謄写版刷りから活字を求めて
日本経済新聞の前身である中外商業新聞は、完成直前の社屋は倒壊をまぬがれたが1日夜、内部を焼失した。『日本経済新聞百年史』は謄写版刷りの号外の発行という非常手段を講じた経緯を振り返る。
震災と同時に通信網は途絶し、工場も活字が散乱して手のつけられない状況の中で、取りあえず在社社員が手分けをして中央気象台から地震情報を取材、本社の前に停止したままの市電の中に謄写版を持ち込み、号外を刷って付近に配布あるいは貼り出しをした。
本社としての第一着手は活字で刷った号外の発行であり、3日は四谷の町工場を探し当てて数回発行、翌4日から焼け残った市ヶ谷の秀英舎(現在の大日本印刷)工場で印刷する話がまとまり、号外発行からはじめて11日、ようやく2ページの新聞を発行、15日から4ページ建てとし、21日付からは応急修理のできた本社工場に切り替えることができた。
復旧で最も苦労したのは活字の入手だった。郡山市で当時休刊中の「東北日報」を尋ね当て、強引に口説き落としてようやく9ポイント活字をケースごと手に入れた。
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参考文献
読売新聞80史
読売新聞
1955年12月
朝日新聞社史 大正・昭和戦前編
朝日新聞社
1991年10月
別冊新聞研究 No.5
石井光次郎
1977年10月
毎日新聞七十年
毎日新聞社
1952年2月
日本経済新聞百年史
日本経済新聞社
1976年
新聞研究 別冊No.13
務臺光雄
1981年10月