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総合週刊誌に立ちはだかる「訴訟リスク」

2015年9月8日

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威圧的訴訟「SLAPP」に対する抑止もない日本

 Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 総合週刊紙が、名誉棄損訴訟で相次いで敗れている。週刊文春が「女優が元暴力団幹部の愛人だった」とする報道で、記事ページの冒頭で謝罪広告を掲載するよう命じる判決を受けた。週刊現代は「グリコ・森永事件」をめぐる報道で、犯人と推定される作家からの名誉棄損訴訟で敗訴が確定した。

  スキャンダル報道が雑誌の柱となっている、総合週刊紙においては取材の態勢とその切り込みに勢いを失する事態である。

 総合週刊誌を支えていたサラリーパーソンの読者離れもあって、「訴訟リスク」ばかりが要因ではないとはいえ、部数に歯止めがかからない事態は、政官財に対するスキャンダル取材の在りようの変化がうかがえるのではないだろうか。

 ABCの調査によると、2014年下半期の雑誌総売上部数は、計1543万部で、前年同期に比べて6.6%の減少である。

 主な総合週刊誌の部数と前年同月比(%)は以下。

  AERA 6万部 ▲11.9

 サンデー毎日 5万部 ▲0.9

 週刊朝日  9万部 ▲12.6

  週刊現代 31万部 ▲13.1

 週刊新潮 32万部 ▲7.2

 週刊文春 43万部 ▲6.6%

 週刊ポスト 26万部 ▲18.4

  週刊文春が自民党公認で衆院比例に立候補予定だった、元女優が暴力団とつきあいがあった、との報道に対して、元女優が起こした名誉棄損訴訟は以下の判決は、これまでになく厳しい。 東京地裁は、週刊文春のグラビアをのぞく、つまり最初の記事ページにお詫びをだす、というものである。総合週刊誌の衰退を示すあるいは末期的な症状と、いずれ振り返られることになるかもしれない。

  週刊現代の「グリコ・森永事件」の犯人を追究する報道では、犯人と推定した人物について匿名であったにもかかわらず、作家が名誉棄損で訴えた。当事者は和解を望まずに、最高裁まで訴訟は持ち込まれて、週刊現代が敗訴した。

  賠償額がかつてよりも多額になっていることも、総合週刊誌を悩ませている。週刊文春のケースで440万円、現代のケースは583万円である。

 総合週刊紙は、部数が減少するなかで、1部当たりの純益は10円から20円と推定されているから、この金額は1号分の利益が吹き飛ぶ水準である。

  実は、最高裁判所の事務局が中心となって、2000年代初めに損害賠償額をそれまでよりも一桁多い500万円相当が適正である、という基準を実質的に設定したことが、スキャンダル報道をけん制する形となっている。

  さらに、欧米では政府や大企業などが、威圧的あるいは恫喝的に訴訟を起こす「SLLAP」訴訟を抑止する法律や、判例がある。日本ではいまのところそうした判例はいまだに出ていない。

 SLLAPの定義は、強者が弱者に対して訴訟を起こす、訴訟を起こすものが敗訴を気にしない、という点が重要である。

 日本でも最近、大企業が極めて高額な賠償金を求める、名誉棄損訴訟が増えている。

  もちろん、報道は真実であらなければならない。訴訟で争われるときには、真実であるとことに相当な理由がなければならない。後者を「真実相当性」という。

  総合週刊誌はかつて、フリーライターを編集部に抱えて、そこから多くのノンフィクション作家を輩出した。日本のジャーナリズムの一角を担ってきた。足で稼いだデータを、1本の記事に凝縮して、読者に提供する手法を持っていた。

  部数が減るにつれて、外部のライターを抱える余裕を失って、編集部中心の誌面づくりとなって、ある事象について談話をつぎはぎする記事が目立ってきたように思う。

 総合週刊誌の自由な雰囲気と、取材経費の豊富をかつてのフリーラーターたちは、懐かしがっている。

  往時を懐かしがってもしかたがない。新聞社系の総合週刊誌の経験者として、私見であるが、雑誌作りはやはり、いわずもがなであるが、他のメディアの常識を疑う編集長と、社外のライターを発掘できる編集者、魅力的なコラムニストの起用、にあると思う。とくに新聞社系の総合週刊誌の驚くべき凋落ぶりは、こうした基本が忘れられているのではないかと考える。

 

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