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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第2部 ⑧ 「町が消えています」

2012年6月8日

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「町が消えています」

 岩手県をカバーしているIBC岩手放送会長の阿部正樹は、商工会議所の会議室で地震に遭遇した。急きょ会社に戻った。

  社内は混乱の極みでした。全県停電、ライフライン消失、道路寸断、大津波警報下の避難など、一切訓練では想定していませんでした。沿岸部に設置していた3台の情報カメラは、停電で2台が使用不可。沿岸部のスタッフの安否確認もできない状況が続きました。

  やがて私たちは宮古市に設置した情報カメラから信じられない映像を見ることになります。しかし、あのときに誰が映像を見ていたのか。災害報道の最大の使命は、地域住民の命を守ることです。停電がなく津波映像が各家庭に届いていれば、より多くの人命を救えたのではないか。被災地以外の全国の視聴者は状況を的確に捉えていたと思います。その意味では放送の使命は果たしたと思いますが、地元局の放送マンとしては無念の思いが強く残っています。

 3月11日深夜、大船渡市に入った中継車は、やっと陸前高田を見下ろせるであろう場所に入りました。翌朝、そこから映像が全国に中継されました。「町が消えています」。リポーターの一声でした。衝撃でした。この後続く長い戦いを覚悟しました。

 ろくな食糧もなくマイクロバスで寝泊りするスタッフはがんばってくれました。その使命感に心打たれたものです。取材も大変だったろうと思います。

 泥だらけのお母さんが子どもの遺骸を見つけて抱き上げ、周りに「水はありませんか」と言ったそうです。洗ってあげたいが、水はない。そのお母さんは自分の舌で子どもの顔の泥をなめてあげたそうです。こういう報告を聞いて、そんな被災者にマイクは向けられないと思ったわけです。地獄をみたスタッフが多かったと思います。

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参考文献

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声 東北放送・報道部 武田弘克

調査情報2011年9-10月号
結局私は、記者ではなかった TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

月刊民放 2012年1月号
ふるさとは負けない!
IBC岩手放送 取締役会長 阿部正樹


被災地のメディアは何を伝え、被災者にどう利用されたか

新聞研究 2011年8月号
「伝え続ける」放送の責任を自覚
JNN三陸臨時支局長(TBSテレビ) 龍崎学
TBSテレビ 報道局統括次長 西崎裕文

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