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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第1部 ④ 真っ黒い波が迫った

2012年4月4日

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真っ黒い波が迫った

 岩手日報の報道部次長の熊谷真也は、そのとき、宮古市にいた。日本新聞協会長賞を受賞した同社の写真企画「平成三陸大津波 記者の証言」のメンバーのひとりである。沿岸の6支局すなわち、洋野、久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田に駐在していた計7人の記者が大津波の来襲の瞬間をとらえた企画だった。

 

 3月11日午後2時46分、私は宮古市議会本会議を取材するため、市役所6階にいた。

 立っていられないほどの揺れがとても長く続いたように感じた。揺れが収まり、屋外に避難したところで、駐車場で防災無線により、大津波警報の発令を知った。

 さらに、海に近い同市の漁協ビルに移ろうと思い車に乗ったものの、途中は閉伊川河口沿いの道を走ることになる。移動時間を考えて引き返し、市役所で取材することにした。車から望遠レンズを持ち出し、市役所庁舎5階に駆け上がった。

 次第に閉伊川の川底が見えるぐらい、水が引いていく。そして、津波の第1波。急に海面が盛り上がっていった。係留していた漁船が次々に上流に流される。宮古大橋の橋脚に衝突し、バリバリという音が響く。

 津波は続き、3時25分、ついに防潮堤を乗り越え、真っ黒い波が市街地に襲いかかった。営業中だったラーメン店や印刷所などが流される。屋上に避難する人たち。車や漁船が建物の上に打ち上げられていた。周りには助けを求める人たちの声が響く、非現実的な場面にただシャッターを切り続けるしかなかった。

 今回の企画に参加した7人のうち、東日本大震災の際に事前に想定していたポイントに駆け付けることができたのは4人だった。残る3人は取材で支局から離れた村に出掛けていたり、渋滞に巻き込まれるなどして予定していた撮影場所には到達できなかった。それでも、日ごろの取材活動の中から次善の策として安全を確保できる場所を選定し、取材場所とした。7人以外の沿岸部にいた記者も津波様子を撮影した。岩手県沿岸では、宮城県沖地震による津波の可能性が高まっていた。日ごろの取材活動のなかで、土地勘を養い、さまざまなケースの撮影場所を想定していた。今回の企画は文字通り、足を使った取材の成果だったと思う。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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