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 毎日新聞グループホールディングスは6月26日、第1回株主総会を開き、利益処分案などを可決した。傘下に毎日新聞社とスポーツ日本新聞社を収める。

 利益処分案では、1株10円の配当が決まった。

 毎日新聞社が石油危機の影響などから、経営危機に陥って、再建策として新旧分離方式をとった1977(昭和52年)年12月以来、実に34年ぶりの復配である。

 新旧分離による再建策は順調に軌道にのって、85(昭和60)年10月には新旧両社は合併した。復配は再建の最終的な宣言ともいえよう。

  毎日新聞の6月27日付朝刊は、株主総会について中ページで小さく扱っている。復配についてはふれていない。

 大企業が経営再建を成し遂げて、復配に至るのは、最近の日本航空の例を持ち出すまでもなく至難の業である。

 毎日新聞の題字を引き継いで新聞発行をする新社の社長となった、平岡敏男は当時次のように語っている。

 「崩壊した新聞社でいまだ再建された例はない。毎日新社は総力をあげ立ち直り、業界の奇跡となろう」

  報道機関である毎日新聞が、労使とも感慨深かろう復配について、自ら言挙げしないのはしごくまっとうである。しかしながら、好敵手である新聞社に、敬意の意をそこはかとなく感じさせる記事があってもよかったのではなかったか。

  毎日新聞が新旧分離にいたる経営危機については、「『毎日新聞』研究」(汐文社、1977年)など、新聞研究者の間で論議されてきた。毎日新聞自身によって、再建までの内部的な歴史が綴られるのはこれからだろう。日本の新聞業界で初めて1972(昭和47)年に100周年を祝った記録として「毎日新聞百年史」はある。

  「新聞販売乱戦時代」に、あのときの毎日の危機はおとずれたのである。ここでは外部的な要因に絞って、かつ「朝日新聞販売100年史(東京編)」(朝日新聞東京本社、1980年)と「読売新聞発展史」(読売新聞社、1987年)など、好敵手の分析を交えて振り返ってみたい。

 新聞社の歴史に薀蓄を傾ける気持ちはまったくない。毎日新聞の復配は、新聞業界の人々に乱戦時代の記憶を蘇らせる。わたしが新聞記者となったのは、奇しくも毎日が新旧分離になった直後の1978(昭和53)年であるから、語り部の資格はあると思う。

  国会で審議が進んでいる、社会保障と税の一体改革法案の柱となる消費税の引き上げが、新聞販売乱戦時代の再来の恐怖を引き起こしている。毎日の経営危機の物語はいま、過去の歴史ではなく、新聞業界の未来の物語なのである。

  ふたつの物語を結び付けるには、いくつかの補助線が必要である。過去の販売乱戦については、のちほど見ていくとして、いまここにある恐怖から始めよう。

 

 朝日新聞の社長(現会長)の秋山耿太郎は5月18日、京都市内のホテルで開かれた販売店を集めた大会で、消費税が引き上げられた時点で、新聞に軽減税制が認められなかった場合、と前提を置いたうえで、次のように挨拶している。(文化通信6月11日号)

  「読売新聞と激しい駆け引きになるだろう」と。

  消費税の引き上げ分を、新聞の定価に上乗せするのか、あるいは、上乗せしないで新聞社の負担にするのか。その過程で、朝日新聞と読売新聞の間でつばぜり合いが起きる可能性がある、という認識を表明しているのである。

 消費税の改定によって、激しい販売競争が始まる。新聞業界が共通して抱いている恐怖である。それは、販売力で優位に立つ読売が、消費税引き上げ分を飲んでしまうのではないか、という不安である。

  日本新聞協会長の座にいま、秋山は就いている。その就任にあたっては、読売新聞グループ本社の社長である白石興二郎が、協会の販売正常化委員長、つまり乱売を避ける調整をする責任者になってもらうことを要請した、と伝えられている。

  その委員長を引き受けた、白石はどのように考えているのか。インタビューに応じて、次のように語っている。(文化通信5月1日号)

  「正常化については、朝日と読売が中心となって推進する必要があります。……当然ながら、協会長を支える役割をしなければいけないわけです」

  ふたりの発言を重ね合わせると、虚々実々、嵐の前の静けさといっては言いすぎだろうか。

  新聞協会が例年秋に開催している、加盟社を集めた新聞大会は、テーマを取り上げて会長ら座談会をするのが恒例である。協会の理事会は7月18日、今年のテーマを「消費税」と決めた。東日本大震災がテーマだった昨年とは、まったく様変わりである。

  時計の針を1970年代の新聞販売乱戦時代に戻したい。

 1974(昭和49)年7月の新聞代の引き上げは、朝日、毎日、読売が朝夕刊セットで月額1100円から1700円に引き上げた。日経は1800円。しかしながら、東京新聞は900円で据え置いた。価格改定直前の6月と翌月の東京管内の部数を比較すると、朝日は約3万8000部、読売は約6万7000部、毎日は約5万9000部減少した。減少率では毎日が2.8%と大幅だった。これに対して、東京は約11万3000部増やした。

 毎日に限ってみると、1年後の1975(昭和50)年7月、部数の減少は約21万8000部にも達した。東京は約40万部も増やした。

  そして、1976(昭和51)年3月、読売は社告で1年間の価格据え置きを宣言する。その1年後の1977(昭和52)年2月にも「なお当分の間据え置く」としたのである。

 1978(昭和53)年3月、朝日はセット料金を2000円に値上げする。毎日は直前まで追随を検討していたが、断念する。サンケイは据え置いた。「朝日の単独値上げ」といわれる出来事であった。

  この年1月の部数と翌年1月における、各紙の東京管内の部数を比較すると、ともに増やしているが、その幅に大きな差がついた。

 読売は約30万9000部、朝日は単独値上げにもかかわらず健闘したとはいえ約8万部、サンケイが約5万7000部、毎日は約1万部と水をあけられた。

  この販売乱戦時代が振り返ってみれば、いまの新聞業界の地図を生成したのである。日本一の部数を誇る新聞の座は、朝日から読売に代わった瞬間だった。

 1975(昭和50)年1月に東京で開かれた朝日新聞の販売店の大会は、「業界未踏の700万部突破」の記念すべき催しだった。

  それが、乱戦時代を通過した1979(昭和54)年元旦の両紙の部数はどうか。読売の847万6802部に対して、朝日は782万4714部であった。その後、読売は1000万部に向けて駆け上っていく。

 ちなみに、2011年度下期の平均部数を付記しておきたい。

  読売   995万5031

 朝日   771万3284

 毎日   342万1579

 日経   301万0558

 産経   160万7577

  愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という。

 新聞業界の賢者となるのは、どの新聞社であろうか。

 (敬称略)

 nikkei BPnet    「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120406/304866/?ST=business

 

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 1937(昭和12)年5月21日午後零時26分、激しい雨のなかを朝日新聞の社機、神風号は大阪・城東練兵場に着陸した。ふたりの少女が機体から降りた操縦士の飯沼正明と、機関士の塚越賢爾に花束を渡した。朝日新聞創業者の故村山龍平の娘婿で当時会長だった、長挙の長女美知子と次女の富美子である。朝日は大阪発祥である。関西の商家風に呼べば、美知子が「いとはん」、富美子が「こいさん」である。 創業者の龍平には一人娘の藤子がいた。姉妹の母、村山家の「ごりょんさん」である。

 東京―ロンドン間の1,537キロの長距離を51時間19分23秒という当時の世界記録を達成した、神風号の凱旋であった。

  神風号を題材にした深田祐介のノンフィクション「美貌なれ昭和」(文春文庫)は、英国人を母に持つ美男の飛行士である飯沼と、いとはん、美知子が結婚するはずだったという、当時朝日社内でささやかれたエピソードを綴っている。

  飯沼は上海で知り合った当時花形の職業だったダンサーと結婚し、太平洋戦争に従軍中に亡くなる。そして、いとはんは当時、関西の伝統のままに、養子を迎える話もあったと、深田が紹介しているが、独身のまま、いまも三代目の社主として、90歳を超えて健在である。

  関西の名門村山家には、谷崎潤一郎の「細雪」や、山崎豊子の「ぼんち」の女主人公たちを思わせる美しく、どこかはかなさをともなったドラマがあるようにみえる。

 しかしながら、いったん社主一族が、新聞社の株式を持った資本家である顔みせるとき、それは一転して、非情なドラマを生むのである。

  朝日新聞社の2012年3月期の有価証券報告書(有報)をみる。大株主の上位は次の通りだ。

  朝日新聞従業員持ち株会    17.39%

 テレビ朝日          11.88%

 村山美知子          11.02%

 上野尚一           11.02%

 香雪美術館          10.00%

 村山恭平           5.00%

 村山富美子          3.57%

 凸版印刷           3.13%

 上野克二           2.44%

 朝日放送           2.3%

  テレビ朝日系列という視点からみると、大阪の準キー局である朝日放送のほかに、九州朝日放送が0.72%、北海道テレビ放送が0・09%、名古屋テレビ放送は非公開だが、0.2%程度を保有している。

 テレ朝グループは、従業員持ち株会を除けば、圧倒的な大株主である。

  朝日新聞社の側からテレビ朝日をみればどうか。上場企業であるテレ朝の24.7%の株式を握って、筆頭株主ではあるが、資本政策など重要な総会議案である特別決議を提案あるいは、否決に追い込む3分の1は有していない。

  テレビ朝日は2008年6月、村山美知子が所有する朝新聞の株総数の11.88%に相当する38万株を総額239億4000万円で購入した。この直前までテレ朝は、朝日新聞の子会社であったが、親会社が子会社の支配的関係を保ったまま、その子会社が親会社の株主総会で議決権を行使することは商法上できない。

 そのために朝日新聞社は、テレ朝の株式を売却し、25%以下の株主になったのである。上場企業のテレ朝から、資本の論理でみれば、朝日新聞社は設立時の親会社ではあるかもしれないが、いまや大株主にすぎないともいえる。

  朝日新聞社は6月26日、発祥の地である大阪のホテルで株主総会を開き、2012年3月期の利益処分案などを可決した。期末配当は55円、中間配当の25円と合わせると80円となり、前期より30円の増配である。テレビ朝日が新聞社の株式を取得した翌年の2009年3月期に70円から60円に減配し、さらに翌年には50円に減配して以来、久しぶりの増配である。

 新聞社株を取得した、上場企業のテレ朝にとっては、投資の成果が出たという理由付けになるから、慶賀すべきことだろう。

  朝日新聞社のこの期の単体決算をみると、売上高は7期連続の減収で、経常利益と営業利益はそろって、減益である。最終利益が大幅な増益になった理由は、従業員の厚生年金の代行を返上したことによる特別利益が354億4100万円あったからである。

 朝日新聞社は非上場企業とはいえ、有報を財務局に届け出る大企業であり、上場企業と同様に、事業の利益の増大が指標になるのが一般的であろう。

  日本のメディアはいま、デジタル情報革命の進展のなかで、新聞や雑誌、テレビといった既存の枠を超えたメディア・コングロマリッドの可能性を探る時代にさしかかっている。まさにそのとき、メディアの中核を担ってきた新聞社は、メディア・コングロマリッド(複合体)の再編成できるかどうか、という瀬戸際にさしかかっている。

  朝日新聞―テレビ朝日連合には、社主である、資本家としての、いとはんの物語が絡み合って、新聞社が主導するメディア・コングロマリッドの将来の堅固な形がみえにくくなっているではないか、と考えるがどうだろうか。

  テレビ朝日系列の社長は、本体がすでにプロパーとなり、朝日放送はプロパーによって代を重ね、北海道テレビも今期で新聞社出身者が退いた。グループ内で基幹となる「5地区」といわれる東京、大阪、札幌がテレビ出身者となり、残るは名古屋朝日と福岡の九州朝日である。

 テレビ朝日の今期の株主総会で、新聞社の常務出身の専務がたった1年任期を務めただけで退任した。次期社長候補といわれた人物であったが、顧問就任や関連会社の役員就任などの要請を断ってテレ朝を去った。朝日新聞の役員経験者としては、異例の人事である。

  村山家のいとはんの物語の前巻には、母親であるごりょんさんの藤子の物語がある。婿の長挙が社長を辞任した1964(昭和39)年から、村山家と経営陣が株主総会など場で、経営権をめぐって争った「朝日新聞騒動」の歴史である。終戦直後まで編集局長を務めのち政治評論家となった、細川隆元は「朝日新聞外史」(1965年、秋田書店)のなかで、次のように述べる。

  「会社の経営権争奪という意味では、世間にままあるお家騒動と本質的に同じである。ただ朝日の場合、一般の営利会社や事業団体と違う点は、今日の朝日新聞は日本を代表する新聞であり、天下の公器であるという点だ。朝日新聞は、株式会社朝日新聞社が製造販売している単なる一商品ではないというところに、この朝日騒動の社会的意義の重大さがある」と。

 この騒動を収拾した元代表取締役専務で、政界に転じて衆議院議長となる石井光次郎は、1974(昭和49)年10月、日本新聞協会の聞き取りに応じて、騒動を振り返るとともに、次のように語っている(別冊・新聞研究NO.5、1977年)。

  「総じて新聞というものが格好ついてきたんですね。昔は新聞というものは特殊なもので、差別扱いされていた……現在は逆に特色がほとんどない。均一化されている、だから面白くない。私は新聞をやむをえず幾つもとっていますが、一つ読めばたくさんだ。昔は15紙あれば、15種類のニュースがあった。

 もれなく網羅されているのが面白くない。新聞人も面白くなくなった。昔の新聞人は面白いひとがおったものですが……、サラリーマンになってしまったんですね」

 (敬称略)

  nikkei BPnet    「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120406/304866/?ST=business

 

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 あらゆる広告のなかで、代理店にその制作を任せない唯一のものはおそらく雑誌だけである。通勤電車のいわゆる中吊り広告はいうまでもなく、新聞広告も。かつてはラジオで「週刊新潮は本日発売です」のスポットCMもあった。

  雑誌の売り上げを決めるスクープや特集の原稿が書き上がっていない段階で、広告の原稿は編集部によって作られる。副編集長つまりデスクがその原稿のタイトルを考えるが、最終的には編集長の責任で決定する。

  編集長が決めたタイトルの方向性に向かって、編集部員や契約ライターは、原稿を一気にまとめあげていく。印刷にかける締め切り時刻をにらんで、デスクは原稿を仕上げる。

 編集部が混然一体となって編集作業に取り組む最終日は、緊迫と興奮の瞬間である。

  「発行人 鈴木章一 編集人 藤田康雄」

 講談社の週刊現代6月23日号を地下鉄の売店で買う。背表紙の左に小さな文字で、編集長の名前が刻まれている。2009年6月から編集長を務めていた鈴木が、週刊現代やフライデーなどニュース雑誌を統括する第1編集局長に昇格して、藤田が後任に就任して2カ月近くが経つ。週刊現代は、週刊新潮、文春、ポストと並んで「週刊4誌」といわれる名門誌である。鈴木は、20万部台まで凋落した週刊現代を、号によっては50万部を超えるまで引き上げた。50代になったばかりである。編集長は実は、二度目である。1998年3月から30代の編集長として登場した。本人にとってあまりうれしいことではないだろうが、いまや講談社の「天皇」といわれつつある。

  今週号の表紙もまた、鈴木が今回の編集長時代に開発した中吊りのよう文字主体である。

  「伝説のファンマネジャー ジム・ロジャーズ『どこの国の国債も買ってはいけない』」

 「この男以外に誰がいるのか『それでも橋下徹』」

 「世界恐慌前夜 あなたの預金が溶けてなくなる」

 「菊地直子と高橋克也 6000日のオウム逃亡ノート」

  週刊現代の復活は、政治と経済のいわゆる硬派モノを柱にしたことでる。ページを開けば、やはり低迷から脱出させた名編集長の元木が名づけたとされる「ヘアヌード」も、熟年のセックスものもある。あえてそうした軟派を正面に据えずに硬派を表にだしている。月刊現代が休刊後に、編集長から週刊に異動した高橋明男がこの分野で手腕を振るったと聞く。編集長交代間もないこともあって、鈴木路線はあまり変化がないようにみえる。

  「栄光」の鈴木が出版業界で話題になるのは、雑誌の売り上げに歯止めがかからないからである。新聞・雑誌の部数の調査機関である日本ABC協会によると、2011年下期(7月~12月)の平均発行部数は、1,970万部で前年同期に比べて、6.4%も減少している。月刊誌は7.7%減、週刊誌は5.6%減である。

 「週刊4誌」をみると、現代が8.0%増、やはり路線を変更して低迷から脱したポストが7.6%増、文春が2.1%増、新潮はほぼ横ばいである。

  国民雑誌といわれた月刊文藝春秋と一時代を風靡した朝日新聞出版のアエラ、そして名門経済雑誌である週刊ダイヤモンド――それぞれの編集長の物語がこれからである。

 ABCの上記の同じ期間の調査によると、月刊文藝春秋の平均部数は34万4000部で前年同期比9.6%減である。100万部を誇った伝統はまったく失われている。アエラは8万6000部で7.9%減、創刊時やその後キャリアウーマンにターゲットして、20万部から30万部の大台を超えた面影はない。ダイヤモンドは9万1000部で13.7%減である。経済誌のなかでは、日経ビジネスとプレジデントには及ばないが、ライバルの東洋経済を大きく引き離して10万部台を超えていた勢いは失速している。

  「雑誌は編集長のもの」と象徴的に語られる。そのことの意味は、編集長は自由に雑誌を作ることができるが、売れ行きが落ちれば更迭されるということである。

  月刊文藝春秋とアエラ、週刊ダイヤモンドで昨年末から年明けに起きたことは編集長の交代、なかんずく新編集長が2度目の再登板だったということである。文春の木俣正剛、アエラの一色清、そしてダイヤの鎌塚正良である。それぞれ最初の編集長時代に企画をヒットさせ、洛陽の紙価を高めた。3人の起用は偶然ではない、と筆者が考える。

 彼らはそれぞれ1978(昭和53)年春に入社し、記者あるいは編集者としての道を歩みはじめた。

団塊の世代に続く世代である。同世代の人数は先行する世代のおおざっぱにいって半分である。団塊はその数の多さから、就職と結婚が将来困難になるといわれた。高度経済成長は彼らを大企業に向か入れ、同級生結婚によって結婚難も簡単に超えた。しかしながら、ポスト団塊の世代は石油危機に遭遇して、就職難の時代を乗り越えなければならなかった。

 出版社も新聞社も、採用を絞ったのである。編集長の適任者の不足の遠因である。後続の世代にとっては、チャンスでもあったろう。しかしながら、編集者、編集長は職人であり、先輩の技を盗みながら成長するものであるのに、学ぶべき先輩の絶対数が少なかった。

  経営者の道を歩み始めた文春の木俣とダイヤの鎌塚、テレ朝の報道ステーションのキャスターにいったんは退いた、一色が再登板した陰で、後輩編集長の悲劇があったとするなら、それはかつての経営陣が、人材採用と養成に長期的な視点を欠いていたことが大きいと思わずにはいられない。

  週刊現代の鈴木が再登板によって、誌勢を回復したような結果をこれらの編集長に求めるのは酷であるように思う。それは年齢ではない。経営者となり、評論家ともいえるキャスターとなって、編集者、編集長が絶え間なく時代と切り結ぶために、多方面の人と会い、本を読み、公演に行く、という「現役」の土俵からいったん降りたからである。

 編集長として、読者に現代を切り取ってみせるために感覚を磨いていた日々と、再登板までに彼らが過ごした時間はあきらかに異なっていると思う。

  「編集人 島田真 発行人 木俣正剛」――木俣が早々に再度の編集長から、発行人に戻ったのは賢明であったろう。ダイヤは、鎌塚が編集長ではあるが、副編集長による集団指導体制を選んでいるようだ。特集などについて、鎌塚が編集長としての実権をふるう機会はほとんどないと聞く。雑誌の編集長としては異例である。おそらく副編集長のなかから、次期編集長を起用するまでの過渡的な体制のようにみえる。

 ダイヤを一般的な経済雑誌から、特集のかなりのページを割いて、あたかもムック本のような体裁を整えて10万部雑誌にしたのが、鎌塚であった。「保険」であり、「介護」、「病院」であった。

 しかしながら、ヒットを飛ばした、ワンテーマ特集も繰り返しているうちに、読者の購買意欲は息切れがする。副編集長の集団指導体制のなかで、次のヒットを模索しようとしているのが痛いほどわかる。

  「セブン、イオン 二強が大攻勢 『最後の流通再編』」(6月16日号)

 「家電敗戦 失敗の本質」(6月9日号)

 「ネットの罠」(6月2日号)

 「老後難民になれない!資産運用の鉄則」(5月26号)

  編集後記は「From Editors」である。単数なら編集長を意味する。鎌塚はカゲに隠れている。

  アエラの一色はどうか。「編集長敬白」である。編集長の采配を楽しそうにふるっているようにみえる。

  「会社の不条理 『残業代』を取り戻せ!!」(6月18日号)

 「1000人調査 幸福な60女 不幸な30男」(6月11日号)

 「『抜擢人事』の天国と地獄」(6月4日号)

  新聞社系の雑誌は、新聞製作のシッポをどこか引きずっているところがある。編集長の主導よりも部員から上がってきた企画を重視する傾向が強い。一色アエラは、雑誌として前の編集長時代よりも、一冊の商品としてみたときに破調がなく整って完成度が高いと思う。しかしながら、そのテーマはビジネス誌がかつて何度も取り上げたテーマが多いのではないか。

  編集長の経験がない筆者が、編集者のできを採点できるのかという根源的な問題が横たわっている。大相撲の世界で「栃若時代」を築いた横綱栃錦が負けたときに、酷評した相撲記者にこういったというではないか。

 「そんなにいうなら、いっちょ相撲を取ってみるか」と。

  編集長として、その雑誌の部数を増やして声明を高めた人材は、選ばれし者である。編集長のポストは後輩に譲ってもよいが、編集の土俵から降りることはない。時代と切り結びながら、読者が求めるものを考え続けられるのは、天賦の才能である。

  『編集者 齋藤十一』(冬花社)は、新潮社の天皇と呼ばれた、伝説の編集者である齋藤十一の7回忌を記念して妻の美和が編んだ追悼集である。部下たちばかりではなく、秘書役の女性社員、近隣の人々、親戚、齋藤家の家事手伝いをした女性など、40人以上が思い出を綴っていて、筆者は読むたびに、齋藤の人柄と教養の深さに感嘆する。

 齋藤は芸術新潮と週刊新潮を創刊し、実質的な編集長だった。写真週刊誌「FOCUS」を創刊した時は60代だった。その後「新潮45」の全面リニューアルを指揮した。1997(平成4)年3月相談役に退く70代後半まで、週刊新潮のタイトルと5、6本つくっていたといわれる。

 雑誌低迷の時代に、齋藤十一の再来が待たれる由縁である。

  講談社の鈴木にはまだまだ時間がある。アエラの一色にもチャンスはある。朝日新聞出版社の次期社長は、出版の経験がない新聞の人である。新聞と雑誌の異なること、陸上競技の1万メートと5000メートルの違いではなく、水泳との隔絶と同じ世界であること、経験者でなくてはわからない。(敬称略)

  nikkei BPnet    「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120406/304866/?ST=business

 

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就寝前のベッドのなかで、スマートフォンを手にとって、ニュースを見る。冷たい寝具が体温でぬくもってくる。朝目覚めてみると枕のかたわらに、画面が開いたままの端末がころがっている。

 ニュースがつくづく好きだと思う。スマートフォンの画面をスライドさせていく。「NIKKEI」――日経電子版である。「FT」フィナンシャル・タイムズ、「WSJ」ウォール・ストリート・ジャーナル、その日本語版、「Newsstand」にはニューヨーク・タイムズ(NYタイムズ)が放り込まれている。

もちろん、すべてに目を通すわけではない。どこまで読むのかを決めるのは、正直のところ、酔眼の具合次第である。

 日経電子版の「Web刊」2012/3/21 6:36 ニューヨーク=清水石珠実記者によると、ニューヨーク・タイムズは(NYタイムズ)は、傘下のニュースサイトで無料閲覧できる記事の本数を従来の月20本から10本に減らす。

 NYタイムズが有料の読者を増やそうという戦略である。料金は4週間で約15ドル、会員数は現在約45万4000人。昨年末よりも約16%増加している。

 米国の新聞の電子化について、現地調査するために、筆者がNYタイムズ電子版の編集長を訪ねたのは2006年4月のことだ。その日がちょうど、ウエブ版のデザインを一新する瞬間だった。

 同紙のウエブ戦略は紆余曲折がある。無料つまり広告モデルで開始後、一部有料化に踏み切ったが失敗し、このときは無料化に再び戻って再挑戦しようとしていた。

  有料路線をひた走っていたWSJと、無料モデルのワシントン・ポスト(Wポスト)のそれぞれのウエブ版の編集長にもインタビューした。WSJは経済専門紙であり、その有料化の成功例は、NYタイWポストといえども学べない、というのが一般的な見方だった。

  インターネットの世界は「フリー(タダ)」でしか成り立ち得ないのか。民主主義の基盤であるジャーナリズムが生き残るためには、フリーからの脱却すなわち有料化の方策はないのか。――インターネット企業に新聞社から転職したビジネスマンとして、ジャーナリズムとウエブを結ぶ道を探ろうとした旅は徒労に終わった。時代はまだ、ウエブへのアクセスの「窓」は、PCが主体だったのである。

  スマートフォントとタブレットの登場によって、「フリー」からの逃走の道筋が、メディアにはどうやらみえてきたようだ。端末の機能性と美しい画面に対応した、ニュースの配信だけの話ではない。ウエブ独自の多様なコンテンツのサービスが課金のキーであることがわかってきたのである。急速に会員を拡大している、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)が、その逃走の大きなエネルギーとなっている。

  有料と無料の間を揺れ動いてきた、あのNYタイムズがいまや、WSJと並ぶ有料モデルの総本山とみられるようになった。

  オーストリアの首都ウィーンで昨秋開催された世界新聞・ニュース発行者会議(WAN-IFRA)部下を参加させた。毎年開催されている年次総会のリポートは、最新のメディアの動向を知るうえで欠かせないからだ。

  NYタイムズの副編集主幹であるジム・ロバーツは、ウエブの課金システムについて、次のように語った。

 「早すぎたと思っていたが、この実験は成功だった」と。

 正式のスタートは、2011年3月。「メーター制」という仕組みにした。記事20本までは無料で読めるが、これを超えるデジタル版の読者は月額35ドルを支払う。

そして、SNSである。NYタイムズのウエブ版は、読者がFacebookやTwitterで記事を共有すると、NYタイムズのアプリケーションをその相手が共有できるようになっている。

 NYタイムズの有料版を購読している、かかりつけの医師は「ウエブだけで読めるワインの話がとてもいい。そのために有料で購読している」という。

 「団塊の世代」に属するこの医師は、東京大学医学部闘争の生き残り。年齢を重ねて、全共闘世代もワインをたしなむ時代となったのである。

「革命の旗を振った先生も、いまやワインですか?」と、筆者。「いやいや、NYタイムズのウエブ版は、ガーデニングの記事もいいだよ」と、まぁ、議論はかみ合わないのだが。

 米国のベビーブーマーたちもきっと、趣味に生きる時代になったのだろう。

  「古い歴史を持つ企業の風土や文化を、どうすれば変えていくことができるのか。コダック社と似た問題に直面している」

 朝日新聞社の秋山耿太郎社長が1月25日、創刊記念式の挨拶で述べた言葉(文化通信2012年2月13日付)は、デジタル化に直面している新聞経営者の危機感であろう。

 デジタル版で先行する日経を追走しようと、2011年5月朝日新聞デジタルを創刊した。「もうひとつの朝日新聞」がキャッチフレーズである。

  新聞社がコダック化しないヒントは、技術革新に挑んだ、自らの過去の歴史のなかにある、と筆者は考える。

 米国の新鋭高速輪転機の導入をめぐる大正年間末の朝日と毎日の競争もそのひとつだろう。買い付けのため、「大阪毎日」は専務らの役員を送った。朝日が派遣したのは、京都帝大工学部を卒業して「大阪朝日」に入社2カ月目の小西作太郎氏。新技術の導入に若者の先見性をかったのである。米国の機械を日本の新聞づくり向けに改良した小西の勝利に終わった。

 日本新聞協会による小西の聞き書きによると、旧制三高時代の野球部主将時代に考えた中等学校野球の全国大会(現在の高校野球全国選手権)のアイデアが、朝日に採用されたのが入社のきっかけだというから、センスのよい若者であったに違いない。

 経営者はどうか。創業者で社長だった村山龍平翁は、新聞の紙面の刷り上がりをみた瞬間、不具合があると、誰の責任かわかったという。つまり、印刷のことをよく知っていたのである。写真の印刷が悪い場合、写真の原板が原因か、鉛を流して印刷原板をつくる紙型か、印刷の工程か、たちどころにわかったという。

 「フリー」からの逃走の挑戦もおなじようなものだと、筆者は考える。経営者がデジタル機器を使いこなして、デジタル化を実感しなければならない。新聞社の経営者のなかで、SNSを駆使しているという話はあまり聞かない。

 アップルが創業してまもなく、「アップルのマーケティング哲学」と題されたペーパーが創業メンバーのひとりによって書かれた。

 第1は「共感」顧客の思いに寄り添う

第2は「フォーカス」やると決めたら、重要度の低い物事はすべて切る

第3は「印象」会社や製品が発するさまざまな信号がその評価を形成する

 読売新聞や毎日新聞が電子版を発行するのは、時間の問題であろう。日刊工業新聞は4月2日、電子版の創刊である。

 ウエブの有料課金によって、ジャーナリズムが永続することを祈るばかりである。 (敬称略)

 nikkei BPnet    「メディアラボ――メディア激動の時代を考える」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120406/304866/?ST=business

 

 

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「BSフジLIVE プライムニュース」は、月曜日から金曜日まで、夜8時にスタートして2時間近く続くニュース・トーク・ショーである。

  キャスターは月曜から木曜まで、元フジテレビアナウンサーの八木亜希子、政治部編集委員の反町理である。金曜日は八木に代わってアナウンサーの島田彩夏が務める。

  原則としてひとつのテーマについて、政治家や経営者とディスカッションを繰り広げる。

  企業の株主総会が集中する6月27日のテーマは、その日に総会があった東京電力の改革である。

  メインゲストは、東電の株主である東京都の副知事の猪瀬直樹であった。この日総会に出席して、定款に顧客サービスを第一に掲げることなどを盛り込む株主提案をした。さらに、電気料金のコストに切り込み、東電社員とOB専用の都内の病院について、病床の稼働率が低いので、売却を迫った。

  キャスターの八木が舞台回し役を務め、編集委員の反町がディスカッションを主導する。経済の解説委員が、東京電力が抱える問題と、福島の原発事故以来の政府のエネルギー政策などについて、補足する。

  政府のエネルギー政策を立案する諮問委員会などの委員を務める、京都大学大学院教授の植田和弘が加わる。

  冒頭に東電の総会の映像とともに、質問する猪瀬の音声が流れる。

  東電がゼロから再生の出発をするにあたって、猪瀬は「意識改革が一番大切だ」として、定款にその意識を盛り込んだ株主提案の理由を説明する。

  さらに、新宿にある東電病院問題である。都の調査によって、約120床あるベッドのうち、稼働しているのは20床に過ぎないことを指摘するともに、いまはほとんどなくなっている企業の社員やOB専用の病院であることを問題視する。東電の電気料金を算定する際の総括原価にこうした福利厚生費用が含まれるからだ。

  この質問に対して、東電の副社長は、福島原発の作業にあっている社員や作業員のために東電病院の医師らが派遣されているために、病床の稼働率が低い、と答弁した。

  番組では、総会の途中に報道各社のインタビューに応じるため、代々木体育館の外に出てメディアの質問に答える形で、猪瀬は東電の答弁の不合理性をついた。都の調査によると、福島に派遣されている医師は1人で、しかも土曜日だけなので、稼働率が全体として低い理由にはならないと。

  ゲストの猪瀬に対して、キャスターの反町は、株主提案が否決されたことの意義を聞く。そればかりではなく、株主総会でどうして否決されるのか、出席者の挙手で決まったのか、と質問する。

  株主総会の決議が、単位株式の投票によって決するのは、ビジネスマンや株投資をしている主婦には常識であろう。

  猪瀬はいう。

  「株主総会は、結果なんです。それ以前に、株主質問などを通じて、その企業の問題点と改善を指摘する」と、反町の質問をやんわりといなす。

  経済記者として、さらにビジネスマンとして企業のなかに入った筆者として、今回の東電の総会決議事項の白眉は、都が事前に提案した社外取締役候補に、公認会計士の樫谷隆夫が入ったことである。モノ言う社外取締役は、商法上の権限を活用すれば、企業統治のうえで、かなりのことができるのを、筆者は何度も目撃してきた。

  他局のニュース・ショーに出演するために、中座する猪瀬と入れ替わるように、社外取締役に就任した樫谷が登場した。取締役会と監査委員会が長引いたので、出演が遅れたことを樫谷はわびた。

  キャスターの八木が、取締役会の内容について質問した。猪瀬が即座にさえぎる。「樫谷先生も守秘義務というものがある」

  企業というものを八木は知らないだけだ。さらに、原発の再稼働について、東電の方針を樫谷にたずねるシーンもあったが、これも同じ理由である。

  誤解のないようにしていただきたい。「BSフジLIVE プライムニュース」をくさしているのではない。テレビニュースの内容が十分伝えられない点を補おうという番組の意図は讃えつつも、やりようがあるのではないか。

  トーク・ショーのキャスターは、ソクラテスのいうところの「無知の知」が必要だと思う。生半可な知識をひけらかすと、ゲストの知恵を引き出せない。

  もちろん、キャスターはその日取り上げるテーマについて、資料は十分に読んでおかなければならない。新聞や雑誌の記事ばかりではなく、できればゲストの著作なども。

  惜しいかな、「BSフジLIVE プライムニュース」は、それが欠けているのではないか。

  事前の準備があれば、八木はひとりで、十分にトーク・ショーの司会はできる。

  NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子には、「無知の知」がある。1993年以来、キャスターを続けている由縁であろう。7時のニュースに続く看板番組であるが、その隙はある。時間が30分間と短く、ゲストが早口になったり、番組の視点が単調すぎたりする。

  「クニヤ」を倒せ!

  CNNの名物司会者だった、ラリー・キングとはいわないが。いったんは引退した彼もインターネットテレビで復活している。 (敬称略)

 WEDGE Infinity 田部康喜のTV読本

 http://wedge.ismedia.jp/category/tv

 

 

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