こちらは「とめさいがいFM」
宮城県の北部にある登米市に本拠を置く、登米コミュニティエフエムは、震災のほぼ1年前の2010年4月4日に産声をあげた。震災発生のそのとき、音楽CDを紹介する番組を放送していた。
代表取締役兼局長の斉藤恵一は、「防災を目的に作られた局でしたので、マニュアルこそ作っていなかったが、日ごろから話しあっていた災害時の行動に沿ってスタッフは対応しました」という。
登米コミュニティーエフエムは、社員が3人、契約社員1人、パーソナリティーは全員パートである。現在「とめさいがいFM」として、従来の出力20Wから100Wに増力して放送している。
こういう言い方は変ですが、もし津波が来なかったら、たぶん登米市が最大の被災地だったと思います。家屋などに被害が出たのは5360棟です。災害時、登米市は沿岸部の復旧復興の支援に当たる方針を出しましたので われわれもその方針に則って、現在も南三陸町の支援に回っています。
局舎がある通りは、20軒から30軒程度の建物が全壊しましたが、放送を続けました。3月31日まで、24時間態勢でパーソナリティーはじめスタッフはスタジオに寝泊まりして常時、放送にあたりました。
登米には、南三陸町から5時間歩いて避難された方、津波でずぶ濡れになりながら避難所までたどり着いた方、登米に来る途中の杉林で枝に子どもの遺体が引っかかっていたのを降ろしたり、足元が遺体だらけで踏まないと歩けないぐらいで「ごめんなさい」と言いながら避難してきた方、そういった方がたくさんいらっしゃいます。
われわれは、仮設住宅で暮らす南三陸町の方々に、南三陸町の情報を届けようと一生懸命やっています。行政もそれを理解し、あと2年間、臨時災害放送局を継続する意向です。まだまだわれわれは、被災地の支援をしていきたいと思います。いずれ町を出て行った若い人たちが戻ってくれるよう、戻る場所があるよう、がんばっていきたいと思います。
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参考文献
新聞研究2011年8月号
市民による震災報道プロジェクト OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
月刊民放 2002年1月号
被災地のメディアは何を伝え、被害者にどう利用されたか
――民放連研究所「東日本大震災時のメディアの役割に関する総合調査」報告会から