ブログ

メディア論

このエントリーをはてなブックマークに追加

新たな産業を生む可能性もある政策の成否は?

Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 地上波アナログテレビが高周波帯に移行してデジタル化した、跡地の電波利用が本格的に始まる。放送・通信技術が発展途上だった、戦後の放送局に優先的に与えられたもっとも使いやすい低周波帯である。

 V-Highと呼ばれるアナログの4~12チャンネルの跡地では、NOTTVが4月からスマートフォン向けに、これまでBSやCSで放送されていたチャンネルのサービスを提供する。

 フジテレビのスポーツ・バラエティの「フジテレビONE」と、同局のドラマ・アニメの「フジテレビTWO」、時代劇専門チャンネル、海外ドラマのANX、アニメ専門のANIMAX、サッカー専門の「スカサカ!」である。

 V-Lowのアナログの1~3チャンネルの跡地は、FM東京を中心として設立したBICがマルチメディア型の新しい放送を今秋から開始する。乗用車向けに路線や走行に必要な情報を提供したり、地方自治体の防災情報の配信をしたりする内容が固まりつつある。

  放送内容に入る前に、通信と放送をめぐる産業政策の面からアナログテレビの電波帯域の跡地利用を考えてみたい。

 小泉純一郎政権下の竹中平蔵総務相のもとで検討された、放送と通信の融合に関する法制は、いったんは2009年にコンテンツ(放送の業務)と伝送サービス、伝送設備の3分野に切り分けることになった。つまり、原則として通信と放送の垣根はなくなる方向性だった。

 しかしながら、NTTなどの反対もあって、妥協点として2010年に通信と放送に関する法律の一部改正はあったものの、融合は実現しなかった。放送法と、通信業者をしばる電気事業法、電波法、有線電気通信法が残った。

 電波帯の利用という名目のなかで、V-HighとV-Lowには放送と通信の融合という総務省の産業政策が織り込まれている。サービスの内容がまだはっきりとしないために、業界や専門家以外にはみえないので、世論が喚起されるまでに至っていない。

ハードとソフトの事業者が切り分けられて、産業政策的にその数が限定されているのである。

 V-Lowでは、全国を北海道、東北や関東・甲信越など7地域に区分して、ソフトの事業者は各地域に複数とする一方、ハードはひとつの地域で1社とする。V-Highはソフト事業者とハード事業者はいずれも1社に限られている。

 放送と通信の融合という側面は、このV-Highにおいて強い。

  検討されているサービスの内容について、みていこう。東日本大震災後に高まっている防災・減災への活用と、新しい産業を育成する側面のふたつが大きい。

 運営会社は、2020年までに受信できる端末数を2000万台にする目標を掲げている。電源が切れても受信可能にする。

 地方自治体が広域の住民に防災情報を流すのに比べて、大幅なランニングコストの減少につながるとしている。人口約400万人規模の都市で全所帯に防災情報を配信する、システムの構築には700億円程度の資金が必要であるが、新しい方式では年間3億円程度のコストに収まる。

 このサービスの電波帯の特性を生かすと、ある特定の地区についてそれに関する防災情報配信することも可能になる。

 東日本大震災の際には、広域のさまざまな情報が流れて、自分がいる特定の地区の必要な情報が埋没することがあった。

  新しい産業を生む可能性としては、自動車のラジオ部分にこのサービスの受信機を装備する案が有力である。地域情報を音声や文字情報でも流すことができる。

 また、電子広告に装備すれば、地域を限定した宣伝ができる。大手流通業者と地域ごとにこうしたサービスをする検討が進んでいる。

 これまではバスなどの公共機関の電子広告は、携帯電話の電波を使っていたが、新サービスのコストが格段に安くなり、開拓を狙っている。

 総務省は規制官庁であると同時に、産業政策も担おうとしている。NTTの光通信網を開放することによって、新規のADSL事業者が基幹網にそれを取り込んで競争を促進した。また、携帯事業者の競争をうながす電波の割り振りもおこなった。

 それも、業界によって、消費者向けのサービス価格はほぼ同レベルとなって、新たな競争政策が必要になっている。

 アナログテレビの電波帯の利用政策は、そうした総務省の産業政策の成否を占う大きな実験となる。

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 記者有志による異例の内部告発本も出て

Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 企業のコンプライアンスの専門家である、弁護士の久保利英明氏が委員長を務める「第三者委員会報告書格付け委員会」が2月中旬、朝日新聞の第三者委員会の報告書について、まったく評価に値しないという委員が過半数を占める格付結果を明らかにした。

  朝日新聞の一連のいわゆる従軍慰安婦報道に関する調査報告書は、手厳しい洗礼を受けることになった。さらに、朝日新聞記者有志の匿名による内部告発本の「朝日新聞 日本型組織の崩壊」(文春新書)も発刊された。

 朝日新聞の第三者委員会と、「各付け委員会」の報告書、内部告発本から浮かび上がる、朝日の企業体質の病巣と、それを摘出して再生の道はあるのか、改めて考えてみたい。

  「格付け委員会」のメンバーは計9人。科学ジャーナリスト(元日本経済論説委員)の塩谷喜雄氏を除くと弁護士や大学教授ら、メディア界以外の有識者で占められている。

 格付はAからDまでの評価と、評価に値しないFがある。

 今回の朝日の報告書に対して、評価に8人がかかわり、久保利委員長と弁護士の齊藤誠氏ら5人がF、かろうじて評価に値するDが3人だった。

  久保利氏は個別の評価の理由を明らかにしたなかで、朝日の第三者委員会はそもそも事実を調査する委員会とはいえないと、厳しく論じる。調査にあたっては、若手弁護士を多く活用すべきだったとする。さらに、一連の従軍慰安報道の誤りについて、その原因が明らかにされていない。報告書の結論部分にいたって委員の意見の羅列に終わっている、と指摘している。

  朝日の報告書は、委員長に弁護士(元名古屋高裁長官)の中込秀樹、委員に外交評論家の岡本行夫氏、国際大学長の北岡伸一氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、国際政治学者の波多野澄雄氏、東京大学情報学環教授の林香里氏、作家の保阪正康氏の7人の委員による。

  「格付け委員会」の極めて低い評価ながら、朝日新聞のホームページで公開されている115頁に及ぶ報告書は、民主主義の基盤であるジャーナリズムを担う企業で起こった事態について、さまざまな教訓を読み取ることができる。項目の見出しは穏当ながら、その内容は担当した記者とデスクつまり上司の編集者に対して、手厳しい批判を展開している。

   慰安婦報道のきっかけとなった、韓国・済州島で若い女性を強制的に慰安婦とした、という吉田清治氏の証言をめぐる報道である。1990年に報道されてから、その後に歴史家の秦郁彦氏の現地調査によってその証言の信用性が揺らいでいたのみならず、朝日の取材でもそれが確認されていた。社内向けの通達によって、吉田証言を引用しないような指示もとんでいた。

 そもそも、吉田証言は本人が開陳する事実について、確認を怠っていた。

 報告書はいう。

   しかし、そのような認識を持つに至ったのであれば、それ以降、吉田証言を記事として取り上げることは慎重であるべきであり、こ れまでの吉田証言に関する記事をどうするかも問題となるはずであるのに、吉田証言について引用形式にするなど弥縫策とったのみで安易に吉田氏の記事を掲載し、済州島へ取材に赴くなどの対策をとることもないまま、吉田証言の取り扱いを減らしていくという消極的な対応に終始した。これは新聞というメディアに対する読者の信頼を裏切るものであり、ジャーナリズムの在り方として非難されるべきである。

  報告書の最後に付された、委員の個別意見のなかにこそ、朝日の再生の処方箋が示されている。

 岡本委員は「記事に角度をつけ過ぎるな」と指摘する。社員に対するヒヤリングのなかで「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」という意見が多く、驚いたという。「新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、『火のない所に煙を立てる』行為は許されない」とする。

 さらに、「朝日新聞の凋落は誰も利益にも適わない。朝日の後退は全ての新聞の後退につながる」と。

  北岡委員はいう。「新聞記者は特権集団なのである。名刺一枚で誰にでも会えるし、自分のメッセージを数百万部の新聞を通じて天下に発表することができる。しかも高給を得ている。自由な言論のためには、そうした特権集団は必要だ。しかし特権には義務が伴う。自らの記事を絶えず点検する厳しい自己規律をもとめたい」と。

  朝日新聞記者有志による「朝日新聞 日本型組織の崩壊」は、第三者委員会が解明した事実をさらに詳細に明らかにするとともに、病巣に迫ろうとする意図から書かれたものである。

 全体としていささか暗い気分にさせられるのは、有志の記者たちが自ら拠ってたつメディアの組織や経営のありように対して、ほとんど信頼を寄せていない点である。記者があたかも取材対象の企業について、不祥事が起きた場合に、過去の不祥事や経営陣の資質について批判している。そこには再生の糸口が見えない。

  「日本型組織の崩壊」の例として、三菱自動車による度重なるリコール隠しと、戦前の軍部を上げている。

 ジャーナリズムの担い手である新聞社のありかたと、この2者との比較はどうだろうか。惹句に過ぎないのではないか。

  第三者委員会の委員たちが、朝日新聞が今回のような事態に陥ったことに対して、批判ともに惜しむコメントを寄せていることが、すべてであると思う。

  経営層から記者に至るまで、「ノブレス・オブリージュ」つまり社会的な権力を持つ者に要求される高貴さが、経営層から記者に至るまで失われている現状から、すべては引き起こされた。

  この視点から、「格付け委員会」と第三者委員会、そして記者有志の著作を読み解くなら、日本を代表する新聞社になにが起きたかが、はっきりとわかるだろう。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 図書館の貸出冊数が激増 図書館は出版社の敵か?

  Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 

 図書館は出版社の敵ではないのか――販売部数が低落傾向に入った2000年代初頭の論議が、改めて蘇ってきた。インターネットの普及によって「情報がタダ」という意識が広がっている、という説明だけでは出版社の苦境が説明できないからだ。

 

 紙の出版物の販売額は、出版科学研究所の推計によると、2014年は前年比4.5%減の約1兆6000億円。調査開始の1950年以来、最大の下げ幅を記録した。電通の広告費調査によると、雑誌広告費は前年と同じ2500億円だったが、10年前に比べると約半分の水準となった。

 ちなみに、出版市場の規模は、書籍・雑誌販売と雑誌広告を合わせて、ピークの1997年に約3兆円だった。2014年には約半分の1兆6000億円に縮小したと推計されている。

 

その一方で、図書館の貸出冊数が激増しており、書店の販売部数を足し合わせると1990年代以降、12億冊から14億冊で上昇傾向にある。つまり書籍販売冊数が減少する傾向線と、図書館の貸出冊数が増加する傾向線が2010年にクロスして、後者が若干上回るようになった。

 図書館によって書籍の売上が減少しているのではないか、という問題意識に立って、作家、劇作家、評論家、随筆家らで組織している、日本文藝家協会が2月初旬に「公共図書館はほんとうに本の敵?」と題するシンポジウムを開いた。

 

問題提起をした作家の関川夏央氏は、公共図書館が「貸出至上主義」に走るあるいは、行政の評価基準が難しいために、そうした方向に走らざるを得ない点を指摘した。

 さらに、ベストセラーなどを図書館が多数冊買う「複本」が実際に購入する読者の数を減らしている。しかもこうした傾向は単行本のみならず、文庫や新書など安価な本にも広がっていると、警鐘を鳴らした。

 例えば、東京都文京区立図書館の貸出予約件数の上位をみると、「村上海賊の娘」(和田竜作)は34冊が購入されていて、予約件数は520件にも達している。

 貸出回数の上位では、「舟を編む」(三浦しをん作)が427回、「夢幻花」(東野圭吾作)が397回となっている。

 新潮社の石井昴常務は、複本の数をでき限り少なくすることに加えて、貸出は出版後から半年経ってからにすることを提起している。文藝家協会などもこうした主張をこれまでもしてきているが、実現していない。

 また、出版界の経営について、単行本の初版は90%が売れてようやく収支がトントンとなる。書店からの返本率が平均40%にも及んでいる状況では、図書館の影響を無視できないと訴える。

 「つながる図書館:コミュニティの核をめざす試み」(ちくま新書)の著者である、ジャーナリストの猪谷千夏氏は、「貸出市場主義」ではない、地域の振興に役立つ図書館を増やしていくことによって、図書館と出版社は敵対関係ではなくなると説く。

 代表的な例として、長野県小布施町の「まちとしょテラソ」をまずあげる。この新図書館の建設のために町民100人が議論をして、そのありかたを決めた。運営員会も町民50人が務めている。

 地方創生の事例としてあげられることが多い、岩手県紫波町の複合施設「オガールプロジェクト」が、その中核が実は図書館であり、農業の支援をする機能を担っているという。

 シンポジウムのなかで、東京大学大学院図書館情報学の根本彰教授は、図書館と出版業界のよりよい関係の事例として、ドイツを上げている。

 公立図書館と学校図書館が連携して、乳幼児から18歳に至るまで「読書教育」がほどこされている。また、複本の購入は抑制されている。これによって、書籍の売上も微増ながら続いている。

 日本の出版文化は、江戸時代から版元(出版社)と印刷、流通(取次)というシステムを構築しながら発展を遂げてきた。

 そうしたなかで、丸谷才一氏が高く評価するように、本来であれば国がやるべき「日本国語大辞典」(小学館)のような偉業も出版社が担ったのである。こうした文化の継承のためには単行本や雑誌、文庫、新書の収益が下支えしてきた。それが失われることの危機感は、出版界関係者のみならず、読者つまり市民も考えなければならないと考える。

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

  Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 いわゆる従軍慰安婦報道をめぐる検証問題に揺れている、朝日新聞は年明けから「読者とつくるページ」のなかで、データベースから随時、「新聞の原点を考える記事をご紹介します」とうたっている。

  元旦付けの第1回目も、2月1日付の第2回目も、1面のコラム「天声人語」だった。筆者は約40年前に執筆を担当した、故・深代惇郎氏の手による。1973年から75年にかけて2年9カ月にわたって担当した同氏は、46歳で急逝、名文家と知られた。

  再掲載の新聞週間に寄せたコラムは「別に、新聞批評に苦情をいっているわけではない。苦衷をお察しあれ、と訴えたいわけでもない。ただ、批評とはそうしたものであり、そして批評は大切なものだ、といいたいためである。役所や企業は、消費者や新聞が批判する。政治家には選挙がある。しかし、批判する新聞を批判する強力な社会的な仕組みはない」

  過去の名コラムニストの文章を引いて、朝日の現状を照らし出す編集の意図は達せられるだろうか。コラムニストはいまを鮮やかな手並みで切り取ってみせるものであって、深代氏もまさか自社の不祥事の後に紙面に再掲載されるとは思ってもみなかっただろう。

  新聞や雑誌は、特ダネや特集の連載物に加えて、コラムが読者を引きつける。取材力や企画力のコンテンツ製作の総合力が表れるのがコラムである。社内のコラムニストであれ、社外のコラムニストの起用であれ、それは変わらない。

  新聞のコラムニストとして、読売新聞の「編集手帳」子が列伝のトップにくるのではないか。竹内正明論説委員が15年にわたって書き続けている。『名文どろぼう』や『名セリフどろぼう』などの著作でも知られるように、引用の名手である。

  工業デザイナーの栄久庵憲司(えくあんけんじ)さんの死去を受けた、2月10日付では、冒頭が「石屋の大将は焼き海苔が好物らしい」と書き出す。向田邦子さん作のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」のト書きを引用したうえで、その食卓に栄久庵さんがデザインしたキッコーマンの醤油びんがあったろうと書き継いでいく。その人が広島の原爆で父親と妹を亡くしたことに触れて、「赤いキャップの醤油びんは、むごい炎を知る人が悲しみを代償として、津々浦々の平和な食卓にともしたロウソクの灯だったのかもしれない」と。

  コラムを読む楽しみは、自分が知らない事実や物の見方が織り込まれていたり、心情を揺さぶられたりするところにあるのではないか。そこには過剰な表現や修飾語は必要ではない。

  毎日新聞の夕刊にはベテラン記者のそうしたコラムがあふれている。定年を超えて書き続ける名物記者たちである。

 「牧太郎の大きな声では言えないが…」の2月9日付は、「白鵬に勝って見ろ」である。白鵬が大鵬の持つ32回の優勝を超えてから、白鵬イジメが気になるという。

 「批判その1。寝坊して、会見が1時間以上遅れた。(政治家の記者会見中止なんて日常茶飯事。記者が1時間ぐらい我慢しろ!)

 批判その2。アルコールが残っていた。(朝方まで酒宴?大記録達成の夜、豪快に飲み明かす。二日酔いを責めるなんて、男じゃないぞ)

 批判その3。=稀勢の里戦の物言いについて、白鵬が批判した件について=(いっそテニスのようにコンピューター分析して、勝敗を決めろ!)……

 品格、品格!と言うけれども、モンゴルと日本では価値観が違う。……だったら、土俵の上で、白鵬に勝ってみろ!『品格』で相撲は勝てネエぞ!」

 ぞんざいな物言いのようでいて、明るい。牧太郎・客員編集委員のファンは多いだろう。

  近藤勝重・客員編集委員の「しあわせトンボ」も味わい深い。2月5日付の「春の日差しを待つ一方で」。

 「怒りや悲しみなど、負の感情が心身に及ぼす影響は大きい。ぼくの場合は、自律神経がにわかにおかしくなったりする。神経のマイナス作用に対して、以下にブレーキをかけるか……その1は、吸うよりは吐く息を長くしての腹式呼吸だ。その2は、おかしくなくともハッハッハと声を出してのバカ笑い。その3は、外に出てイチ、ニイとやはり声を出しての速歩である」と。

  サンデー毎日の編集長経験者というふたりのコラムは、新聞とは違う角度で事実をみつめようという視点がある。

  経済報道の王道である、マクロ経済のコラムニストとして、日経新聞の滝田洋一編集委員はこの分野で孤高の道を歩んでいるようにみえる。日銀総裁の記者会見における滝田氏の質問は、黒田東彦総裁が懸命にメモをして熟慮しながら答えている。記者冥利につきる敬意である。

  滝田コラムの特徴は、世界的なマネーの流れについて、株式、債券、商品まであらゆる金融商品の動きを鳥瞰しながら、各国の金融政策も踏まえてわかりやすく解説してくれるところにある。金融機関の国際畑の人々からも信頼が厚い。

  1月26日付のコラム「核心」では、「経済の追い風参考記録――デフレ脱却の機会逃がすな」と題して、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を敷衍しながら、日本経済の現状について歴史的な視点から眺めている。

  「改めて確認したい。日本の名目国内総生産(GDP)のピークはいつで、金額はいくらだったか。正解は前回の消費税を引き上げた1997年の10~12月期で、年換算額は542兆円だった。2014年7~9月期は484兆円。やや持ち直したとはいえ、ピーク時よりなお40兆円小さい。ピケティ読みのピケティ知らずというべきか。格差是正と公正な分配を唱える論者が見落としがちなのが、こうした縮む経済の姿なのだ……名目成長率と長期金利の関係からみてようやく日本はデフレの罠から脱却するチャンスをつかんだといってよい。潤沢な手元資金を持つ企業が、おカネを投資や給与に回すようになれば、経済はうまく回り始める」

  もうひとりの経済コラムニストを上げるとすれば、産経新聞のニューヨーク駐在の松浦肇編集委員だろう。本誌のWorld Scope from 米国の筆者としても、読者にはお馴染みである。英語とフランス語に堪能で、上記の最新のコラムで自ら書いているように、ニューヨークの金融記者会に日本人としては初めて役員にもなっている。

 これからの日本人ジャーナリストあるいはコラムニストとして、先駆者であって欲しい、つまり後続のジャーナリストが望まれる。

 欧米の金融界の裏事情を巧みな筆致で伝え続けている。

  コラムニストは、それぞれの新聞社の取材現場の「余裕」から生まれてくる。この余裕とは、ひとりの記者が自分で焦点を絞った取材の自由を与えることであり、記者は多様な意見を常日頃から取材する努力を続けることである。

 ここに登場させたコラムニスト列伝の幾人かは実際に、交流した経験があるが、みながそうした余裕から優れたコラムを書けるようになった、と感心している。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

 Daily Daimond寄稿。週刊ダイヤモンドの購読者向けのサイトです。

 総務省が放送界に迫る「4K・8K政策」は家電メーカーの救済策

 ハイビジョン放送の4倍の解像度の4K、さらに倍の8Kテレビの本放送に向けて、総務省とNHK、民間放送、ケーブルテレビ(CATV)などの取り組みが本格的に始まろうとしている。CATVはその先陣を切って、今月にも4Kの番組を実用放送に乗り出す。

  新しい高精細の映像は、昨年のサッカー・ワールドカップの際に4Kによる、パブリック・ビューイングが試みられ、選手の動きがよりはっきりと見えた。ハイビジョンとの比較で、砂浜の映像で4Kは砂の色まで映すという。

 日本で初めて一般公開された8Kによるオペラの映像は、昨年夏のNHK放送技術研究所の公開展示でみた。大型スクリーンに映しだされた歌手たちは、アップの映像をあえてはさまずに、客席から観るのとほとんど変わらない体験をした。

  総務省の放送政策のうえで、高精細放送の方向性を示したのは、昨秋に明らかにした「4K・8Kロードマップに関するフォローアップ会合」の中間報告だった。

 2020年の東京五輪の招致成功を受けて、高細度放送の開始を大幅に前倒しする方針が示された。それまでは、4Kについては2016年のリオデジャネイロ五輪から、8Kについては2020年の放送開始が目標とされていた。

  中間報告の目標は、すでに4Kが2年前倒しされて昨年からパブリック・ビューイングの形で先行し、さらに日本ケーブルテレビ連盟が、年間12本の「けーぶるにっぽん美・JAPN」の作品制作を始めた。8Kは4年前倒しになり、リオ五輪から放送である。

 これをたたき台として、総務省と放送界が8月をめどに最終的な目標を定める。

  高精細の放送は、放送界に撮影や録画、編成など多額の投資が必要になる。さらに、従来のハイビジョン放送から転換して、コマーシャル収入が増えるか、という問題もある。

 総務省の放送政策が、東京五輪の招致によって時間軸を変更することに対して、放送界は必ずしももろ手を挙げて賛成とはいかないのである。

  日本民間放送連盟の井上弘会長(東京放送メディアホールディングス会長)は、新年の会見のなかで、そうした放送界の意向を表明している。

  「個人的感想だが、4K放送を民放が実施するためには営業的に採算が取れる必要があり、どこまで投資できるか不透明だ。(総務省のロードマップは)設備投資に見合った収益がなければ、民放としては進めることは難しい」

  さらに、ローカル局ではすぐに4K放送に取り組むことは難しい、との判断を述べている。

  NHKは放送技研の研究成果に自信をもって、8Kを展示したことからうかがえるように、2020年東京五輪は8K放送で迎えようと目標を掲げている。

 1964年東京五輪で、カラー放送と衛星中継を実現させたインパクトの再現を狙っているようだ。

  ここでも、民放が4Kすら足並みをそろえるのが難しいのに、NHKが一歩先を行っているので放送界の統一した取り組みには壁が立ちはだかっている。

  脇道にそれるが、放送技研の公開展示では、特殊な眼鏡を使用しない裸眼でみえる「立体テレビ」の初期実験もあった。

  総務省の高精細放送をめぐる政策は、管轄を超えた「産業政策」の意味合いが強いこともまた、映像の将来の方向性をわかりにくくしている。

 日本の家電メーカーが4K、8Kテレビによって、再びテレビ生産のトップに躍り出る青写真を描いているからだ。

  先の中間報告の「参考資料」は、4Kテレビの世界の需要予測を掲げて、2016年には約3300万台、2018年には約6700万台になるとしている。国内では、2020年に約2700万台が普及して、その普及率は50%を超えるというバラ色の見通しである。

  さらに、本文では「経済波及効果」をあげて、放送分野のみならず広告や、医療、設計・デザインなどの分野にも高精細技術が応用される結果として、2020年前後の直接効果は約4兆4000億円と推定している。

  総務省を構成している旧官庁のうち、旧郵政省は「政策官庁」となることが悲願であった。旧経済産業省への強い対抗意識がありながらも、郵政事業を抱えて現業官庁のイメージはぬぐえなかった。

NTTの光回線を開放することによって、それを基幹回線とするADSL事業が発展したのは事実である。携帯事業の分野でも競争政策を導入して、NTT独り勝ちの構造を崩した。

  小泉純一郎政権下の竹中平蔵総務相のもとで、放送と通信の融合に関するビジョンが掲げられたのも、そうした政策の延長線上だった。この政策は煎じ詰めると、インタネット環境のなかで、放送のコンテンツを流して、コンテンツ産業を育成しようという狙いだった。日本の映像コンテンツの90%以上は放送局によって制作されている。

  放送と通信の融合は、その意味ではいまだに大きな進展はみていない。地上波のテレビ局のコンテンツの優位性は、視聴率こと落ちたとはいえ、依然として揺らいではいない。それどころか、放送で鍛えられた人材が映画の分野に進出して、日本映画の製作本数は右肩上がりである。本題ではないが、映画は衰退している、という常識はちょっとはずれている。

  「産業政策」の帰趨を決めるのは、その産業の担い手である民間企業である。旧経済産業省の自動車産業の集約化に反旗を翻して、この分野に参入した本田宗一郎氏を持ち出すまでもない。

 そして、製品やサービスをどれほど消費者が受け入れるか、あるいは渇望するかにかかっている。パブリック・ビューイングとは、テレビ放送が始まった時の「街頭テレビ」と同じである。プロレス中継に小さなテレビの周りに、1000人を超える人々が集まった東京・有楽町の光景は戦後史の代表的な写真だろう。

 2020年東京五輪をどのような映像で、私たちはみるのだろうか。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加