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銀行家」なき時代の憂鬱

2012年9月5日

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 東京・新橋はサラリーマンの街である。猛暑の黄昏時、雑居ビルの地下にある、九州料理の居酒屋に入ると、テーブル席は満員で、カウンターとなる。開店して間がない店に連れてきてくれたのは、都市銀行の役員だった。もう25年近く前になる。

  「新橋の支店長をしているときにね、この店を出したいって、融資を頼みに来た若い経営者に、見どころがあって貸したんですよ。どうです、満員でしょ」

 あの時の彼のうれしそうな顔を思い出す。

  「金融は経済の血液だ」と自信を持って言い切る、銀行家たち。それは銀行が、地域に信頼される時代でもあったろう。

 都心の繁華街に近いメガ・バンクの支店の窓口を訪れる。母の老後の資金である定期預金を更新するためだ。「こちらへ」と、男子行員はテーブル席に誘導する。机上には、さまざまな金融商品のチャート図がある。

  「保険はいかがでしょうか」。一時払い終身保険の説明を始める。

 契約時に保険料を全額払い込むと、死亡保障とともに貯蓄性がある。ただし、中途解約を行った場合に、経過年数によっては払い込んだ保険料を下回る。つまり元本保証でない。

  いわゆる銀行の窓口販売、「窓販」である。生命保険ばかりではない、国債や投資信託、金投資など、あらゆる金融商品が購入できる。

 「定期預金でいいんです。母が老後のために苦労して貯めたおカネなんですから」と私はこたえる。

  国民生活センターは、こうした「窓販」による一時払い終身年金保険について、注意喚起するリポートを4月にまとめている。「相談事例を見ると、高齢者がトラブルに遭うケースが多い。消費者は保険であることを理解できず、預金と誤解したまま契約が結ばれるケースが目立った」と。全国銀行協会が東京、大阪など各地に設けている相談と苦情の受付窓口の件数も、2011年度は3年前のざっと2倍の約2万2000件にのぼっている。

  金融の自由化は1990年代から、金利の自由化とともに、普通銀行や信託銀行、長期信用銀行などの専門性の垣根をとっぱらう業態の自由化が進んだ。それと同時に「窓販」の取り扱い金融商品の種類が拡大した。銀行の店舗は、元本保証の商品ばかりを売る場所ではなくなったが、お年寄りたちはいまだに銀行を信じ、それがまだわかっていない。

  「護送船団時代」の銀行家然とした大銀行の役員たちを懐かしがっているのでない。いま顔の見える、信頼できる銀行家はいるのであろうか。おカネとは、人間の人生の喜怒哀楽の結晶である。それを託するにはそれなりの人物が求められる。

 ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)の設定をめぐる不正をめぐる事件は、世界のトップバンクもまた、「銀行家」なき時代であることを物語る。「バークレイはまさに始まりにすぎない」――ニュース週刊誌タイム最新号のカバーストーリのタイトルである。その金利を決めるシティのメンバーに日本のメガ・バンクがいることが記事にある。そのトップの顔が思い浮かばない。

   (2012年7月30日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)

 

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