、「マルチ・デバイス」で簡便に読めるようにするのが大きな狙いである。スマートフォンの画面でニュースを読むのは、スクロールの時間の短縮にかかっている、とみて従来よりも三秒速くした。さらに、主要な読者がビジネスマンであることから、記事に関するプレゼンテーションンの資料やチャートのデータもみられる。

デジタル部門の成長は、メディアの人員構成の変更にも及んできた。大衆紙「ザ・サン(THE Sun)」は二〇一六年九月、紙の新聞のサブ・エディター(日本の新聞のデスクに当たる)二〇人をデジタル部門に配置転換する方針を明らかにした。ガーディアンは、米国の経営を損益分岐点に引き上げるために、デジタル部門は除いて四〇人を削減する。

英国のウエブサイトのページビュー(読まれた頁数)は、二〇一五年の年間で八〇億である。そのうち、従来の携帯電話とスマートフォンを含む「モバイル」は、五割近い三九億。前年に比べると九〇%も増加している。

英国滞在中の二〇一六年九月九日、「米国新聞協会(Newspaper Association of America )」が、「新聞」の文字を看板からはず形で、「ニュース・メディア連合(NEWS MEDIA ALLIANCE)」と改名した、というニュースに接した。英国の旧新聞協会はすでに、「ニュース・メディア協会(news media association)である。

日本の新聞協会には、NHKをはじめ民放各社の放送会社も会員である。新聞の衣を脱ぎ捨てる時期はすでにきている。

           (次号に続く)

 

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