声なき声に耳を澄ます
河北新報の石巻総局の若手記者である大友庸一は、牡鹿半島にある石巻市の漁協の支所にいた。
地響きとともに建物が激しく揺れた。取材していた漁師の後を追って外に飛び出した。
鳴り響くサイレン。津波から船を守ろうと漁師たちは全速で船を沖に出した。第1波が静かに岸壁を越えた。急斜面を 車 で上り、高台の小学校に移動した。
津波が白い帯になって沖合いから押し寄せてくるのが、亀裂の入った校庭から見えた。白い帯は黒い固まりになっ て集落を襲った。斜面に張り付く家々が沖に流され、防波堤が崩れ落ちた。
石巻市中心部にある会社に戻ることにした。途中、女川原子力PRセンターによった。道路は津波で寸断され、半 島 から出ることは不可能だという。
13日早朝、十数人と約30キロ離れた石巻市まで徒歩で向かった。女川町中心部まで数キロのところでトラックの荷台に乗せてもらった。人の親切が身にしみた。
女川町中心部はすべてが破壊され、変わり果てた姿をさらしていた。車を3台乗り継ぎ、石巻市郊外の自宅に着いた。自転車で向かった市中心部は冠水。自転車をかつぎ、線路を歩き、1階が泥で埋まった会社にたどり着いた。
3月22日、火葬が限界に達し、やむを得ず土葬が始まった東松島市。話を聞いた女性(77歳)は、臨月だった孫娘(30歳)を弔った。「小学4年のひ孫には母親の死をきょう伝えた。私の一人息子も孫娘の夫も行方がわからない。涙も枯れ果てた」。返す言葉が見つからなかった。
読売新聞の宇都宮支局員である清武悠樹は、地震発生の1時間半後、仙台総局に応援に行くよう指示された。後輩の記者が指名されかけたのをさえぎって手を上げた。
栃木県北部を抜け、福島県、宮城県と進むうち、信号機が点灯しない交差点が増えた。カーラジオからは「仙台市若林区で数百人の遺体が発見」「福島で原発事故」と読み上げるニュースが次々に入る。
仙台市に到着したのは、出発から26時間後の12日午後6時頃だった。
翌日、東北総局の指示で宮城県気仙沼市に入った。同市鹿折地区はがれきで道路がふさがれて車で入れず、隣の地区から線路を歩いて入った。トンネルを抜けると、むっと熱気を感じた。真っ黒に焦げたがれきの山に、漁船が転がっていた。かれきからは炎と黒煙が上がっている。
線路沿いに何かを見つけたのはそのときだった。長い2本の物がそろえて置いてあると思い、その先をみてどきりと した。黒いゴム長靴。遺体だった。長袖に長ズボン、袖から出た青白い手。おそるおそる目線を動かすと、顔にはタオルケットがかけられていた。
我に返って手を合わせた後、消防隊員に知らせようと見回すと、近くにいた被災者から「もう伝えてある。昨日からそのままで、どうしようもないんだ」と声を掛けられ、がくぜんとした。
毎日新聞東京本社の社会部の竹内良和は、地震発生から4週間ほど、岩手県陸前高田市の避難所を取材していた。竹内は、10年、20年先まで継続して取材に応じてくれる人を探していた。取材記者として12年目になる。被災者の再生の歩みを追いたいと、考えたのである。
たまたま炊き出しの鍋を運んでいた女性の声をかけた。「店は流されました。夫は亡くなりました」。声を詰まらせて、両手で抱えた大鍋に大粒の涙を落としていた。これが「お女将さん」との出会いだ。
2歳年上で70歳になる夫、3代目の長男と共に「やぶ屋」というそば店を営んでいたという。結婚から45年。先代が間 口1間半で始めた店を県外からも客が来る人気店に育て上げた。
インターネットで店名を検索すると、飲食店の紹介サイトに店の写真が投稿されていた。写真を引き伸ばして、額に入れて手渡した。
取材を切り出すと、なぜか表情はさえない。よくよく聞くと「息子から『こんな大変なときにマスコミの取材なんて何を考えているんだ』と叱られた」という。
5月下旬、職人気質の長男が「被災地のことを多くの人に伝えてください」。記事化のOKサインをくれた。翌日、カメラ マンと避難所を訪ねた。髪をセットし、きれいな花柄の服を着た女将さんが笑顔を待っていてくれた。記事は社会面に大きく掲載された。女将さんからお礼の電話が入り、ある親族が「泣きながら記事を読みました」と言ってくれたのがうれしかった。
誰もが記者に思いを語る勇気や、流ちょうな言葉を持っているとは限らない。伝えたいことがあっても、口をとざす人もいる。だからこそ相手の身になり、根気よく話を聞かねばならない。声なき声に耳を澄ませたい。
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参考文献
新聞研究2011年7月号
未曾有の災害連鎖を伝える報道 福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
新聞研究2011年7月号
総合力で新聞の力を示すために 読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
新聞研究2011年12月号
東日本大震災と報道
(若手記者の経験)被災地取材から学んだこと
多くの死と生に接して-記事で地域再生の後押しも
河北新報 石巻総局 大友庸一
同
人とのつながりを財産に-被災者の思い受け、課題と向き合う
福島民友新聞社 報道部 渡辺哲也
同
「風化させない」を合言葉に-伝えたい中越・中越沖地震の教訓
新潟日報社 報道部 小熊隆也
同
声なき声に耳を澄ます-相手の身になり、根気よく
毎日新聞東京本社 社会部 竹内義和
記者は何を見たのか-3.11東日本大震災
読売新聞社 2011年11月