ソーシャルメディアという新しい武器
「東日本大震災はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、ブログ、ツイッターなどのソーシャルメディアが 普及して初めての大規模災害だった」。河北新報社のメディア局長の佐藤和文は、そう語る。
東日本大震災は河北新報社のインターネット回線の最上位部分に打撃を与えた。社内にサーバーを置いてあったニュースサイト「コルネット」は、よく衝撃に耐えた。そのためニュース編集作業や社内での閲覧は可能だったが、ネット回線の断絶のため外部から閲覧できない状態が続いた。地震発生から15時間余り。電子メールシステムも途絶し、携帯電話、固定電話の回線も不調。文字通り外部との連絡を絶たれた。USBでつなぐネット回線が細々ながら生きていたため、遠隔地にサーバーがあった自社の地域SNS「ふらっと」をニュースサイト代わりに使い、かろうじてニュースを送り出した。
「M9・0」のショックでまだ頭が働かない中で、今回の巨大地震とそれに続く巨大津波はSNS、ツイッターが普及して初めての大規模災害であり、多メディア環境にある地方新聞社としてもその活用を試みるべきだという思いがまず先に立った。
SNSサーバーにニュースコンテンツを可能な限り送り込む一方、新聞紙面に毎日掲載されている大量のニュースや生活情報を再編集し、ツイッターで配信することにした。
加えて編集局夕刊編集部とメディア局の記者が自転車で、仙台市中心部や多くの犠牲者が出た海岸部地域を回った。見たまま聞いたままを現地からツイッターで送信することを始めたのだ。そのために夕刊編集部とSNS「ふらっと」の公式アカウントを使った。ニュースサイト「コルネット」のツイッターアカウントは新聞コンテンツの再編集・配信用にと、現場の判断で使い分けが行われた。
夕刊編集部とメディア局は、連日、被災現場の真ん中に向かう新聞の記者とは少し異なる位置で取材し、ツイッターを使って発信した。
SNS「ふらっと」は、地震直後、ニュースサイトの代替機能を果たしたにとどまらない。震災と同時に「ふらっと」にはブログやコミュニティーを使って震災関連の情報が大量に流れ出した。河北新報社が地域のブロガーに呼び掛けてプロジェクト化した「街角ブロガー」「気仙沼ブロガー」を中心に、新聞記者が取材しようにも手の届かない情報や、読み手一人ひとりの心に届くような、多様な表現が流れ始めた感じがある。
河北新報社のような地域に由来するメディアがインターネット、特にソーシャルメディアと連携することは何を意味するのだろうか。どんな手掛かりがあり、それをどうつかんでいけば、有意義な展開が開けてくるだろうか。東日本大震災を契機に急展開しはじめた状況に追いつくのは簡単ではないが、地域に由来するメディアに与えられた大きな試練の一つと考えるべきだ。新聞かネットかといった二者択一の論理からは一刻も早く抜け出さなければならない。
地域に由来するメディアがソーシャルメディアと連携する上で参考になる考え方に、やはり米国で今、急速に進んでいる「ハイパーローカルジャーナリズム」がある。インターネットがもたらした急激な変化は、米国の伝統的な主流メディアの経営環境を極端に悪化させ、多くのジャーナリストが解雇された。その結果、主流メディアの取材が及ばない地域が数多く生まれた。主流メディアの地域切捨てを批判的にとらえたり、逆にビジネスチャンスを追求する非営利組織や企業が「超地域密着型」のメディアを多数生み出している。
ハイパーローカルメディアを経営的に可能にするポイントは、①「オンライン」中心に可能な限り多様な展開を組み合わせること、②既存のメディアの取材が行き届かない地域あるいはテーマに徹底して付き合う「超地域主義」であること――この2点だ。米国の場合、これらの動きは従来の既存メディアの対抗メディアとして出現しているが、オンラインによる、より深くて広い地域密着の手法は、日本の地域メディアにとっても有効な戦略になりうる。
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参考文献
新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける 河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う 福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る 朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか 日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健
新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力 岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道 福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために 読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み 毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い 茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に 河北新報社・論説委員長 鈴木素雄
新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道 朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく 東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える 静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割 日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代
新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり 河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用 日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感 グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか 信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う 河北新報社・写真部 佐々木 浩明
新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割 毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える 岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実 日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために 岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から 河北新報社・編集局長 太田巌
調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声 東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信 TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友
調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために 映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない 文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」 政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢
放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2) メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか メディア研究部 村上聖一
放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割 メディア研究部 吉次由美
放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか メディア研究部 執行文子
放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか 世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか メディア研究部 井上裕之