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湯浅正巳氏を悼む

2014年6月1日

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 政治・経済情報誌の『選択』の創業者のひとりである、湯浅正巳氏が亡くなった知らせがご子息で編集長を務められている、次郎氏から届いた。亡くなられたのは、去る1月18日のことであるという。

 「葬儀の類一切不要 騒ぎ立て 無用」との故人の遺志を尊重して、4カ月余り後の知らせであると、次郎氏は記している。

 亡くなられた湯浅氏と最後におめにかかったのは、2年余り前、麻布十番の湯浅氏が行きつけの西洋料理店の店先であった。ブランチを食べる湯浅氏に私の独立を報告した。通りがかりのランドセルを背負った小学生が、湯浅氏に挨拶をする。

 「毎日ここで食事をしているので顔なじみになったですよ」

 「うちの雑誌に書いてみませんか」と、電話を受けたのは20年以上も前になる。『選択』から誘われることは、ライターとして当時は大変な名誉であった。無署名を原則とする記事の数々は、報道されている出来事の真相をえぐるものばかりだった。

 政治や経済を切っ先鋭くえぐる『選択』を実質的に編集していた、湯浅氏については毀誉褒貶があった。

 「いい人とは自分にとっていい人である」とは、立川談志家元の至言である。私にとって、他の友人たちと同様に湯浅氏もまたそういうひとであった。

 心に残る言葉は多い。そのなかで、原稿を書くときに思い出すのは、「文章に水準はあるが、正解はない」というものである。

 つまり、文章とはその意味を伝える緻密さがあれば、書きようは人によってさまざまでよい、というものである。

 「編集者がひとの原稿をみているだけではいけません。編集者も筆者に負けない原稿を書けなければなりません」

 海外勤務が長い証券会社の友人はかつてこういったものである。

 「日本のことは『月刊文藝春秋』と『選択』を読んでいればわかる」と。

 日本で問題になっている事象が網羅されているというのである。

 湯浅氏が戦後を代表する編集者だったことは間違いない。

 

 

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