「真の友は友の役に立つことを常に待っている。……友の悲運が回復するのを喜ぶことひとかたでないのも、一回にとどまらない。……
東大出の友も同じ東大出の友を見放なすときがある。一人で見放せば友情がないことになるから、見放なすときは一せいに見放なす」(『夏彦の写真コラム傑作選Ⅰ』・新潮文庫)
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誉れもなく 訾(そしり)もなく 荘子『山木篇』
(誉れにも、謗りにも気にかけず、 臨機応変にしてとらわれない)
メディアの標的となった組織にあって、広報パーソンが、そのように任務を完遂できたとしたら、人知れず胸のうちに熱いものがこみあげる。
『リクルート事件 江副浩正の真実』(中央公論新社)は、メディアのなかに友あり、という幻想を抱いた経営者が綴った痛恨の物語である。
「リクルート事件は……私について連載で特集を組んでいた週刊誌もあった。ジャーナリズムの片隅にいた私としては、これほどまでにニュースバリューがあることだったのだろうかと、いまも思っている」
「ジャーナリズムの片隅にいた」という江副の言葉に、筆者は何度も立ち止まって読み返した。 この言葉に違和感を覚えるのはなぜなのだろうか。ジャーナリズムとは「権力のチェック」とすると、リクルートの諸雑誌はその範疇にない。江副の著作を何度もくくってみるうちに、問題の所在はジャーナリズムの定義にあるのではないことがわかる。メディアに対するトップの認識の誤りが、広報パーソンを追い詰めた。
「『AERA』と朝日の本紙からインタビューの申込みがリクルートの広報室に入っていたが、広報担当常務の生嶋誠士郎が断っていた。(一九九八年)七月七日、コスモの広報担当役員で社長室長の松原弘から……編集長の富岡隆夫さんから『単独インタビューに応じてくれたら“打ち方やめ”にする』との申し入れがきました、との電話が入った。……担保が必要だと考え、その日のよる赤坂の料亭『口悦』で会食中だった中江(利忠・朝日新聞社長)さんに電話口に出てもらい『AERA』だけにしてもらえますよねと念を押した。……それでも常務の生嶋と広報室課長の深谷泰久はその話に乗ることを心配していた」
この記述に先立って、江副は『AERA』の創刊にあたって富岡に助言を求められ、かつ準備号のサンプルに寄稿し、社長の中江とともにピアノバーで一緒に歌ったと。 インタビューにやってきたのは、『AERA』の編集部員ばかりではなく、事件を追っていた社会部のチームが主力だった。翌日の朝日の朝刊一面と社会面は、江副のインタビューでほとんどが埋め尽くされた。
メディアの単独インタビューに応じるか否か、危機管理において極めて難しい選択である。リクルート広報室課長の深谷はよく戦った。結果はすべて将の判断に帰する。
冒頭は「友の憂いにわれは泣く」と題する山本夏彦の週刊新潮連載のコラムの引用である。「友にも一流と末流がある」と。 (敬称略)
エルネオス ぼまれもなく そしりもなく
田部康喜 広報マンの攻防 ②
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