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新聞コラム二スト列伝 読売・「編集手帳」子、毎日・夕刊コラムニスト……

2015年3月2日

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  Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 いわゆる従軍慰安婦報道をめぐる検証問題に揺れている、朝日新聞は年明けから「読者とつくるページ」のなかで、データベースから随時、「新聞の原点を考える記事をご紹介します」とうたっている。

  元旦付けの第1回目も、2月1日付の第2回目も、1面のコラム「天声人語」だった。筆者は約40年前に執筆を担当した、故・深代惇郎氏の手による。1973年から75年にかけて2年9カ月にわたって担当した同氏は、46歳で急逝、名文家と知られた。

  再掲載の新聞週間に寄せたコラムは「別に、新聞批評に苦情をいっているわけではない。苦衷をお察しあれ、と訴えたいわけでもない。ただ、批評とはそうしたものであり、そして批評は大切なものだ、といいたいためである。役所や企業は、消費者や新聞が批判する。政治家には選挙がある。しかし、批判する新聞を批判する強力な社会的な仕組みはない」

  過去の名コラムニストの文章を引いて、朝日の現状を照らし出す編集の意図は達せられるだろうか。コラムニストはいまを鮮やかな手並みで切り取ってみせるものであって、深代氏もまさか自社の不祥事の後に紙面に再掲載されるとは思ってもみなかっただろう。

  新聞や雑誌は、特ダネや特集の連載物に加えて、コラムが読者を引きつける。取材力や企画力のコンテンツ製作の総合力が表れるのがコラムである。社内のコラムニストであれ、社外のコラムニストの起用であれ、それは変わらない。

  新聞のコラムニストとして、読売新聞の「編集手帳」子が列伝のトップにくるのではないか。竹内正明論説委員が15年にわたって書き続けている。『名文どろぼう』や『名セリフどろぼう』などの著作でも知られるように、引用の名手である。

  工業デザイナーの栄久庵憲司(えくあんけんじ)さんの死去を受けた、2月10日付では、冒頭が「石屋の大将は焼き海苔が好物らしい」と書き出す。向田邦子さん作のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」のト書きを引用したうえで、その食卓に栄久庵さんがデザインしたキッコーマンの醤油びんがあったろうと書き継いでいく。その人が広島の原爆で父親と妹を亡くしたことに触れて、「赤いキャップの醤油びんは、むごい炎を知る人が悲しみを代償として、津々浦々の平和な食卓にともしたロウソクの灯だったのかもしれない」と。

  コラムを読む楽しみは、自分が知らない事実や物の見方が織り込まれていたり、心情を揺さぶられたりするところにあるのではないか。そこには過剰な表現や修飾語は必要ではない。

  毎日新聞の夕刊にはベテラン記者のそうしたコラムがあふれている。定年を超えて書き続ける名物記者たちである。

 「牧太郎の大きな声では言えないが…」の2月9日付は、「白鵬に勝って見ろ」である。白鵬が大鵬の持つ32回の優勝を超えてから、白鵬イジメが気になるという。

 「批判その1。寝坊して、会見が1時間以上遅れた。(政治家の記者会見中止なんて日常茶飯事。記者が1時間ぐらい我慢しろ!)

 批判その2。アルコールが残っていた。(朝方まで酒宴?大記録達成の夜、豪快に飲み明かす。二日酔いを責めるなんて、男じゃないぞ)

 批判その3。=稀勢の里戦の物言いについて、白鵬が批判した件について=(いっそテニスのようにコンピューター分析して、勝敗を決めろ!)……

 品格、品格!と言うけれども、モンゴルと日本では価値観が違う。……だったら、土俵の上で、白鵬に勝ってみろ!『品格』で相撲は勝てネエぞ!」

 ぞんざいな物言いのようでいて、明るい。牧太郎・客員編集委員のファンは多いだろう。

  近藤勝重・客員編集委員の「しあわせトンボ」も味わい深い。2月5日付の「春の日差しを待つ一方で」。

 「怒りや悲しみなど、負の感情が心身に及ぼす影響は大きい。ぼくの場合は、自律神経がにわかにおかしくなったりする。神経のマイナス作用に対して、以下にブレーキをかけるか……その1は、吸うよりは吐く息を長くしての腹式呼吸だ。その2は、おかしくなくともハッハッハと声を出してのバカ笑い。その3は、外に出てイチ、ニイとやはり声を出しての速歩である」と。

  サンデー毎日の編集長経験者というふたりのコラムは、新聞とは違う角度で事実をみつめようという視点がある。

  経済報道の王道である、マクロ経済のコラムニストとして、日経新聞の滝田洋一編集委員はこの分野で孤高の道を歩んでいるようにみえる。日銀総裁の記者会見における滝田氏の質問は、黒田東彦総裁が懸命にメモをして熟慮しながら答えている。記者冥利につきる敬意である。

  滝田コラムの特徴は、世界的なマネーの流れについて、株式、債券、商品まであらゆる金融商品の動きを鳥瞰しながら、各国の金融政策も踏まえてわかりやすく解説してくれるところにある。金融機関の国際畑の人々からも信頼が厚い。

  1月26日付のコラム「核心」では、「経済の追い風参考記録――デフレ脱却の機会逃がすな」と題して、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を敷衍しながら、日本経済の現状について歴史的な視点から眺めている。

  「改めて確認したい。日本の名目国内総生産(GDP)のピークはいつで、金額はいくらだったか。正解は前回の消費税を引き上げた1997年の10~12月期で、年換算額は542兆円だった。2014年7~9月期は484兆円。やや持ち直したとはいえ、ピーク時よりなお40兆円小さい。ピケティ読みのピケティ知らずというべきか。格差是正と公正な分配を唱える論者が見落としがちなのが、こうした縮む経済の姿なのだ……名目成長率と長期金利の関係からみてようやく日本はデフレの罠から脱却するチャンスをつかんだといってよい。潤沢な手元資金を持つ企業が、おカネを投資や給与に回すようになれば、経済はうまく回り始める」

  もうひとりの経済コラムニストを上げるとすれば、産経新聞のニューヨーク駐在の松浦肇編集委員だろう。本誌のWorld Scope from 米国の筆者としても、読者にはお馴染みである。英語とフランス語に堪能で、上記の最新のコラムで自ら書いているように、ニューヨークの金融記者会に日本人としては初めて役員にもなっている。

 これからの日本人ジャーナリストあるいはコラムニストとして、先駆者であって欲しい、つまり後続のジャーナリストが望まれる。

 欧米の金融界の裏事情を巧みな筆致で伝え続けている。

  コラムニストは、それぞれの新聞社の取材現場の「余裕」から生まれてくる。この余裕とは、ひとりの記者が自分で焦点を絞った取材の自由を与えることであり、記者は多様な意見を常日頃から取材する努力を続けることである。

 ここに登場させたコラムニスト列伝の幾人かは実際に、交流した経験があるが、みながそうした余裕から優れたコラムを書けるようになった、と感心している。

 

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