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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第2部 ④ 紙とペンで

2012年5月30日

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紙とペンで 手書きの新聞は出た

 石巻日日(ひび)新聞社の常務取締役報道部長の武内宏之は、被災直後の同社のありさまについて、「社長をはじめベテラン、若い社員は上司、部下関係なく意見を出し合った。まさに、あの映画『クライマーズ・ハイ』の場面のようだった」と、振り返る。『クライマーズ・ハイ』とは、横山秀夫原作で、1985年夏の日本航空ジャンボ機が墜落した事件をめぐる新聞記者たちの動きを描いた作品である。

 石巻日日新聞は沿岸から直線で1キロほどの内陸部にある。地震で社内の壁は、はがれ落ち、天井の電灯も落ち室内は本社や資料が散乱した。

 そして、1時間後、巨大津波が押し寄せ、それが引いたのは夜の8時ごろだった。

 避難所から帰ってきた若い社員も加わって翌日からの新聞について話し合いを始めたのは、その時刻だったと思う。協議の中で協力に支持されたのは「創刊100年の前年に数日とはいえ新聞を出さなかったという記録は作りたくない」という意見だった。さらに、戦時中に一県一紙体制に抵抗し続け、紙の配給を断たれた後も自宅でわら半紙に自分たちの思いを書いて隣近所に配っていた先輩記者たちの話に及んだ時に、社長が「紙とペンがあれば伝えられる」とひと言。

 この言葉で手書きの壁新聞で行くことが決まった。

 翌日の12日朝、高台に避難していた、入社5カ月目の記者が戻ってきた。すぐさま市役所に行き、先輩記者たちから原稿と被害状況がわかる資料を持ってこいと指示した。市役所の周りの道路は1・5メートルほど冠水していた。それから3時間後、その新米記者はずぶぬれになったスーツ姿で帰ってきた。

  手書きの壁新聞は3月12日から17日まで発行された。この新聞は、米国のニュースジャーナリズム博物館に永久展示されている。

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