ラジオも「つぶやいた」
福島市にあるラジオ福島はそのとき、ワイド番組を放送中だった。アナウンサーは安全の確保を繰り返しよびかけた。このときから、350時間連続の生放送が続くことになる。東京キーステーションとのラインや、インターネットが使えなくなった。番組スタッフが使っているスマートフォンでネットに接続することに気付いた。
編成制作報道部長の伊藤直樹は、即座にネットを利用すると判断した。
番組スタッフが持っていたiPhoneでネット接続ができることが判明し、早速Gメールのアカウントを取り、情報提供を呼びかけました。これが地震発生からおよそ2時間後です。この時点で、リスナーからメールで寄せられた情報をラジオとツイッターで発信する、ネット連動の災害放送がスタートしました。
情報が欲しい、水が欲しい、携帯電話の充電器が欲しい、そんな声を放送と一緒にツイッターに出しますと、あっという間に情報が集まりました。ほかにも、避難所での過ごし方、哺乳瓶がないときのミルクの飲ませ方など、医師をはじめ、いろいろな専門家の方からも情報をいただきました。寄せられた情報は放送し、順次ネットにアップしていきました。
課題としては、届いた情報を確認せずに全部放送していましたから、リスナーを混乱させるおそれがあったことです。1週間ぐらいで電話が復旧してからは確認した上で情報を取捨選択して伝えました。安否情報も、よせられてきたものをどこまでネットにあげていいのか、かなり大変でした。
特に気をつけたのは、安心情報を伝えようということです。パニックを起こさせない、ストレスを感じさせない。リスナーに寄り添う。そして、聞きなれたアナウンサーの声で話すことに努めました。
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参考文献
新聞研究2011年8月号
市民による震災報道プロジェクト OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
月刊民放 2002年1月号
被災地のメディアは何を伝え、被害者にどう利用されたか
――民放連研究所「東日本大震災時のメディアの役割に関する総合調査」報告会から