感情を排して
TBSテレビ報道局の「NEWS23クロス」のキャスターである松原耕二は、震災発生から5日間、夜の時間帯の特別番組を担当した。
毎晩5時間にわたる生放送にもちろん台本などなかった。それどころか次の瞬間にどんな情報が入り、どこの現場と中継を結ぶかもわからない。新しく入ってくる情報を整理し、スタジオの専門家たちに問いかける。地震や原発に詳しいわけでもない自分にできるのは、一瞬一瞬を集中して、現実に向き合うことだけだった。
震災から2カ月以上たって、1号機から3号機までの原子炉でメルトダウンが起きていたことを、東京電力が初めて認める。それも事故発生からさほど時がたっていない段階で、すでにその状態に陥っていたと分析した。
すると、なぜメディアはそうした事態を伝えなかったのか、大本営発表を繰り返していたのではないか、というそしりを受けることになった。ところが発生直後に届いた声は、まったく逆のものだった。
原発の専門家に、最悪のシナリオを何度も問いかけた。楽観的な見通しを示す専門家に対しては、バランスをとっておこうという心理もあったが、何より本当は何が起きているのか、誰も見ることができない原子炉のなかでどんな事態が進行しているのか、をしりたかったのだ。
だがそうした問いかけは、なぜ煽るのか、なぜわざわざ不安を煽る必要があるのか、という反応を呼び起こすことになった。
もっと報道してください。
被災地でそんな言葉をかけられた。一度や二度ではない。被災者の口から何度もその言葉を聞いた。
これまで記者という仕事を27年やってきて、こんな経験は初めてだった。災害現場でメディアの人間は、たいていの場合招かざる客だ。被災者から見れば、記者やカメラマンは厳粛な場所に土足で入ってくる心ない人種にも映る。
福島第1原発から20キロ~30キロの範囲内は、当初、屋内退避地域に指定される。その結果、店は閉まり物資も届かない、いわば陸の孤島となっていた。スタジオから電話をつないで惨状を聞く、というメディアの姿勢を住民は醒めた眼で眺めていた。
それだからだろう。南相馬市の桜井勝延市長は行くたびに「よく来てくれた」という言葉で迎えてくれた。JNNの取材チームは、おそらくメディアのなかでは例外的に屋内退避地域の取材を続けていた。取材する必要があれば放射能を管理しながら現場に入る、とういスタンスをとっていたためだ。
言葉を失う。それでもリポートしなければならない。まるで空襲のあとのような……、いや違う、しかも私は空襲のあとを肉眼で見たことなどない。黙り込む。現場の惨状をたとえる言葉を探している行為自体が、後ろめたいことに思えてくる。
結局、形容詞や副詞は排し、事実関係だけで言葉をつないだ。
――
参考文献
新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける 河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う 福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る 朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか 日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健
新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力 岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道 福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために 読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み 毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い 茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に 河北新報社・論説委員長 鈴木素雄
新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道 朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく 東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える 静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割 日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり 河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用 日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感 グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか 信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う 河北新報社・写真部 佐々木 浩明
新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割 毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える 岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実 日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために 岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から 河北新報社・編集局長 太田巌
調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声 東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信 TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友
調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために 映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない 文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」 政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢
放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2) メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか メディア研究部 村上聖一
放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割 メディア研究部 吉次由美
放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか メディア研究部 執行文子
放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか 世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか メディア研究部 井上裕之