世界に発信する
世界に大震災を発信すべき通信社であった、電通の前身の日本電報通信も被災したため、その役割は東京日日が果たすことになった。
関東震災が欧米に伝えられたのは、第一震災直後、磐城無電局の放送がサンフランシスコ無電局に感受伝播されたのが第一報であった。しかし、叙述的な詳報は、本社が2日早朝UPに打電したのが第一報であった。それは欧米に伝えられ、意想外の災害に諸外国の深甚な同情を喚起した。
UPは日本では電通と通信交換を行っていた。したがって、東京にも特派員を常設していたが、震災によって東京からは通信連絡が不可能となった。UPは本社に対して、高田元三郎氏(大毎外国通信部副部長)あてに震災報道の援助を要請してきた。かつてワシントン海軍軍縮会議報道にUPが本社のために非常に尽力、高田氏を通じて非公式関係が結ばれていた。高田氏は、大阪に集まってくる刻々の材料をまとめて、震災の模様を英文でUP本社に詳報した。そのなかにHeart of Japan Is Blooding(日本の心臓は出血している)という辞句があった。それは、全米のジャーナリズムおよび一般読者を著しく刺激した。
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参考文献
読売新聞80史
読売新聞
1955年12月
朝日新聞社史 大正・昭和戦前編
朝日新聞社
1991年10月
別冊新聞研究 No.5
石井光次郎
1977年10月
毎日新聞七十年
毎日新聞社
1952年2月
日本経済新聞百年史
日本経済新聞社
1976年
新聞研究 別冊No.13
務臺光雄
1981年10月