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「そのときメディアは」 関東大震災編 ⑬ 東日に「案内公告」殺到

2012年8月8日

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 東日に「案内公告」殺到

東京の新聞が壊滅的な打撃を受けて、正常な発行ができないなかで、東京日日が休刊しなかったことによって、いわゆる「案内広告」の注文が殺到する事態となった。「尋ね人」や無事でいることを知らせる短行の広告である。

 広告関係では「尋ね人」「避難通知」などの案内原稿が、無休刊の東日に殺到、14、15、16の3日間は増ページしたくらいであった。その案内広告を読むために東日を求める読者さえできて、震災を契機として東日の発行部数のぶりは、吉武(鶴次郎)理事の言葉によれば「まるで落ちているものを拾って歩く」ようであった。

 東京日日の発行部数は、大震災の年が明けた1924(大正13)年元旦付が、70万9811部であった。前年は、37万3997部であったから、約90%増、倍増といってもよい急成長ぶりであった。

 

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