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「そのとき、メディアは――大震災のなかで」第1部 ② 津波が中継された

2012年3月30日

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津波が中継された瞬間

 毎日新聞の手塚が仙台空港を飛びたつ直前、NHK福島放送局の鉾井喬は、同じ仙台空港からヘリコプターで、仙台平野の上空に舞い上がった。NHKの仙台空港に駐機しているヘリは、仙台放送局と福島放送局員が輪番で事件・災害取材に備えていた。一年前の春に入局したばかりの鉾井が、仙台平野を襲う津波の映像を伝えるという歴史的な実況中継を担当することになったのである。鉾井のヘリでの取材経験は、研修を入れてそれまで4回に過ぎなかった。

 

 「ガシャガシャガシャ」。急な縦揺れがヘリポートを襲う。これまで経験したことがない激しい揺れだ。駐機中のヘリの座席に座っていた私は、慌ててヘリの外に出た。ヘリが揺れてローター(回転翼)の端が地面に着きそうになる。格納庫がきしみ、隣のシャッターが落ちて近くのヘリに当たった。整備員たちの叫び声が聞こえる。

 まだ入局1年目の私がヘリで航空取材をしたのは、研修も含めてこれまでに4回のみ。少しでも技術を習得したと思い、ヘリに搭載されたカメラを操作するコントローラーを手に取り、撮影の練習をしていた矢先のことだった。

 長い揺れが収まると、すぐに仙台放送局の映像取材デスクから機長にフライトの指示が来た。ローターが回り始め、一気に緊張感が高まり、フライト態勢に入った。地震発生からおよそ20分後、管制からようやく離陸が許可された。「大変なことになるかも。どうしよう」。緊張してカメラのコントローラーを握る手に汗がにじんだ。

 NHKの仙台ヘリは午後3時13分、仙台空港を飛び立った。宮城県北部から岩手県にかけて続いているリアス式海岸を目指そうと、仙台港まで来たところで天候が悪化。上空は雪雲が壁のように立ちはだかっているようだった。

 北上することができないヘリは行き場を失った。仙台上空には、ぱらぱらと小雪が舞い始めた。その時、デスクから「海岸線を南下」という指示が来た。

 その直後だった。名取川の流れを遮るように一つの筋となった白波が河口から遡ってくる。「これ津波じゃないか?」。無線でデスクの声が響く。ヘリから送る映像はこの時点から生放送に切り替わていたため、カメラをそっと川の左岸に広がる平野に向けると、信じられない光景が広がっていた。

 田畑をのみ込みながら、巨大な生き物のようにザーと平野を走る大津波。先端がどす黒くなった大津波は住宅や車、農業用ハウスなどに襲いかかり、あっという間に巻き込んでいく。突如現れた光景に息が詰まる。大津波はものすごい速さで仙台平野を進み、所々で炎も上がっている。

 ヘリは南下を続けた。途中の沿岸部はすべて水没し、そこに町があった面影はなかった。福島県内に入り、相馬港や松川浦漁港など、かつて取材をした場所の上空を通り過ぎたが、自分の記憶とすり合わせることができないほど、その姿は変わってしまっていた。もう見ていられないという気持ちに負けそうになる自分を抑えながら、目の前にある現実を撮影し続けた。

 途中、「福島第1原発を撮影してほしい」というデスクの指示が入った。

 安全を確保するため、原発から10キロ以上離れた所から、移動しながら原発を撮った。その時は、まだ建屋は外見上は無事で、ヘリの線量計の数値も上がらず「大丈夫なんだろう」という印象だった。その後、こんな大惨事に至るとは夢にも思わなかった。

 午後5時20分、仙台空港を飛び立ってから2時間7分後、NHKのヘリは阿武隈山脈を越えて福島空港に着陸した。人生5回目のヘリ取材は、未曾有の大災害を世界で初めて中継するフライトとなった。

 

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参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

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