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現代女優論   武井咲  

2012年9月10日

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「Wの悲劇」武井咲は、薬師丸ひろ子になれるか  リメークドラマはスターへのオマージュ

 青春時代を思い返すとき、時代の女優は誰だったろうか。

筆者は団塊の世代に続く「谷間の世代」である。戦後の出生率は1950年代末に最低を記録して、その後緩やかな増加に転じる。ポスト団塊の世代の範囲をどこまでに限るかは、人によってさまざまであろう。ここでは少々幅を広げて、80年代初めにかけて少年、青年時代を過ごした人としよう。

 団塊の世代のヒロイン、吉永小百合はすでに、本格女優だった。山口百恵はあっという間にスクリーンとテレビの画面から消えていった。ポスト団塊の世代にとって、団塊の吉永小百合に相当する女優は薬師丸ひろ子であろう、と筆者は考える。先行する世代にも、後続の世代にも認識されたという意味で、ちょっと古くさいが国民的なヒロインである。脇道にそれるが、黒沢明監督の「あかひげ」などで知られる内藤洋子は、筆者にとって忘れがたい女優である。彼女もまた、山口百恵と同じように結婚後、スクリーンを去った。女優の喜多嶋舞は娘である。

 薬師丸ひろ子の映画の代表作である「Wの悲劇」(1984年)が、テレビドラマ化された。これは正確な表現ではない。夏樹静子の原作のドラマ化である。テレビ朝日のゴールデンタイムに登場したドラマの主演は、武井咲(えみ)である。10代の女優が、テレ朝のこの時間帯の主演を務めるのは、上戸彩の「アタックNo.1」(2005年)以来だという。

 4月26日(木)放映の特別拡大版の第1回を観た。ちなみに第2回は5月3日(木)である。

 大製薬会社のトップの座にある和辻与兵衛の亡くなった息子の娘、すなわち孫の摩子が武井のひとつの役である。ドラマの展開のなかで、その謎は解き明かされるのであろう、うりふたつのさつき、が武井のもうひとつの役である。摩子が大富豪の恵まれた娘であるのに対して、さつきはショーパブの掃除のアルバイトをするかたわら、売春もする不良の娘という設定になっている。買春の客がカネを支払わなかったことの腹を立てて、そのあとをつけた路地裏で、さつきはその客をナイフで刺し殺し、カネを奪う。殺人担当の刑事である弓坂圭一郎は、聞き込みから常習的に売春をしている、さつきを突き止め、追及する。

  「これは任意の取り調べですよね」と、さつきは切り返す。「一人暮らしの人間がアリバイなんでどうやって証明できるもんか」と、突き放した直後、さつきは弓坂との間を一息につめて、口づけをする。怒る弓坂。ロッカーにつきとばし、さつきの顔面を両手でおさえるようにして、膝蹴りをロッカーに食い込ませる。

 証拠不十分で警察から放免されたさつきの携帯電話に無言の着信があった末に、「あなたのアリバイを作れるのはわたしだけだ」と、姿を現しのが、摩子である。摩子はさつきに対して、ふたりの人生を交換することを提案して、それぞれは互いの人生を歩みはじめる。

  ドラマの冒頭で、買春行為が終わったあとに、さつきが冷えた出前のチャーハンとスープを書き込むシーン。客がカネを払わないとしって、むしゃぶりつくさつきを客はなんなく殴り倒す。ベットに放り出されるさつきのガウンのすそが乱れる。ショーパブの清掃のアルバイトに入れ替わった摩子に対するショーダンサーの激しいいじめ。清掃していた便器のなかに顔を沈められる。汚水のなかで息を吐く摩子の表情のアップ……

 大富豪の孫娘に成り代わったさつきは、祖父のよる性的な虐待に摩子があっていたこと知る。朝食のテーブルの下で祖父の手が、さつきの膝に伸びる。

  ドラマの狂言回しすなわち、登場人物や背景について説明する役は、ショーパブの経営者である一条春生である。彼女が現在進行形で書いている小説が、このドラマのプロットである、という仕掛けになっている。

  第1回目のドラマは、大富豪である和辻家の複雑な人間関係と、その相続問題が、悲劇的な事件につながることを暗示して終わる。

  武井咲は筆者が注目してきた女優である。携帯電話会社のCMによって、その美貌は世に知られるところとなった。

  スクリーンやテレビの画面に現れては消える美少女たちを観るのは、「楢山節考」の作家である深沢七郎の言葉の趣旨を借りるなら、はかなさを愛することであろうか。スクリーンにデビューする美少女のなかから、スターとなる女優を正確に予言する、作家の小林信彦のひそかな喜びがよくわかる。映画「ALLWAS 3丁目の夕日」で東北から集団就職で自動車修理店にやってきた星野六子役の堀北真希がスターになる、と確信を込めた賛辞を送った。筆者の女優に対する評価は、小林に遠く及ばない。しょせんは結果論ではないか、といわれれば二の句がつげない、そんなレベルではある。

 武井咲は、薬師丸ひろ子にはなれない、ましてや吉永小百合にも。それがこれまでの筆者の評価であった。「Wの悲劇」をみて、ひょっとしたら、と思う。

 国民的な女優になる条件として、筆者は常々「声」が大切ではないか、と考えてきた。薬師丸ひろ子の映画の挿入歌を初めて聴いたときの衝撃を忘れない。吉永小百合の歌声を聴いた団塊の世代もそうだったのではなかったか。歌手としてスタートした山口百恵の歌声についても同じような感動をいまでも覚えている。

 それはひとことでいえば、「透明な感じ」ということである。

 武井にはそれが欠けていた。デビューのシングルは、華々しい街頭広告を表参道の駅で観て、その歌声も聞いたがこころに響く透明感がなかった。それは、これまでのドラマでもそうだった。表現を変えるなら、声が通らないのである。

 「Wの悲劇」を観て、発声法がまったくこれまでと違っている、と思った。それは訓練だけではなく、少女から大人への微妙な時期を通過した女優の声であった。

  戦前から戦後にかけて、子役、少女そして大人の女優として、それぞれのステージで開花した、高峰秀子も語っている。娘から大人の女優への転換が最も難しく、子役で終わってしまう俳優は多い、と。

  武井咲「Wの悲劇」が、薬師丸ひろ子「Wの悲劇」のような成功を収めるか否か。

  その時代の美少女を起用したドラマのリメイクは、同じ役を演じた女優へのオマージュ(敬意)がある。「伊豆の踊子」は、田中絹代への。美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵が演じた。武井「悲劇」もまた。演出の片山修は、「木更津キャッツアイ」で薬師丸ひろ子をあさだ美礼先生役とした。今回のドラマのなかで、薬師丸が映画の主題歌として歌った「WOMAN“Wの悲劇から”」を挿入歌として、平井堅に歌わせている。

 片山は1965年生まれ、「谷間の世代」である。         (敬称略)

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