市民が作る映像
2001年に起きた同時多発テロをきっかとして、マスコミが伝え切れない市民の声を伝えようと、発足したOurPlanet-TVは、衛星放送のBS11と提携して、市民による震災番組を行った。メディアに市民の意見をどのように反映させるか、という「パブリック・アクセス」の問題を考えるうえで、重要な出来事だった。OurPlanet-TVは、それまで、主にインターネットを通じて活動してきた。「放送」との連携は画期的だった。 震災地では、NPOによる臨時のFM局も多く生まれて、地域の情報を発信続けている。OurPlanet-TV副代表理事の池田佳代は、「放送の市民参加」が、大震災のなかで芽吹いたと考えている。
3月15日の朝、地球対話ラボの代表・渡辺裕一から電話がかかった。
「震災について市民が伝える番組を放送すべきではないかと思っている。心当たりの放送局にアポイントメントをとってみるので、番組制作にOurPlanet-TVも参加して欲しいのですが」
渡辺氏の企画は、被災者や被災者支援に取り組む人々が「自ら伝える」番組を作り放送する、つまり、これまで取材される側や視聴する側にいた人が放送に参加するというものだ。提案先は衛星放送のBS11、アポイントメントは17日と決まった。
面談に応じたのは、BS11の鈴木哲夫報道局長、毎日映画社の奥天路生取締役報道制作室長だ。市民参加の価値や意義、尋常ではない規模の震災だからこそ被災者に寄り添って伝えたい、自分たちにできることの一つとして放送に参加したい――。メンバーそれぞれの考えてに2人は理解を示した。
番組づくりにおける放送局の関与については、パブリック・アクセスにこだわりたいと主張する私たちに対し、その意義は理解しており、内容は自由との確約を得た。
1回目の放送は4月5日の火曜日夜10時台の「InsideOut」という報道番組の特集としして、放送時間は45分間ということも決まった。
市民による放送に向けた初めての会合は3月22日、東京・渋谷区内の公共施設の会議室で行われた。集まったのは約20人。市民による情報発信に関心のあるメディア関係者やNGO、そして、震災直後にろう者への情報提供を目的に、ユーチューブを通じてろう者が
手話で被災者への情報を伝えようと発足したDNN(デフ・ニュース・ネットワーク)のメンバーなど。その2日後に目的や参加規則が合意され、さらにその3日後に、投票により4月5日の構成内容が決定した。
規則とは、▽公共の電波を利用することの自覚、▽被災地と支援活動を結ぶ、▽障害者や日本語に不自由のある人への配慮、▽内容や参加者の多様性、▽非商業性、▽プライバシーの保護、▽偏見や暴力などの不法行為や反社会的行為の排除、▽偏向の否定――など13項目である。このプロジェクトの制作方針、放送基準ともいえるものである。
放送当日。司会は、企画提案者の小川光一さん(20代)と私の2人。内容は、①高校生が始めた被災地支援活動、②ろう者、女性、外国人を取り巻く問題、③岩手県陸前高田市からの報告、④スマトラ沖地震の支援活動の経験から学べること――というものだった。
次の回以降は、毎週火曜日22時45分ごろから3分間、11月11日までは継続することになった。
制作メンバーは当初、被災地や関東の人たちが中心だったが、6月以降は、関西や九州からも参加している。阪神淡路大震災の経験を生かした活動、宮崎県串間市で揺れている原発建設問題など震災に関連した被災地外からの情報も増え、外国出身者の参加も徐々に増えている。
3月11日の震災後、臨時災害放送局が各地に設置された。免許は2カ月間の期限付きで、即日交付される。震災当日に免許が交付された花巻市(4月3日に廃止)を皮切りに、6月9日までに設置されたのは合計26局。現在も活動しているのは岩手県内4、宮城県内11、福島県内3、茨城県内1の計19局だ。
甚大な被害を受けた地域の一つである南三陸町は5月17日に免許が交付され、「南三陸災害エフエム」(80・7MHz)が同日、放送を開始した。
放送局のスタッフは、南三陸町が募集した緊急雇用に応じて採用された10代から40代の男女4人の計8人。そのうち20代後半の男性は地元紙での活動経験があるが、それ以外はメディア活動そのものが初めてだった。
放送は、午前10時と午後3時に放送する1時間の放送が、それぞれ再放送、再々放送されて1日6時間放送している。内容は、町から提供される炊き出しや瓦礫撤去・仮設住宅
・ 事件などの生活情報、音楽のほか、スタッフが企画した自主制作だ。スタッフの企画には町の人だけではなく国内外、全国各地からやってきたボランティアも出演する。
町には、外国人労働者や日本人と結婚した日本語が母語でない外国出身者も暮らしている。そういう人のためにと、タガログ語、中国語など6言語による情報提供も行った。同局は被災者とはだれを指すのか、多文化共生の視点に立ち、メディアに求められている役割を実践で示している。
CS放送局の朝日ニュースターでOurPlanet-TVによる毎週30分の放送が決まっていた。4月29日の特番を皮切りに、7月7日に本放送がスタートした「ContAct」。こちらは完全に編集権をもったパブリック・アクセスである。
放送の市民参加――それは、独りよがりでも、情報の垂れ流しでも、見るに堪えない素人仕事でもない。また、制作は自己完結でき、手間がかかる仕事でもない。
テレビはつまらない、と言って見なかった人をも引き付ける可能性に富んでいる。放送局が経営に窮しているならば、ぜひ、新しい取り組みに挑戦してほしい。
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参考文献
新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける 河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う 福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る 朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか 日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健
新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力 岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道 福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために 読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み 毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い 茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に 河北新報社・論説委員長 鈴木素雄
新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道 朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく 東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える 静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割 日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり 河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用 日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感 グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか 信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う 河北新報社・写真部 佐々木 浩明
新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割 毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える 岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実 日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために 岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から 河北新報社・編集局長 太田巌
調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声 東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信 TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友
調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために 映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない 文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」 政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢
放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2) メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか メディア研究部 村上聖一
放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割 メディア研究部 吉次由美
放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか メディア研究部 執行文子
放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか 世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか メディア研究部 井上裕之