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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第1部 ⑯ 終わりなき原発報道

2012年5月7日

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終わりなき原発報道

  福島第1原発の事故は、放射能による環境破壊に関する終わりなき報道にメディ アが覚悟を決めなければならない、そう覚った事件だった。事故以前から、原発推進派と反原発派の激しい論争があり、メディアのなかでも社としての論を決めるために相克があった。専門記者たちは、過去と向き合いながら、進行する事故の現実を報道しなければならなかった。朝日新聞社の原発に対する社の姿勢は「yes but」となづけられた論だった。つまり、原発の必要性は認めるが、廃棄物などさまざまなマイナス面の施策が必要だ、というものだった。福島の事故を契機として、朝日新聞は段階的に原発からの脱却を目指す「脱原発」に社論を大きく転換した。

 大手新聞社の場合、原発報道は、科学的な側面は科学部が、東京電力など電力会社の経営的な側面は経済部が、原発を主管している経済産業省・エネルギー庁は、やはり経済部が、現場の環境被害など報道は、主に社会部や地元の取材拠点である支局や通信局が担当している。もとより、原発取材には科学的な知識が必要なので、科学部以外の部署でも、原発報道に関わる可能性がある記者たちは、原発の仕組みなど、基礎的な知識は常日頃から学習していた。

 朝日新聞社東京本社の前・科学医療エディター(部長)の大牟田透は、あの日を編集局のなかで迎えた。

 

 3月11日の地震発生直後から、当然、総掛かり態勢になった。科学・環境系、医療・医学系それぞれ3人計6人のデスクが、地震、津波、原発、被災地医療、被爆医療、総括といった分担で、記者の差配に動き出した。

 地震・津波で始まった取材は、午後4時前、保安院職員が詰めかけた記者を前に「15時42分、1F(福島第一原発)1-5、全電源喪失」などと書かれた紙を大声で読み上げた瞬間から、さらに緊迫の度が高まった。

 一報を受け「なにっ!全電源喪失?ECCS(緊急炉心冷却システム)が動かない?」と大声を上げたことを覚えている。電源確保のため電源車が向かっていると聞き、「まあ、最後は電源が回復してECCSが働き、ほっと一安心というパターンだろうな」と楽観していた。

 様子がおかしいと思い始めたのは、夜になってだ。3月12日午後に1号機の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛んだのを皮切りに、原発事故は次から次に拡大していった。

 1号機の爆発をテレビで見た直後、紙面づくりの総指揮を執る局長室へ駆け込み、「ここへ陣取っていいですか」と西村陽一ゼネラルエディター・編成局長(当時)に申し出た。「おう。ここに座れ」とゼネラルエディター横の席をあてがわれた。局長室詰めは、地震3週間の4月1日まで朝夕刊続けた。

 朝日新聞の今回の原発報道を振り返ると、大きくぶれることなく、事態の深刻な推移を比較的早め早めに伝えたのではないかという思いがある。爆発した1号機については当日組み紙面から「炉心融解」を見出しに取った。放射性物質の広がり具合を予測する国の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク(SPEEDI)」が動いているにもかかわらず公表されていないことを特報し、公開につなげた。さらに、その推定放出量からみて、少なくとも米スリーマイル島(TMI)原発事故を超える国際原子力事業評価尺度(INES)レベル6以上の事故であることも3月25日付朝刊で報じた。

 これらは「東電や保安院の発表には頼れない」という判断に基づく報道だった。一次情報を握る東電や保安院の発表が必ずしもあてにならない状況は、非常につらいものだった。

 解決策になったかどうか分からないが、窮余の一策が署名入り解説・論文の多用だった。長年原子力取材に携わってきた竹内敬二編集委員を中心に、さまざまな取材結果を総合して「現時点はこういう状況で、この程度の危険を覚悟する必要があるだろう」と、連日、かなり思い切って筆者の考えを書いてもらったつもりだ。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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