ブログ

ドキュメンタリー

このエントリーをはてなブックマークに追加

最初の6時間

 日本放送協会(NHK)「ニュース7」編集責任者の等々力健は、「はじまりは、いつもの警報音だった」と、  気象庁の高度利用者向け緊急地震速報の受信端末が鳴らした警報で始まった、最初の6時間を振り返る。

 

 2時46分48秒、緊急地震速報が発令された。総合テレビは参議院決算委員会の中継放送中だった。

 菅総理大臣の外国人献金問題などでこの日の国会は注目度が高い……、緊急地震速報は外れる可能性がゼロではない……と思っているうちに、放送センターが大きく揺れた。しかも長い。

 「間違いない!」。2時48分18秒、NHKは、すべての放送波8波で地震報道を始めた。

 スタジオの第一声は「国会中継の途中ですが、地震・津波関係の情報をお伝えします。いま東京のスタジオも揺れています」だった。

 放送からしばらくは「東北地方で強い地震、念のため津波に注意」という地震速報を、仙台・青葉区と石巻の固定カメラの激しく揺れる映像とともに繰り返した。

 大津波はいつ来るんだ、そんな思いがよぎった矢先、午後3時14分、釜石の固定カメラが異常を捉えた。

 港の岸壁を海水が乗り越え始めた。一気に流れ込む海水、1分もたたないうちに、トラックが流された。

 宮古、気仙沼、銚子、さらに八戸で、車が、漁船が、港湾施設が押し流され、街が津波に飲み込まれていった。

 想像を超える大津波の威力、私たちはさらにそのすさまじさを目撃する。午後3時54分、仙台平野の上空のNHKのヘリコプターが名取川河口付近に押し寄せた大津波を捉えた。田畑・住宅・車を黒い渦が次々に巻き込んでいく。ヘリはこのあとも海上を進む大津波を捉え、さらに仙台空港が水没し、多くの人がターミナルビルの屋上から救助を求めている様子を伝えた。そして、放送は1時間近く、このヘリが送ってくる宮城県から福島県にかけて海岸沿いの映像を中心に組み立てた。

 交通や通信の事情が極端に悪い中、この日の午後、東北の被災地から届く映像は、仙台や福島、郡山などの市街地からのものを除いては、このヘリの映像と各地の固定カメラの中継映像がほとんどすべてだった。しかし、ヘリのフライト時間には限りがある。仙台平野のヘリは午後5時前には海岸線を離れた。各地の固定カメラも非常用バッテリー(2-4時間分)の電源が落ちて、夕方から夜にかけてはほとんど使えなくなっていった。

 放送は途切れることが許されない。そして後戻りもできない。放送を出しながら、次はなに、次はなに、と選んでいくのが編責の役目だ。

 午後4時半ごろから、首都圏の情報を中心に津波以外のさまざまな情報が入るようになった。目だったのは、製油所の火災の中継映像で、ほかにも首都圏の鉄道の運転見合わせ、地震による土砂崩れの被害の情報などがあった。午後5時前には、東京電力福島第一原発で非常用ディーゼル発電機が一部使えなくなったという情報も入ってきた。

 伝えるべき情報がより多様になる中で、放送が大きく変わったのは、午後6時前の枝野幸男官房長官による「職場待機」の呼びかけだった。「帰宅困難者」による混乱が現実のものになろうとしていた。

 午後7時、通常ならば、「ニュース7」はその日のニュースをまとめて伝える。だが、休まず放送を出し続けてきたため、情報と映像を十分にせき止めるだけの時間がない。7-8時台も、大津波警報と帰宅困難者という二つの現在進行形のテーマをめぐって、いま何が起きているのか、何に注意が必要かを中心に伝えていくことになった。

 その中で、増えてきたのが原子力発電所にかかわる情報だった。女川原発1号機の火災、福島第二原発の「10条通報」(同法第10条に基づく原子力事業所から主務大臣への通報)、そして、7時台後半には福島第1原発の「原子力緊急事態」宣言と続いた。「緊急事態宣言」については、枝野官房長官の記者会見を中継し、専門記者がそれを解説するという、その後“定番”となる方法で10分以上伝えた。ただ、内容は、この時点では放射性物質が漏れ出ていないことを強調し、住民に落ち着いて行動するように呼びかけることに主眼を置くものだった。

 この時間帯、むしろより切迫感が増したと感じられたのは都内の帰宅困難者の状況だった。黙々と歩き続ける人びと、まったく動かない都心部の渋滞の車列、ターミナル駅の人だかり……。8時台後半は、主にこうした映像を流したりしながら、津波に対する警戒の呼びかけや、停電などのライフラインについての情報、それに新たな被害情報を伝えていった。

 そうして放送をはじめて6時間10分、東京駅の映像を最後に、編責業務を引き継いだ。

 

 中継映像を多用する中で、目に見える事象にとらわれて、肝心の情報を十分に伝えられないという問題が残った。大津

 波が確認されるまでの30分間、大津波警報が出されていたのに、放送は一時、東京都内の地震被害や火災の情報に振り向けられた。優先順位はどちらにあったのか。放送として単調なものになっても、愚直に繰り返し避難を呼びかけるべきではなかったか。反省すべき点だ。

 東京の「帰宅困難者」は目に見えた。被災地の「避難住民」は目に見えなかった。映像はなくても、被災地からの電話リポートなどで、もう一歩踏み込んだ情報提供ができなかったかと思う。

 さらにもう一つ、原発事故という目に見えない情報の扱いも難しかった。「緊急事態」が宣言されたことで、尋常ではないとの意識は確かにあったし、その分、時間をかけて伝えもした。ただ、その伝え方には「住民に無用の混乱を起こしたくない」という配慮が強く働いた。放送を引き継いでまもなく、午後9時23分、3キロ圏内の住民に退避指示が出された。残念ながら、そうした事態の展開を見通すことはできなかった。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

「東京発」は眠らない

 大地震が発生した翌日の3月12日夜11時55分、テレビ東京が、各局に先がけて定時のアニメ番組を放送するまで、在東京のテレビ局全てが報道特別特番を続けた。

 NHK放送文化研究所のメディア研究部は、各局の特別番組の特徴を次のように記している。

NHK総合 民放に比べると東京のスタジオからの情報発信に多くの時間を割き、発生直後から一貫して、原稿による情報の整理や余震・津波に関する情報提供・避難の呼びかけに重点を置いた。

日本テレビ 午後5時からの「ニュースevery,特別版」として、平時の夕方ニュースのキャスターがメインを務めた。被災者への呼びかけを積極的に行い、その内容は、避難所での寒さをしのぐ過ごし方や帰宅困難者への注意事項など、早くから今回の事故の「複合的な側面」に目配りしたものが多かった。

 民放各局にほぼ共通するが、日没以降は一貫して東北県域民放局のスタジオと結ぶ形式を多用し、ほぼ1時間に1~2回の割合で宮城・岩手・福島のスタジオとつなぎ、VTR・中継を含め、現地からの情報を伝えた。

TBS 夕方のニュース番組「Nスタ」のスタジオをベースに、地震・津波情報を伝えた。メインスタジオとは別のアナウンサーが1名常時張り付き、最新の情報はそこから伝えることを基本の形にしていた。この結果、メインスタジオは全体の流れの調整、解説、およびローカル各局とのつなぎ役としての機能にある程度特化して情報整理を行った。その分、視聴者へ「呼びかける」タイプの情報提供は比較的少なかった。

フジテレビ 前の時間帯から引き続き、報道フロアの一角にセットを設け、安藤キャスターが全体の仕切り役を務めた。他局と比べて、解説や報告の際にも中継やVTRの映像を早め早めにかぶせていく傾向があり、現場の映像を優先して織り込んでいく姿勢が見られた。

テレビ朝日 夜7時から「報道ステーション」の古館キャスターがメインで情報を取り仕切った。報道開始直後から、情報提供に加え、余震・津波への警戒の呼びかけが随時行われた。比較的早くから、自衛隊の動きに関する情報を伝えていたことが独自の特徴としてあげられる。

テレビ東京 スタジオでのアナウンサーによる進行と社員の気象予報士による解説、さらに報道フロアを設け各地の被害情報を担当アナウンサーが繰り返した。最も被害の大きかった東北の映像は少なかった。その一方で、他局が全く伝えることがなかった株や為替、企業の動きなど経済関係の情報を多く伝え、海外報道の動向を伝えるニューヨークからの中継も経済情報にからめて他局に先駆けて行われた。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

市民が作る映像

  2001年に起きた同時多発テロをきっかとして、マスコミが伝え切れない市民の声を伝えようと、発足したOurPlanet-TVは、衛星放送のBS11と提携して、市民による震災番組を行った。メディアに市民の意見をどのように反映させるか、という「パブリック・アクセス」の問題を考えるうえで、重要な出来事だった。OurPlanet-TVは、それまで、主にインターネットを通じて活動してきた。「放送」との連携は画期的だった。 震災地では、NPOによる臨時のFM局も多く生まれて、地域の情報を発信続けている。OurPlanet-TV副代表理事の池田佳代は、「放送の市民参加」が、大震災のなかで芽吹いたと考えている。

 3月15日の朝、地球対話ラボの代表・渡辺裕一から電話がかかった。

 「震災について市民が伝える番組を放送すべきではないかと思っている。心当たりの放送局にアポイントメントをとってみるので、番組制作にOurPlanet-TVも参加して欲しいのですが」

 渡辺氏の企画は、被災者や被災者支援に取り組む人々が「自ら伝える」番組を作り放送する、つまり、これまで取材される側や視聴する側にいた人が放送に参加するというものだ。提案先は衛星放送のBS11、アポイントメントは17日と決まった。

 面談に応じたのは、BS11の鈴木哲夫報道局長、毎日映画社の奥天路生取締役報道制作室長だ。市民参加の価値や意義、尋常ではない規模の震災だからこそ被災者に寄り添って伝えたい、自分たちにできることの一つとして放送に参加したい――。メンバーそれぞれの考えてに2人は理解を示した。

 番組づくりにおける放送局の関与については、パブリック・アクセスにこだわりたいと主張する私たちに対し、その意義は理解しており、内容は自由との確約を得た。

 1回目の放送は4月5日の火曜日夜10時台の「InsideOut」という報道番組の特集としして、放送時間は45分間ということも決まった。

 市民による放送に向けた初めての会合は3月22日、東京・渋谷区内の公共施設の会議室で行われた。集まったのは約20人。市民による情報発信に関心のあるメディア関係者やNGO、そして、震災直後にろう者への情報提供を目的に、ユーチューブを通じてろう者が

手話で被災者への情報を伝えようと発足したDNN(デフ・ニュース・ネットワーク)のメンバーなど。その2日後に目的や参加規則が合意され、さらにその3日後に、投票により4月5日の構成内容が決定した。

 規則とは、▽公共の電波を利用することの自覚、▽被災地と支援活動を結ぶ、▽障害者や日本語に不自由のある人への配慮、▽内容や参加者の多様性、▽非商業性、▽プライバシーの保護、▽偏見や暴力などの不法行為や反社会的行為の排除、▽偏向の否定――など13項目である。このプロジェクトの制作方針、放送基準ともいえるものである。

 放送当日。司会は、企画提案者の小川光一さん(20代)と私の2人。内容は、①高校生が始めた被災地支援活動、②ろう者、女性、外国人を取り巻く問題、③岩手県陸前高田市からの報告、④スマトラ沖地震の支援活動の経験から学べること――というものだった。

 次の回以降は、毎週火曜日22時45分ごろから3分間、11月11日までは継続することになった。

 制作メンバーは当初、被災地や関東の人たちが中心だったが、6月以降は、関西や九州からも参加している。阪神淡路大震災の経験を生かした活動、宮崎県串間市で揺れている原発建設問題など震災に関連した被災地外からの情報も増え、外国出身者の参加も徐々に増えている。

 3月11日の震災後、臨時災害放送局が各地に設置された。免許は2カ月間の期限付きで、即日交付される。震災当日に免許が交付された花巻市(4月3日に廃止)を皮切りに、6月9日までに設置されたのは合計26局。現在も活動しているのは岩手県内4、宮城県内11、福島県内3、茨城県内1の計19局だ。

 甚大な被害を受けた地域の一つである南三陸町は5月17日に免許が交付され、「南三陸災害エフエム」(80・7MHz)が同日、放送を開始した。

 放送局のスタッフは、南三陸町が募集した緊急雇用に応じて採用された10代から40代の男女4人の計8人。そのうち20代後半の男性は地元紙での活動経験があるが、それ以外はメディア活動そのものが初めてだった。

 放送は、午前10時と午後3時に放送する1時間の放送が、それぞれ再放送、再々放送されて1日6時間放送している。内容は、町から提供される炊き出しや瓦礫撤去・仮設住宅

・ 事件などの生活情報、音楽のほか、スタッフが企画した自主制作だ。スタッフの企画には町の人だけではなく国内外、全国各地からやってきたボランティアも出演する。

 町には、外国人労働者や日本人と結婚した日本語が母語でない外国出身者も暮らしている。そういう人のためにと、タガログ語、中国語など6言語による情報提供も行った。同局は被災者とはだれを指すのか、多文化共生の視点に立ち、メディアに求められている役割を実践で示している。

 CS放送局の朝日ニュースターでOurPlanet-TVによる毎週30分の放送が決まっていた。4月29日の特番を皮切りに、7月7日に本放送がスタートした「ContAct」。こちらは完全に編集権をもったパブリック・アクセスである。

 放送の市民参加――それは、独りよがりでも、情報の垂れ流しでも、見るに堪えない素人仕事でもない。また、制作は自己完結でき、手間がかかる仕事でもない。

 テレビはつまらない、と言って見なかった人をも引き付ける可能性に富んでいる。放送局が経営に窮しているならば、ぜひ、新しい取り組みに挑戦してほしい。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

映像を途切れなく

 東日本大震災をきっけとして、日本の放送局として初めて、ユーストリーム上でライブ放送を始めたのは、TBSテレビだった。報道局のデジタル編集部の担当部長・鈴木宏友は、同社のニュース専門CSチャンネル「ニュースバード」の映像を、“ワンクリック”で切り替え、Ust(ユーストリーム)で流したのだった。さらに、世界のテレビ局で初めてYouTube(YT)上でもライブ配信を開始した。

 

 私が所属するデジタル編集部でも緊急地震速報を発すると同時に、震災を伝える特別番組が始まっていた。CSの24時間ニュース専門チャンネル「TBSニュースバード」だ。

 そのとき、「Ustはいけないのか」と大きな声が響く。今放送中の「ニュースバード」の特別弁組みをUstで配信できないのかという指示である。

 1年前、私は編成替えに伴い『NEWS23』のチーフプロデューサーからニュースのWeb展開を担当するよう辞令を受けた。デジタル編集部の業務は地上波以外のニュース、つまりCS放送、Web、デジタルサイネージ等への動画ニュース配信が主な業務である。

 Ustを使うにしても課題はある。まず、配信画面に出る広告を配信側がコントロールできない。これは、Ust上にTBSの公式チャンネルを開設することでTBSのコントロールとなった。もう一つは、画面の横に併設されるツイッターなどSNSの掲示板。いまや映像を見ながらの書き込みはWebの必須ではあるが、書き込みに対し配信側のTBSが責任を持つのか、という問題。実際やってみるしか結論が出ない手詰まり状態が続いた。

 ところが昨秋。

 菅直人vs小沢一郎という構図でまれに見る盛り上がりを見せた民主党の代表選、事実上、次の総理が決まる選挙だ。投票から開票まで全てを放送したいコンテンツだ。報道局、編成局からもWeb配信実験が許可された。動画ニュースサイト『TBSNewsi』には映像だけが埋め込まれ、Ustの『TBStv』ではツイッターの書き込みが流れた。

 この間、Web上のもう一つの重要なパートナーであるYou Tube(YT)とも定期的な意見交換を繰り返した。いざというときのパートナーとしてTBS報道局は向き合い続けた。

 そして3月11日。

 報道・編成・営業への連絡が完了した。17時42分、メディアビジネス局のUstチームがPCをクリック。「最大の緊急事態」の決断だった。「ニュースバード」がUstに流れ出す。TBSが、TV局の意思で、番組をWebに配信した瞬間だ。その1時間後、NHK、フジが動画配信会社側の要請によって配信を認め始めた(19時00分)。この際、他局は地上波をそのまま配信したが、TBSはCSのコンテンツである「ニュースバード」を選択した。かねてより会見などのライブ情報、1次情報を重視した「ニュースバード」の編成の方がWebとの相性が良く、地上波と同じものをWebに出しても意味がないとの判断だ。

 TBSはその間、YTと詰めの交渉を続けていた22時35分、世界のTV局で初めて、TBSがYT上でライブ配信を始めた。

 既存メディアに対する不信が危機的水準まで高まっている。これまでわずかなエッセンスだけ放送に使い、それ以外死蔵されてきた1次情報素材をWebで公開し、TV局が編集したニュースと見比べてもらう。TV局の編集作業の証拠を示す。見る側、伝える側、相互のリテラシーを高められる。その際、TV局と視聴者のコミュニケーションは何らかのSNSで行われていくことになる。Webとの対立関係にはならない。

 TVは一見、ツイッターの速報性に敵わない。しかし震災時のようなカオスの時こそ、信頼性を担保した組織的、物質的取材が求められる。まだTVの発信力は圧倒的だ。上から目線と叱られそうだが、Webに対し既存メディア、TVが責任を果たすべきなのだ。「TVを諦めた人達」がWebの世界にいるのなら、追いかけてニュースを伝えに行かなければならない。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

ソーシャルメディアという新しい武器

 「東日本大震災はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、ブログ、ツイッターなどのソーシャルメディアが 普及して初めての大規模災害だった」。河北新報社のメディア局長の佐藤和文は、そう語る。

 

 東日本大震災は河北新報社のインターネット回線の最上位部分に打撃を与えた。社内にサーバーを置いてあったニュースサイト「コルネット」は、よく衝撃に耐えた。そのためニュース編集作業や社内での閲覧は可能だったが、ネット回線の断絶のため外部から閲覧できない状態が続いた。地震発生から15時間余り。電子メールシステムも途絶し、携帯電話、固定電話の回線も不調。文字通り外部との連絡を絶たれた。USBでつなぐネット回線が細々ながら生きていたため、遠隔地にサーバーがあった自社の地域SNS「ふらっと」をニュースサイト代わりに使い、かろうじてニュースを送り出した。

 「M9・0」のショックでまだ頭が働かない中で、今回の巨大地震とそれに続く巨大津波はSNS、ツイッターが普及して初めての大規模災害であり、多メディア環境にある地方新聞社としてもその活用を試みるべきだという思いがまず先に立った。

 SNSサーバーにニュースコンテンツを可能な限り送り込む一方、新聞紙面に毎日掲載されている大量のニュースや生活情報を再編集し、ツイッターで配信することにした。

 加えて編集局夕刊編集部とメディア局の記者が自転車で、仙台市中心部や多くの犠牲者が出た海岸部地域を回った。見たまま聞いたままを現地からツイッターで送信することを始めたのだ。そのために夕刊編集部とSNS「ふらっと」の公式アカウントを使った。ニュースサイト「コルネット」のツイッターアカウントは新聞コンテンツの再編集・配信用にと、現場の判断で使い分けが行われた。

 夕刊編集部とメディア局は、連日、被災現場の真ん中に向かう新聞の記者とは少し異なる位置で取材し、ツイッターを使って発信した。

 SNS「ふらっと」は、地震直後、ニュースサイトの代替機能を果たしたにとどまらない。震災と同時に「ふらっと」にはブログやコミュニティーを使って震災関連の情報が大量に流れ出した。河北新報社が地域のブロガーに呼び掛けてプロジェクト化した「街角ブロガー」「気仙沼ブロガー」を中心に、新聞記者が取材しようにも手の届かない情報や、読み手一人ひとりの心に届くような、多様な表現が流れ始めた感じがある。

 河北新報社のような地域に由来するメディアがインターネット、特にソーシャルメディアと連携することは何を意味するのだろうか。どんな手掛かりがあり、それをどうつかんでいけば、有意義な展開が開けてくるだろうか。東日本大震災を契機に急展開しはじめた状況に追いつくのは簡単ではないが、地域に由来するメディアに与えられた大きな試練の一つと考えるべきだ。新聞かネットかといった二者択一の論理からは一刻も早く抜け出さなければならない。

 地域に由来するメディアがソーシャルメディアと連携する上で参考になる考え方に、やはり米国で今、急速に進んでいる「ハイパーローカルジャーナリズム」がある。インターネットがもたらした急激な変化は、米国の伝統的な主流メディアの経営環境を極端に悪化させ、多くのジャーナリストが解雇された。その結果、主流メディアの取材が及ばない地域が数多く生まれた。主流メディアの地域切捨てを批判的にとらえたり、逆にビジネスチャンスを追求する非営利組織や企業が「超地域密着型」のメディアを多数生み出している。

 ハイパーローカルメディアを経営的に可能にするポイントは、①「オンライン」中心に可能な限り多様な展開を組み合わせること、②既存のメディアの取材が行き届かない地域あるいはテーマに徹底して付き合う「超地域主義」であること――この2点だ。米国の場合、これらの動きは従来の既存メディアの対抗メディアとして出現しているが、オンラインによる、より深くて広い地域密着の手法は、日本の地域メディアにとっても有効な戦略になりうる。

 

――

参考文献

新聞研究(日本新聞協会刊)2011年6月
膨大な被災者の今を伝え続ける  河北新報社・編集局長 太田巌
地方の視点で震災と原発に向き合う  福島民報社・編集局次長 安田信二
求められる情報、総力で迫る  朝日新聞東京本社・社会グループ 石田博士 | 朝日新聞名古屋本社・報道センター次長 日浦統
最初の6時間 テレビは何を伝えたか  日本放送協会「ニュース7」編集責任者・等々木健

新聞研究2011年7月号
危機に問われる新聞力  岩手日報社・常務取締役編集局長 東根千万億
未曾有の災害連鎖を伝える報道  福島民友新聞社・編集局長 加藤卓哉
総合力で新聞の力を示すために  読売新聞東京本社・編集局総務 松田陽三
特別紙面「希望新聞」の取り組み  毎日新聞東京本社・生活報道部長 尾崎敦
現場取材で感じる人々の思い  茨城新聞社・日立支社 川崎勉
被災者基点と共助を座標軸に  河北新報社・論説委員長 鈴木素雄

新聞研究2011年8月号
激動の原発事故報道  朝日新聞東京本社・前科学医療エディター 大牟田透 | 朝日新聞東京本社・政治グループ 林尚行
率直な疑問をぶつけていく  東京新聞・科学部 永井理
地元の安全対策論議に応える  静岡新聞社・社会部長 植松恒裕
食の安全・安心と報道の役割  日本農業新聞・農政経済部長 吉田聡
市民による震災報道プロジェクト  OurPlanet-TV・副代表理事 池田佳代

新聞研究9月号
地域社会との新たな関係づくり  河北新報社・メディア局長 佐藤和文
原発災害報道にツイッターを利用  日本放送協会 科学・文化部長 木俣晃
新聞社の高い取材力を実感  グーグル・プロダクトマーケティングマネージャー 長谷川泰
長野県栄の震災をどう報じたか  信濃毎日新聞社・飯山支局長 東圭吾
感情を抑えて、被災地に寄り添う  河北新報社・写真部 佐々木 浩明

新聞研究2011年10月号
取材で感じた報道写真の役割  毎日新聞東京本社 編集編成写真部 手塚耕一郎
後世に「教訓」を伝える  岩手日報社・編集局報道部次長 熊谷真也
全社的訓練とノウハウが結実  日本放送協会・福島放送局放送部 鉾井喬
頼られる存在であり続けるために  岩手日報社・編集局報道部長 川村公司
震災のさなかのある地から  河北新報社・編集局長 太田巌

調査情報(TBS刊)2011年7-8月号
未だ蘇る声  東北放送・報道部 武田弘克
震災特番 Web配信  TBSテレビ 報道局デジタル編集部担当部長 鈴木宏友

調査情報2011年9-10月号
テレビ報道が信頼を回復するために  映画作家 想田和弘
震災の前と後で日本の政治は変わっていないし、私も変わらない  文芸評論家・文化史研究家 坪内祐三
「災後」社会を「つなぐ」  政治学者 御厨貴
「焼け太り」のひとつだに無きぞ悲しき  フリープロデューサー 藤岡和賀夫
気仙沼で生まれた自分しか話せないことがあると思うから  スポーツジャーナリスト 生島淳
三陸彷徨 魂と出会う地で  JNN三陸臨時支局長 龍崎孝
結局私は、記者ではなかった  TBSテレビ・報道ニュース部「Nスタ」 森岡梢

放送研究と調査(NHK放送文化研究所刊)2011年6月号
東日本大震災発生時 テレビは何を伝えたか(2)  メディア研究部 番組研究グループ
東日本大震災・放送事業者はインターネットをどう活用したか  メディア研究部 村上聖一

放送研究と調査2011年7月号
3月11日、東日本大震災の緊急報道はどのように見られたのか  メディア研究部 瓜知生
東日本大震災に見る大震災時のソーシャルメディアの役割  メディア研究部 吉次由美

放送研究と調査2011年8月号
東日本大震災・ネットユーザーはソーシャルメディアをどのように利用したか  メディア研究部 執行文子

放送研究と調査2011年9月号
原子力災害と避難情報・メディア  メディア研究部 福長秀彦
東日本大震災・被災者はメディアをどのように利用したか  世論調査部 執行文子
大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか  メディア研究部 井上裕之

このエントリーをはてなブックマークに追加