ELNEOS 11月号寄稿。
ニュースはまたたくまに消費されて、企業の広報パーソンが懸命に組織の防衛に奮闘していた問題もいつしかメディアの報道から消えてなくなる。企業のレピュテーションが毀損されたままになる。
朝日新聞のいわゆる「従軍慰安婦」報道の検証記事と、福島第1原発の故・吉田昌郎所長の「吉田証言」問題はいっこうにメディアの批判が鳴り止まない。
企業広報の優れた経験者たちは、朝日新聞がふたつの問題の対応に誤ったことを明瞭に指摘している。
NPО法人「広報駆け込み寺」代表の三隅説夫氏の論文(偉業やk月刊WiLL十一月号)はその代表的な例である。企業広報の経験者らで組織する、この法人は企業や自治体などの広報担当者に助言したり、講演活動をしたりしている。
「通常であれば、検証記事を出した日に、社長自ら会見に出て行ってすぐに謝罪、説明するところです。そうすれば、問題はこれほどには大きくならなかったでしょう。
新聞社は報道機関である前に一企業です。商品である新聞の品質に疑問が持たれているにもかかわらず、検証記事を出してから一カ月以上、社長は出て行かず、謝罪もしないというのは一般企業ならあり得ないことです」
「慰安婦報道」の検証記事から一カ月後、朝日新聞の木村伊量社長は「吉田証言」報道の取り消しを表明するとともに謝罪した。さらに、検証と社内体制を整えた後に辞任する意向を明らかにした。
前者の報道について検討する第三者委員会は十月九日に初会合を開き、元名古屋高裁長官で弁護士の中込秀樹委員長は二カ月以内には報告書を出すとしている。
このシリーズで幾度か述べてきたように、メディアにかかわった経験と、広報とは本質的にまったく異なる。経済記者として優れた企業広報パーソンとつき合った経験のあるわたしは、この点について頭では理解していたつもりだったが、さまざまな企業の危機をくぐり抜ければ、身に染みて理解できなかったのである。
朝日新聞をめぐる危機の深層には、そうした企業広報の基本を欠いていたという点だけではとどまらない問題がひそんでいるのではないか。
先の中込委員長は初会合で次のようにあいさつしている。
「場合によっては、新聞社自身が解体して、出直せ、ということ(報告書)になるかもしれません」
極めて手厳しい指摘である。
朝日新聞の過去四半世紀のなかで、木村社長が辞任すれば、歴代六人のうち半分の三人もが引責辞任することになる。このような上場企業が過去に存在するだろうか。
広報パーソンたちは直面する危機を乗り切れば、組織が正常な位置に戻る、という確信があるだろう。「広報駆け込み寺」の優れたメンバーの幾人かを知っているだけではなく、過去の業績を眺めても、企業の「心棒」に対する信頼があってこその活躍であったと思う。広報パーソンとしてのわたしもそうだった。
朝日の第三者委員会が報道機関の「心棒」を指し示せるかどうか。記事の検証よりも大事なことである。