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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第1部 ⑰ 批判にさらされて

2012年5月9日

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社内の批判にさらされて

 東京新聞・科学部の原発担当記者である、永井理は、そのとき編集局の自分の席で強い揺れに襲われた。

 編集局の自分の席にすわっていた。強い。「首都直下が来たか」と思った。背中に置かれたスチールロッカーが倒れかかってこないようすぐに振り返って手を伸ばした。

 都内の交通は麻痺してタクシーも拾えない。とにかく気象庁と東京大学地震研究所に人を出さなければ、どうしても必要だと言って社の車を出してもらった。私は地震研に飛んでいった。今から考えると、これも外れだったかもしれない。

 原発担当記者はふだん、大事故が起きたときのことを頭の隅に置きながら、日常的なトラブルの記事を書いたり、まるで修行のように委員会を傍聴したりして、いざというときに使える知識の引き出しを増やしていく。「S2の2倍の揺れ」「スロッシングでプール水漏えい」2007年の新潟県中越地震で壊れた東電柏崎刈羽原発ぐらいまでは、なんとか引き出しにある情報をひっくり返して追いつけた。

 これに対して「津波で浸水」「ドライベント弁」「海水注入」。福島第一原発の事故は、引き出しのどこにもない出来事であふれ返った。「水素爆発」の引き出しはかろうじてあっったが、取材したこのある浜岡原発1号機の配管爆発事故とは規模も質も大違いで、すぐにからっぽになってしまった。

 福島第一原発事故の取材班には、各地の支局から若手記者が集められた。

 あるとき、支局から来たばかりの記者が原子力・安全保安院に電話している声が耳に入った。「基本的なことで恥ずかしいのですが教えてください。原子力安全・保安院の会見で、なぜ経済産業省の審議官が答えているんですか?」。とてもいい質問だ。頭では分かっても違和感を肌で感じなくなっているベテラン記者の方がよほど恥ずかしい。

 自社紙面の1面下コラムに「原子力政策に無批判だった新聞」「無批判に記事を掲載したメディア」と二度も書かれてしまった。原子力を担当してきた記者はみな、言いたいこともあるだろう。でもここは何も言わず、素直な疑問をぶつけていきたい。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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