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メディア論

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WOWOW、スカパー独自番組の制作に拍車

地上波のネット同時送信迫る

   Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 テニスの全米オープンの錦織圭選手の活躍を独占中継した、WOWOWは月間の新規加入者数が過去最高になった。スカパー―JSATは10月初旬、BSスカパーに連続ドラマやクイズなどの独自制作番組を編成する計画を発表、会員獲得の目玉にしている。

  有料放送の独自番組の制作戦略はこれまで、地上波などの無料放送に対して、会員の視聴時間を延ばして経営の基盤を強化する側面が強かったといえるだろう。

 その傾向に拍車がかかったかのような両者の最近の動きの先には、地上波のインターネットによる同時送信という競争の激化が透けて見える。

  スマートフォンやタブレット型端末を通じて、いつでも、どこでも地上波の番組がみられるようになれば、視聴時間の競争は新たな展開をみせるだろう。

  NHKの籾井勝人会長は最近、複数のメディアのインタビューに応じて、2015年度からの3カ年計画のなかでインターネットと同時送信計画を盛り込む考えを明らかにしている。さらに、同時送信については料金を徴収する方向性も探っている。

 日本民放連盟会長であるTBSの井上弘会長もまた、9月の定例会見のなかで、民放が共同して放送後の番組をインターネットで送信する仕組みを作る、としている。

 メディアがデジタル化の潮流にさらされているなかで、かつての銀行業界のように全体として速からず、遅からずの「護送船団方式」がテレビ業界で通用する時代は過ぎている。日本テレビが見逃したドラマを無料でインターネットに配信したのを皮切りにして、TBSも追随する方向を探っている。

  配信方法はさまざまであっても、メディアの生き残りのキーがコンテンツであることはいうまでもない。

  有料放送会社2社の番組制作の機能はどうか。

日本民間放送連盟が毎年9月に選考結果を公表している、優秀な番組に与える賞において、WOWOWはドラマとドキュメンタリー、エンターテインメント、青少年向け番組の3部門で優秀賞を獲得している。

独占映像となった全米オープンの番組によって、9月の新規加入者数は15万3273と前月を約11万増となった。

スカパーが始める独自番組は、バラエティーやクイズ番組をまず、地上波のゴールデンタイムにぶつける。クイズ番組のキャッチフレーズは「お金を払っても見たいクイズ」である。

12月からは連続ドラマの放映を予定している。

  地上波放送が「護送船団方式」によって、インターネット配信に消極的であった時代が長く続き、地上波と有料放送は棲み分けができていたといえる。ところが、インターネットの有料映像サービスは、こうした棲み分けを侵食しつつある。

 有料放送やポータルサイトの有料版配信サービスを除いて、視聴者がインターネットを通じて、定額見放題やその都度課金、購入している動画配信市場の規模はどの程度まで成長しているか。こうしたサービスは有料放送のライバルである。

 日本映像ソフト協会が今春に発表した2013年の映像ソフト市場規模についての調査によると、有料動画配信はすでに597億円に達していると推定される。

 WOWOWの2014年3月期の売上高は702億円、スカパーの同期は1716億円である。有料動画配信の数々をまとめると、有料放送会社の売上高に肩を並べるのはそう遠い将来ではないようにみえる。

  テニスの全米オープンの独占中継の成功から、WOWOWが何を学ぶべきだろうか。米国のCATVがボクシングの世界チャンピオン戦などで、試合ごとの料金を徴収するペイテレビ方式を、日本に本格的に導入するきっかけとするのか、あるいはインターネット時代の有料課金に向けた挑戦の始まりと考えるのか。

 日本のメディア業界はテレビのみならず、米国の洗礼に学ぶことが多いが、インターネット配信において「周回遅れ」の状況をみすえた、経営判断が必要なのは間違いないだろう。

  日本の有料放送は、四半世紀の歴史のなかで経営不振と合併などを経て、ようやく視聴者の間に定着したのも、つかの間で、地上波のインターネット配信という荒波がもう間近に迫ろうとしている。

 

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  Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

四半世紀で3人の社長が辞任の異常事態

言論機関として再生は可能か

 企業の四半世紀の歴史のなかで、6人の社長のうちその半数が不祥事によって辞任する。そんな企業がいったいどこにあるだろうか。

  朝日新聞社は東京電力・福島第1原発の吉田昌郎元所長の証言をめぐる報道を取り消すとともに、木村伊量社長が辞任の意向を表明した。

 しかしながら、「従軍慰安婦」報道の検証記事に対する批判と相まって、メディアの「朝日批判」は止まらない。

  休刊になった月刊誌『諸君!』の名物コラム『紳士と淑女』の筆者である、徳岡孝夫氏は文藝春秋・週刊文春臨時増刊号(10月3日)で次のように述べる。この号は朝日問題の特集号である。

 

  それにしても、9月11日の記者会見には驚きました。「吉田調書」と「吉田証言」のダブルで謝罪ですからね。しかも「慰安婦」がついでのような扱いなのには、ただ唖然ですわ。これは通り一遍の謝罪の文言で取り消せるような問題ではありません。

  ……『紳士と淑女』で繰り返し朝日を批判したのは、相手が大きく権威があったからです。しかし、今回の体たらく。朝日と文春の20年論争はどっちが勝った?文春の空振りでしょう(笑)

 『海賊とよばれた男』などの作品で知られる作家の百田尚樹氏は、次のように述べる(週刊新潮9月25日号)

   それにしても会見に臨んだ「朝日」の木村社長の姿を見ているとつくづく惜しいなあ、と思わざるを得ません。

  私は前回、週刊新潮の「語りおろし」で木村社長を改革者だとして「朝日の『ゴルバチョフ』だとさえ思っている」と言いました。

  しかし、木村社長は「吉田証言」を撤回させた一方で、社内メールに<反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいきません>とか、<今回の紙面はこれかれもゆるぎない姿勢で慰安婦問題を問い続けるための、朝日新聞の決意表明だと考えています>と居直っている。

  「吉田調書」と「吉田証言」のふたつの吉田問題に加えて、朝日新聞が、池上彰氏の連載がいったんは掲載を中止し、週刊誌などの批判を浴びると一転して掲載した問題は、ジャーナリズムの本質にかかわる、という認識が広がっている。

  沖縄県のサンゴに写真部員が故意に傷つけて、あたかも犯人がいるような記事を掲載した「サンゴ事件」後に社長を務めた、中江利忠氏は週刊新潮に寄稿して次のように述べる(同号)

   一連の問題の中で一番反省すべきは、こちらから自由に書いていただくようにお願いしていた池上彰氏の定期コラム「新聞斜め読み」の<訂正、遅きに失したのでは>の掲載を、一時的に見合わせたことです。大変な間違いだったと思いますし、言論の代表を標榜する本社の“自殺行為”でした。それを批判されたことについて、記者会見で「思いもよらぬ」と答えた木村伊量社長の真意は測りかねますが、こうした発言をするようではジャーナリスト失格だと思いますし、この言葉はこの際撤回しておくべきだと考えます。

  ……ここまで大きな事態を招いた以上、木村社長は交代すべきです。会見では遠まわしな表現でしたが、辞める覚悟なのだなあと私は見ておりました。社長以外の役員交代も視野に入れて検討していくべきでしょう。

 「サンゴ事件」における一柳東一郎社長の辞任は、事件発覚直後であり、後事は専務の中江氏に即刻託された。企業の不祥事におけるトップ交代としては通例である。

  評論家の日下公人氏は、WiLL11号において、朝日は「経営悪化のスパイラル」に陥ったと指摘する。報道→新商品開発→資本→精神→販売→広告→報道のサイクルが下方のスパイラルに入った、とする。出身の長期信用銀行の例などをあげて、こうしたスパイラルに経営層が気づかないために企業は破綻すると断言する。その報道の蹉跌について、次のように述べる。

   「ジャーナル」(journal)の語源は「ヤヌス」(Janus)というローマの神様で、顔がふたつあり、1年の始まりに立っていて、過去と未来を見ている。朝日は過去と未来を見通す力は全くないのではないか。

  朝日新聞はすっかり上から目線になり、謙虚さを忘れ、在野精神を忘れた。新聞の起こりは明治時代、失職した旗本たちが薩長政府批判をやり始めたのが最初だったが、いまの朝日からはそのような気概は感じられない。

  ……自分の不勉強が原因の劣等感を隠すために、メディアの優越感を丸出しにして「読者に教えてやろう」「誘導してやろう」とするが、これは報道ではない。

   トップが辞任に追い込まれる事態が、かくも多発する企業の再生は可能なのだろうか。朝日はそのために、3つの委員会が活動を開始した。

  吉田調書問題については、「報道と人権委員会」が、慰安婦報道問題は有識者による第三者委員会が。社内には「信頼回復と再生のための委員会」が設置された。

  福島第1原発の事故について、政府や国会、民間の事故調査委員会が多数の関係者の聴取をしたように、証言を集めて誤報の要因と再発を防ぐ手立てを考えなければならない。

 まず、四半世紀にわたって、誤報が繰り返される要因はどこにあるのか。さらには、過去にさかのぼって、今日にいたる遠因を追究することである。

  企業が危機に際して取る手順を忠実に進める、それに尽きるだろう。

 組織や人事制度の抜本的な改革につながるのは避けられない。

 悔い改めなければならない諸々は、数々の「朝日批判」のなかにすでに見ている。

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ELNEOS 11月号寄稿。

 ニュースはまたたくまに消費されて、企業の広報パーソンが懸命に組織の防衛に奮闘していた問題もいつしかメディアの報道から消えてなくなる。企業のレピュテーションが毀損されたままになる。

 朝日新聞のいわゆる「従軍慰安婦」報道の検証記事と、福島第1原発の故・吉田昌郎所長の「吉田証言」問題はいっこうにメディアの批判が鳴り止まない。

 企業広報の優れた経験者たちは、朝日新聞がふたつの問題の対応に誤ったことを明瞭に指摘している。

 NPО法人「広報駆け込み寺」代表の三隅説夫氏の論文(偉業やk月刊WiLL十一月号)はその代表的な例である。企業広報の経験者らで組織する、この法人は企業や自治体などの広報担当者に助言したり、講演活動をしたりしている。

「通常であれば、検証記事を出した日に、社長自ら会見に出て行ってすぐに謝罪、説明するところです。そうすれば、問題はこれほどには大きくならなかったでしょう。

 新聞社は報道機関である前に一企業です。商品である新聞の品質に疑問が持たれているにもかかわらず、検証記事を出してから一カ月以上、社長は出て行かず、謝罪もしないというのは一般企業ならあり得ないことです」

「慰安婦報道」の検証記事から一カ月後、朝日新聞の木村伊量社長は「吉田証言」報道の取り消しを表明するとともに謝罪した。さらに、検証と社内体制を整えた後に辞任する意向を明らかにした。

前者の報道について検討する第三者委員会は十月九日に初会合を開き、元名古屋高裁長官で弁護士の中込秀樹委員長は二カ月以内には報告書を出すとしている。

このシリーズで幾度か述べてきたように、メディアにかかわった経験と、広報とは本質的にまったく異なる。経済記者として優れた企業広報パーソンとつき合った経験のあるわたしは、この点について頭では理解していたつもりだったが、さまざまな企業の危機をくぐり抜ければ、身に染みて理解できなかったのである。

朝日新聞をめぐる危機の深層には、そうした企業広報の基本を欠いていたという点だけではとどまらない問題がひそんでいるのではないか。

先の中込委員長は初会合で次のようにあいさつしている。

「場合によっては、新聞社自身が解体して、出直せ、ということ(報告書)になるかもしれません」

 極めて手厳しい指摘である。

 朝日新聞の過去四半世紀のなかで、木村社長が辞任すれば、歴代六人のうち半分の三人もが引責辞任することになる。このような上場企業が過去に存在するだろうか。

 広報パーソンたちは直面する危機を乗り切れば、組織が正常な位置に戻る、という確信があるだろう。「広報駆け込み寺」の優れたメンバーの幾人かを知っているだけではなく、過去の業績を眺めても、企業の「心棒」に対する信頼があってこその活躍であったと思う。広報パーソンとしてのわたしもそうだった。

 朝日の第三者委員会が報道機関の「心棒」を指し示せるかどうか。記事の検証よりも大事なことである。

 

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朝日新聞「吉田調書」問題を考える

NHKスペシャル「原発事故調 最終報告~解明された謎 残された課題~」

過去の番組が照射するいま

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本 寄稿(10月8日)

 http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 「映画は何度も繰り返して観られるものである」と述べたのは、ヒッチコック監督である。

 テレビの番組もまたそうである。

  福島第1原子力発電所の故・吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会に聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」の報道をめぐって、朝日新聞がその誤報を認めたうえに記事を取り消して謝罪した。

  原発事故については、政府と国会、そして民間の調査委員会がそれぞれ報告書をまとめている。政府の調査報告がまとまったのを機会にそれぞれの責任者を集めて、事故について解明された事実と、これからの課題を話し合った番組を改めて見た。

 NHKスペシャル「原発事故調 最終報告~解明された謎 残された課題~」(2012年7月24日放映)である。

  テレビは現在を伝えるメディアとして発展を遂げてきたが、デジタルアーカイブの整備によって、過去から現在を照射するメディアとしての地平を切り拓きつつある。

  この番組では、原発事故報道に当初からかかわっている根元良弘デスクが、3つの事故調査報告書について、その膨大な情報をコンパクトにまとめながら、それぞれの報告書の責任者に事故の問題点について語らせる。

  政府事故調の448頁におよぶ報告書が原発事故直後の2011年6月から、関係者の聞き取りに着手した事実が根元デスクによって告げられる。事情聴取の対象者は770人もの数にのぼる。

 故・吉田所長は自らが体験したことは事故の一部であり、全体をみるには他の人々の証言と突き合わせる必要がある趣旨から、自らの証言の公表を控えるように要請していたといわれる。

 「吉田調書」ひとつに絞った朝日の報道は、政府事故調の広範な視点を欠いていることがわかる。政府が吉田氏以外の調書についても公開したことは、今後の事故の分析に役立つだろう。

  番組の出席者は、政府事故調の畑村洋太郎委員長と柳田邦夫委員、国会事故調の黒川清委員長、民間事故調の北澤宏一委員長である。

  福島第1原発では、3つの原子炉が次々にメルトダウンに至った。

 政府事故調は、まず巨大地震・津波の4時間後にメルトダウンした1号機について、事故は防げたとしている。非常用に冷却する復水器は手動で働く仕組みだったが、作業員が誤認して失敗した。3号機はバッテリーによって冷却装置が動いていたが、作業員が装置の破壊をおそれて手動で止めた。2号機は3月14日午後6時ごろまで冷却が続き、電源喪失後3日間の余裕があったにもかかわらず対策が講じられなかったとしている。

  政府事故調の畑村委員長は「もともと全電源の喪失はありえないという前提だった。(そうではない事態を想定すれば)十分に対応できた事故である」と指摘する。

 柳田委員は「技術に対する過信あった。現場のバックアップ体制やシステム、事故の際のマニュアル、指揮者の指示など有機的に動かなかった」と。

  国会事故調は、原発事故による避難者約2万人を対象とするアンケートを実施して、その約半数から回答を得た。政府が避難圏を原発から3㎞、10㎞、20㎞と拡大する過程で、70%以上の住民が4回以上の避難を繰り返した。ことに、双葉病院の入院患者40人は、寝たきりの患者が多かったのに、福島県が手配したのは大型バスで、移動距離は230㎞に及び、着いた避難先の高校には医療従事者はいなかった。車内で3人が亡くなった。双葉病院と他の病院、介護施設を含めて事故後の3月末で60人が亡くなった。

  黒川委員長は「規制の虜(とりこ)」による政府の失敗を指摘する。規制する側がより知識や経験のある規制される側に引っ張られる現象をいう。「日本だけではないが、規制の虜によって、(安全対策が)常に先送りされる」と語る。

  民間事故調の北澤委員長は「空気を読んで、正義よりも組織を重視する。規制当局が相手を考える。安全神話が100%なので、これ以上の規制をいう勇気がなかった」と分析する。

 北澤氏は9月末に亡くなり、遺言ともなった。

  原子力安全委員会は、この番組放映の20年前に原発の全電源が喪失する場合の規制について、論議をしたが、先送りにされた。

  この番組のなかで、3つの調査委員会の責任者が「課題」としてあげた点こそ、メディアが解明し、かつ提言していかなければならないと考える。

  民間事故調の北澤委員長は「(原発事故による)情報を政府がいかに、国内ばかりか海外に伝えていくのかを考えなければならない。国としての危機管理もきちんと考える」

  国会事故調の黒川委員長は「憲政史上初めて国会に調査委員会が設置された。国民は(原発の安全対策について)国会議員に託すことが必要だ」

  政府事故調の畑村委員長は「メルトダウンがどのように進行したのかも。放射能物質がどのように拡散したのか。実物大の実験装置で確認したいと考えているが、それは調査を(今後も)続けていくことが大事だ」

  原発事故をめぐって、膨大な証言と資料が残された。最終報告書がそろってから1年半余り、メディアがそれを読み解くのは大きな課題である。

 

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朝日「従軍慰安婦」検証記事の批判の死角

言論機関としてのプロトコルの忘却の果て

 Daily Daimond寄稿(9月12日)。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 朝日新聞が「従軍慰安婦」の報道について検証した記事に対する、批判の声が鳴りやまない。読売と産経が、検証記事の「検証」シリーズを始め、月刊誌や週刊誌も追求の矛先を収めない。

  メディアが相互批判することは健全である――慰安婦を強制的に刈り集めたとする、偽の証言に関する報道を30年以上にわたって、なぜ訂正しなかったのか。慰安婦と挺身隊と混同した初期の報道について、正確な検証が行われていない。

 ここでは、朝日新聞がこれほどまでの批判にさらされる深層に、言論機関としてのプロトコル(手順や手続き)を忘却しているのではないか、という視点からみていきたい。

  まず、社説つまり論説と、専門家や一般読者の意見をどのように紙面化するかである。世界の有力紙・誌は、エディターの意見に対抗する逆側の面に、読者からの投書面や反対意見を掲載するのが歴史的に到達した地点である。

 読者の無意識下にあるが、新聞製作上は奇数面が偶数面よりもより重要なニュースを掲載する。1面であり3面であり、社会面も左側の奇数面が重要である。

  朝日の論説は中ページの奇数面に置かれた時代が長く、2面から再び中ページに移ったこともあった。そして3面に移り、いまでは中ページの偶数面に掲載されている。しかも、社説は読者の投稿に囲まれるようにして存在する。

 対抗面は、識者のインタビューによる政策提言や軽い話題ものが大きく掲載されている。

  社論すなわち論説を掲げて世に問う気概が弱く、かつ識者や読者の反対意見を対抗面で堂々と受けて立つ姿勢もはっきりとみえない。

 そもそも、検証記事については、それに対する識者の意見がいくつか掲載されているが、反対論は現代史家の泰郁彦氏のみであった。

  「従軍慰安婦問題」について、過去にこうした社論と反対意見を十分に闘わせる、有力紙では常識であるプロトコルに従っていれば、日本を国際的な批判にさらす道に、朝日が結果として誘うことは若干でも是正されたかもしれない。

  それは、朝日の言説に対する反対意見の尊重を意味する。朝日が1970年代末に、販売部数が700万部を達成して、「世界一の部数」を誇ったのも束の間で、読売に抜かれたものの800万部に至る80年代は、相対的に反対意見に対して寛容であり、紙面に取り上げていったものである。

  夕刊のシリーズ「わたしの言い分」は、ニュースになりにくい少数意見をインタビューの形で紹介していった。それは「言いたい・聞きたい」シリーズに引き継がれた。

 連合赤軍事件の永田洋子死刑囚の執行に反対する、瀬戸内寂聴氏のインタビュー、違法な「どぶろく」づくりを止めないことを宣言する裁判の被告のインタビューなどに、幅広い言論の場を作ろうという言論機関の意思である。

  系列の週刊誌に相対的な言論の自由の場を許して、新聞と相まって、朝日の言論機関としての幅広さを印象づけていたように思う。

  右翼も左翼も取り上げる、朝日ジャーナルが20年余り前に休刊となり、週刊朝日も80年代には当時としては異例の北朝鮮に帰還した人々の苦闘について、紹介したりしていた。

  言論機関としてのプロトコルから考える、朝日の第二の蹉跌は「主筆」の不在である。主筆とは朝日の規定によると、「主筆は記事、論説を総覧し紙面の声価を高める」とする。

 つまり、論説部門と編集部門を束ねるトップの位置にある。社長を兼務した広岡知男氏以来久しぶりに、2007年に復活して船橋洋一氏、若宮敬文氏と続いて、若宮氏の退任の2013年初め以来不在である。

  「従軍慰安婦問題」の検証記事においては、本来であれば、論説と編集の上に立つ主筆が堂々たる論陣を張るべきであったと考える。経営層の論文の切っ先は鋭くはなく、あいまいな表現に終始している印象を否めない。

   ふたつのプロトコルの忘却による言論機関としての機能不全は、検証記事に対する反論(8月28日付朝刊、3面)として現れる。「慰安婦問題 核心は変わらず」と題して、河野一郎・元官房長官の談話が、慰安婦の強制的な狩集の偽証とは関係がないことや、韓国の元慰安婦の証言を重視していることなどが述べられている。

  この記事には署名がない。しかも、一般記事が掲載される3面に大きなスペースを割いている。これでは、社論と一般的な報道の境目がなくなる。

  言論機関としての基軸が定まっていないことから、朝日は批判の対応にブレが生じて、それがまた傷口を深くしているようにみえる。

  ジャーナリストの池上彰氏の連載「新聞ななめ読み」が、慰安婦報道の検証をタイトルにして、いったんは編集部門に渡されたのに対して、掲載を拒否した問題である。結局のところ、朝日は、世論の批判を浴びたのを受けて、掲載した。

  慰安婦報道の検証、であるならば、社説との対抗面に堂々と批判として掲載する類のものである。あるいは、識者による「紙面批評」の欄に掲載されるべきものである。

 

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