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東京新聞・河北新報・福島民報共同企画「記者たちの3年」

2014年5月1日

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「僕はねぇ、地方記者であることに誇りを持っているんですよ」

  新聞記者としてスタートを切った、九州の小さな取材拠点の支局長はとつとつと諭すように話してくれた。「地方記者」の響きは、30年以上もたったいまも心に残っている。

  ブロック紙とよばれる広域の地方紙やひとつの県をカバーする地方紙ばかりではなく、全国紙のなかにも地域を専門に取材する記者たちがいる。

  東日本大震災の発生から3年を経て、メディアがさまざま視点から震災地の実態を取り上げるなかで、東京新聞と河北新報(仙台市)、福島民報(福島市)の3紙が、共同で取り組んだ「記者たちの3年」は、地域のなかに入り込んで、人々の心情をこまやかに伝える「地方記者」の誇りが見えてくる。

  媒体を異にする3紙の記者たちが、所属する新聞だけではなく、他の2紙にも同じ署名記事を執筆している。

  「3.11」の前日、安倍晋三首相が震災地の問題にどう取り組むかにつて、記者会見を開いた際に、首相会見の定番である全国紙の代表質問ではなく、この共同企画に参加した河北と福島民報の記者が質問したことと合わせて、震災地報道に地方記者の視点が欠かせないことを思い知らされた。

  東京、河北、福島民報の3紙の共同企画についてご紹介する紙面は、東京新聞の2月28日付から3日間である。

  河北の石巻総局の丹野綾子記者は大震災の翌年春から、宮城県女川町の担当になった。1万人の町民のうち800人以上が犠牲となり、住宅の7割近くが全壊した。人口や規模に対する被害は「最大被災地」のひとつといわれる。

  「風化にさらされているのは、教訓だけではない。復興という言葉とは程遠い状況が続く被災者が、顧みられなくなっていく現実もある」「被災者にとって震災との闘いは今も日常そのものだ」

 丹野記者の淡々とした筆致のなかに、女川の町のなかに溶け込んで、被災者の声を伝える使命感がにじみ出る。署名記事の最後をこう結んでいる。

 「被災者と取材で向き合い、必死に生きる姿に何度も胸を打たれたか分からない。被災地の記者としてその息遣いを伝える記事の意義は、薄れるものではない。被災者が明日への希望を抱き、外の人が被災地を忘れないでくれるように」

  福島民報いわき支社の五十嵐稔報道部長は、原発事故による風評被害について取り上げるなかで、次のように述べる。

 「『風評』と『風化』。ふたつの風にいかに向き合うか。手探りの日々が続いている。……使用済み核燃料プールで仮設配電盤が侵入したネズミによってショートし、停電するトラブルが起きた。環境への影響はなかったにもかかわらず、市内の食品関連業者は県外のスーパーから取引中止を通告された」

 原発事故後のさまざまなトラブルの先に地元の人々が、どのような風評被害を受けたかをみつめる記者の視点がある。

  東京新聞の首都圏を中心とする読者に、被災地の地方記者の地域に根を張った取材の成果が読まれることは、大震災を考える新たな視点を与えてくれたと思う。

  女川町で取材活動を続ける河北の丹野記者は、大震災のあの時、仙台市の本社から同僚と気仙沼市を目指して、翌日の明け方に到着した。同社の震災の記録として編まれ、広く読まれた『河北新報のいちばん長い日』(2011年10月、文藝春秋社刊)にも登場する。

  取材の車に毛布にくるんだ幼児を抱いた父親を乗せて、避難所に向かう。同僚と連名の署名記事が引用されている。

 「『寒いのか?』。移動中も男性はそう言って、顔を埋めるようにわが子を抱いた。2、3分後、避難所の階上中体育館に着いた。

 医師が子どもの目にペンライト、胸に聴診器を当てる。ゆっくりと首を横に振った。男性は声もなくむせび泣き、動かない子どもを力いっぱい抱きしめた。

 周りの人たちが、子どもの顔にいついた泥を丁寧に拭き取った」

  被災地の地方記者たちは、震災地のいまをつづり続けている。

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