朝日新聞「吉田調書」問題を考える
NHKスペシャル「原発事故調 最終報告~解明された謎 残された課題~」
過去の番組が照射するいま
WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿(10月8日)
http://wedge.ismedia.jp/category/tv
「映画は何度も繰り返して観られるものである」と述べたのは、ヒッチコック監督である。
テレビの番組もまたそうである。
福島第1原子力発電所の故・吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会に聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」の報道をめぐって、朝日新聞がその誤報を認めたうえに記事を取り消して謝罪した。
原発事故については、政府と国会、そして民間の調査委員会がそれぞれ報告書をまとめている。政府の調査報告がまとまったのを機会にそれぞれの責任者を集めて、事故について解明された事実と、これからの課題を話し合った番組を改めて見た。
NHKスペシャル「原発事故調 最終報告~解明された謎 残された課題~」(2012年7月24日放映)である。
テレビは現在を伝えるメディアとして発展を遂げてきたが、デジタルアーカイブの整備によって、過去から現在を照射するメディアとしての地平を切り拓きつつある。
この番組では、原発事故報道に当初からかかわっている根元良弘デスクが、3つの事故調査報告書について、その膨大な情報をコンパクトにまとめながら、それぞれの報告書の責任者に事故の問題点について語らせる。
政府事故調の448頁におよぶ報告書が原発事故直後の2011年6月から、関係者の聞き取りに着手した事実が根元デスクによって告げられる。事情聴取の対象者は770人もの数にのぼる。
故・吉田所長は自らが体験したことは事故の一部であり、全体をみるには他の人々の証言と突き合わせる必要がある趣旨から、自らの証言の公表を控えるように要請していたといわれる。
「吉田調書」ひとつに絞った朝日の報道は、政府事故調の広範な視点を欠いていることがわかる。政府が吉田氏以外の調書についても公開したことは、今後の事故の分析に役立つだろう。
番組の出席者は、政府事故調の畑村洋太郎委員長と柳田邦夫委員、国会事故調の黒川清委員長、民間事故調の北澤宏一委員長である。
福島第1原発では、3つの原子炉が次々にメルトダウンに至った。
政府事故調は、まず巨大地震・津波の4時間後にメルトダウンした1号機について、事故は防げたとしている。非常用に冷却する復水器は手動で働く仕組みだったが、作業員が誤認して失敗した。3号機はバッテリーによって冷却装置が動いていたが、作業員が装置の破壊をおそれて手動で止めた。2号機は3月14日午後6時ごろまで冷却が続き、電源喪失後3日間の余裕があったにもかかわらず対策が講じられなかったとしている。
政府事故調の畑村委員長は「もともと全電源の喪失はありえないという前提だった。(そうではない事態を想定すれば)十分に対応できた事故である」と指摘する。
柳田委員は「技術に対する過信あった。現場のバックアップ体制やシステム、事故の際のマニュアル、指揮者の指示など有機的に動かなかった」と。
国会事故調は、原発事故による避難者約2万人を対象とするアンケートを実施して、その約半数から回答を得た。政府が避難圏を原発から3㎞、10㎞、20㎞と拡大する過程で、70%以上の住民が4回以上の避難を繰り返した。ことに、双葉病院の入院患者40人は、寝たきりの患者が多かったのに、福島県が手配したのは大型バスで、移動距離は230㎞に及び、着いた避難先の高校には医療従事者はいなかった。車内で3人が亡くなった。双葉病院と他の病院、介護施設を含めて事故後の3月末で60人が亡くなった。
黒川委員長は「規制の虜(とりこ)」による政府の失敗を指摘する。規制する側がより知識や経験のある規制される側に引っ張られる現象をいう。「日本だけではないが、規制の虜によって、(安全対策が)常に先送りされる」と語る。
民間事故調の北澤委員長は「空気を読んで、正義よりも組織を重視する。規制当局が相手を考える。安全神話が100%なので、これ以上の規制をいう勇気がなかった」と分析する。
北澤氏は9月末に亡くなり、遺言ともなった。
原子力安全委員会は、この番組放映の20年前に原発の全電源が喪失する場合の規制について、論議をしたが、先送りにされた。
この番組のなかで、3つの調査委員会の責任者が「課題」としてあげた点こそ、メディアが解明し、かつ提言していかなければならないと考える。
民間事故調の北澤委員長は「(原発事故による)情報を政府がいかに、国内ばかりか海外に伝えていくのかを考えなければならない。国としての危機管理もきちんと考える」
国会事故調の黒川委員長は「憲政史上初めて国会に調査委員会が設置された。国民は(原発の安全対策について)国会議員に託すことが必要だ」
政府事故調の畑村委員長は「メルトダウンがどのように進行したのかも。放射能物質がどのように拡散したのか。実物大の実験装置で確認したいと考えているが、それは調査を(今後も)続けていくことが大事だ」
原発事故をめぐって、膨大な証言と資料が残された。最終報告書がそろってから1年半余り、メディアがそれを読み解くのは大きな課題である。