2015年の言論空間はどうなるのか?
正月元旦付の紙面で一面トップを飾りたい、あるいは新年の企画に参加して署名原稿を掲載したい。新聞記者ならそんな思いを抱くものである。毎日のように発行される新聞であっても、やはり新年の幕開きは特別なものだ。
大手紙の新年紙面は、その年の言論空間の方向性の一端を示しているといってもよいだろう。ここでは読売、朝日、毎日、日経、産経と、ブロック紙である北海道、西日本、中国新聞の紙面を見ていきたい。
いうまでもなく、今年は戦後70年にあたる。日本を取り巻く外交や安全保障、経済環境が大きく変化しているなかで、各紙は過去と現在そして未来を俯瞰しながら、歴史的な節目をみつめようとしている。
大手紙の元旦紙面のなかで、読売だけは1面トップを戦後70年の連載で飾らずに、雑報すなわち一般の記事で飾っている。社会部の事件報道が伝統的に強いとされる、読売らしい紙面である。
破たんした東京のビットコイン運営会社が、当初の説明では外部からのアタックによってビッドコインが盗まれた、としていたが、それが真実ではない、という報道である。失われた99%が実は、内部の口座の移し替えつまり、システムを知る何者かがいったん移動してその後に外部に持ち出された、とする警視庁の捜査結果を明らかにした。
「語る 戦後70年」の企画は翌々日紙面からである。第1回は米国の国務長官などを歴任したヘンリー・キッシンジャー氏。戦後の日本の歩みについて、「米国が日本を作り直したのではない。日本自身が、自らの伝統的な価値観の中で、新たな状況、国際秩序に適応したのだ」とする視点を述べる。
日本の未来については、「これから取りうる道は、三つある。一つは日米同盟の継続、二つ目は、従来より中国が強い存在感を持つ北東アジアへの接近、そして、より国家主義的な外交政策を取ること――である。どの道を選ぶかは、日本の指導者と国民が選ぶべき問題だ」と述べたうえで、「一つ言えることは、日本が『普通の国』になれるということだ。そして、抑制を聞かせた外交政策を進めていくことができる。ただし、独断的で攻撃的な外交を展開すれば、地域の懸念となりうる」と、昨年末の総選挙で大勝を収めた安倍政権の外交政策の方向性を提言している。
このシリーズは、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏やデザイナーの森英恵氏、指揮者の小澤征爾氏ら、自らの戦後の歩みと、日本の将来に対する展望を語らせ、読みがいのある連載である。
戦後70年にからむ雑報を元旦1面トップのもってきたのは、北海道新聞である。1943年(昭和18年)の時点で、米英軍は日本を終戦に追い込む作戦計画を立案、北海道上陸作戦が含まれていた、というスクープである。計画書によれば、北海道には、地上部隊を苫小牧、十勝・釧路、宗谷の三方面から同時に上陸させて、道内全域を占領する、とされていた。
上陸計画はこれ以外にも、台湾、シンガポール、スマトラ島も対象としていた。
その後の戦局の展開と、北海道上陸には気象面の制約があって、計画は幻になったという。
北海道を中心とする同紙の読者のみならず、興味のある記事であろう。
西日本新聞もまた、九州各地の米軍の低空飛行の目撃情報という雑報を1面トップに据えた。防衛省の資料や各県の情報などを総合して、2009年から14年6月までの5年半で約400件にのぼるとしている。
沖縄の嘉手納基地の米空軍の飛行ルートが九州上空にもあることを突き止めた。沖縄の基地問題の広がりを報じたものだ。
戦後70年の連載企画は、世界的な日本の位置づけと歴史的な考察の二つの側面からその内容の優劣が問われる。
朝日の戦後70年:第1部の「鏡の中の日本」は、個人の生き方に焦点を当てて、そこから日本の実像を探るとしている。毎回のタイトルが「装う」では、森英恵氏ら日本のデザイナーの世界に与えた影響の意義を、「問う」ではハワイ州の知事に就任した日系米国人がいかに、日本人の血をひいていることと米国人であることに葛藤しているか、「学ぶ」では日本人で中国留学をしている学生の日中のわだかまりを説こうとしている活動を、それぞれ描こうとしている。
このなかでは、日中間の留学生の交流の事実を上げて、日清戦争後から戦前は多くの中国人が日本に留学し、戦後は中国共産党の幹部として日中国交回復に尽くした、と略史が書かれている。
しかしながら、中西輝政・京大名誉教授の最新刊「中国外交の大失敗」によれば、中国共産党によって戦前から日本留学生を中心にすえた、防諜活動の歴史であった、とされる。
戦後70年を振り返るとき、歴史研究の多角的な分析の成果に眼を配らければならない。
産経の「天皇の島から 戦後70年・序章」は、1944年(昭和19年)9月15日から74日間にわって、日米軍が戦ったペリリュー島を取り上げている。第一次大戦後に日本が委任統治した南洋群島の拠点を、戦史をひもときながらルポしたものである。
日本軍は約1万人の死者と約500人の戦傷者をだして、ほぼ全滅。しかしながら、米軍に与えた被害も大きく、約1600人の死者と約7000人の戦傷者を出した。
日米合わせて約2万人が死傷した「ペリリュー島の戦い」については、NHKが昨年夏に米国がその戦闘を撮影した、100本余りのフィルムを構成した「狂気の戦場 ペリリュー―“忘れられた島”の記録」を放送した。
産経の戦史に基づいた記述も見事ながら、死にもの狂いで戦う日米軍の戦いの映像には驚かされた。そして、この島の戦いから、日本軍は戦い方を変えて、長期戦に持ち込むために塹壕や地下のトンネルを掘ったりして、米軍の圧倒的な機動力に対抗した。これは硫黄島の戦いにつながっていく。
優れた映像の新たな戦史に、産経は言及してもよかった。
毎日は昨年末から連載している、「一極社会:東京と地方」シリーズを年明けにも継続した。年末年始に日本の未来を読者とともに考える視点である。
人口減少と高齢化は地方ばかりではなく、首都圏の問題でもあることを指摘するばかりではなく、どうしたら少子高齢化の社会をよくしたらよいかという、実例をもって書き進めている。戦後70年の節目にあたって、ジャーナリズムが問題指摘にとどまらず、提言能力を求められる。
高度経済成長時代に開発された、東急沿線の住宅地も高齢化の波に洗われている。高齢化率が全国平均の約25%を上回って30%近い地区もある。行政と住民ばかりではなく、開発者の東急も一体となって、住民が集えるカフェの開設活動などが紹介されている。
中国新聞も年末年始に長期企画「ヒロシマは問う 被爆70年」である。元旦の紙面では、長崎・広島で被爆した人々を全国に追って、アンケートしている。
アンケートに答えた約1500のうち、7割以上が被爆体験を語ったり、何らかの形で伝えたりしてきた。そして、高齢化が進むなかで、こうした被爆体験の継承が困難になることを約9割の人が懸念していた。
被爆地の新聞社として、70年の節目の年に被爆者の人生に向き合う姿勢は貫かれている。
日経は「働き方Next」シリーズで年を明けた。高度経済成長時代からバブルとその崩壊、長期低迷する日本経済のなかで、人々の働き方の新しい潮流を紹介している。これもまた、戦後70年の日本人の暮らしを振り返って、よりよい未来を目指す道を探ろうとするものである。