編集手帳子の告白
新聞を舞台として執筆を続けるコラムニストの最高峰と敬意を集める、読売新聞論説委員の竹内政明の率直な告白に耳を傾けたい。竹内は読売新聞の1面のコラム「編集手帳」の担当である。
東日本大震災に直面した記者たちが「書く」という行為とどのように格闘したのか、うかがい知ることができる。
震災翌日の3月12日付から数えて計56本の「編集手帳」はすべて震災 関連のテーマを取り上げている。焼き肉店で生肉料理ユッケを食べて6歳 の男児を含む4人が死亡する食中毒事件(5月7日付)が起きていなければ、震災コラムは途切れることなく続いていただろう。
喜怒哀楽の「哀」のみを来る日も来る日も独り言のようにつぶやきつづける精神耐久レースがいかなるものかは、経験した人でなければ分かってもらえまい。
たとえ一夜でも「哀」を離れようと、あすの希望を無理して語ってみた日もある。3月31日付を引く。
生まれてまもない君に、いつか読んで欲しい句がある。<寒き世に泪そなえへて生れ来し>(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことを知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくしうるきょうだいかもしれないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩みだそうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。
われながら何ともクサい文章で、書き写していて嫌になる。苦しまぎれに明るく振る舞おうとしても、出来はこんなものだろう。
<書くといふことは何かヒキョーに似たりけり>は話術家の徳川夢声が戦争中に詠んだ一句だが、常習の詐欺師になってしまったようなわが心境を表していると思い、表題に掲げた。
日ごと、「おれは一体何を書いているのか」と自問し、その問いを夜ごとの酒に沈めてきた3.11以降の日々を、さりとて、ほかに取り繕う言葉もない。
――
参考文献
新聞研究2011年7月号
未曾有の災害連鎖を伝える報道 福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
新聞研究2011年7月号
総合力で新聞の力を示すために 読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
新聞研究2011年12月号
東日本大震災と報道
(若手記者の経験)被災地取材から学んだこと
多くの死と生に接して-記事で地域再生の後押しも
河北新報 石巻総局 大友庸一
同
人とのつながりを財産に-被災者の思い受け、課題と向き合う
福島民友新聞社 報道部 渡辺哲也
同
「風化させない」を合言葉に-伝えたい中越・中越沖地震の教訓
新潟日報社 報道部 小熊隆也
同
声なき声に耳を澄ます-相手の身になり、根気よく
毎日新聞東京本社 社会部 竹内義和
記者は何を見たのか-3.11東日本大震災
読売新聞社 2011年11月
新聞研究 2012年1月号
書くということは何かヒキョーに似たり――コラムニストの見た震災
読売新聞東京本社 論説委員(「編集手帳」執筆者) 竹内政明