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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第2部 ① ヤフーは立ち止まらない 上

2012年5月26日

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ヤフーは立ち止まらない ①

 東日本大震災が起きた瞬間、ヤフー・ジャパンのメディア企画1部長である川邊健太郎は、東京・六本木のミッドタウンにある本社にいた。代表取締役を兼務している子会社の部下たちと打ち合わせ中だった。

 オフィスビルの警報のアナウンスは、全員退避を繰り返す。川邊は、トップの責任者を務める「Yahoo!トピックス」の編集部に向かった。

 なんとか「Yahoo!トピックス」の地震の第1報を見届けて、非常階段を駆け下りて、ビルを退避した。その場でこれからどうすればよいのか、川邊はめまぐるしく考えを整理していった。

 ヤフーのその後はこの瞬間の川邊の判断によって動いている。川邊は学生時代に友人と起業した携帯サービスの会社を経て、2000年にヤフーのモバイル担当プロデューサーに就任した。メディアの出身ではない。しかしながら、その後の機敏な対応は目を見張るものがある。

 

 災害情報の掲示や「Yahoo!ニュース」の更新を止めることはできない。避難先の広場からノートPCで何とか更新を試 みる。近隣に在住している担当スタッフを急きょ帰宅させる。専門スタッフが駐在する大阪支社と連携するなど、日頃のリスクマネジメント計画に応じて対応を試みる。

 一時避難から約2時間後、オフィスに戻り、災害情報の更新や特設ページの開設が本格的に始まった。「地震関連情報特設ページ解説」「トップページのバナー広告配信の停止」「緊急募金受付」など。すでにYahoo!Japan に対するアクセスが急増。とくに「緊急募金受付」のページはアクセス集中のためつながりにくくなる事態が発生し、膨大なトラフィックへの対応作業が夜通し行われた。

参考文献

放送メディア研究 No.9  2012 (NJHK放送文化研究所、丸善刊)

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