ある大学のシンポジウムに参加するため、シンボルの講堂を脇にみながら、緑あふれる並木道を歩く。ベンチャーの勉強会の参加を勧誘するポスターがあちらこちらに。大学闘争の余韻が残るたて看板が乱立していた母校を思うと、歳月を感ぜずにはおかない。
団塊の世代が駆け抜けた、祭りのあとの1970年代末、ポスト団塊の我々世代は、石油危機後の不況のなかで、就職氷河期を生き抜かなければならなかった。
我々の子どもの世代である大学年生たちはいま、実質的には入社試験といえるインターンシップや就職セミナーで、親の世代と同じように氷河期を戦っている。
「ベンチャー」を立ち上げた慶応大学4年生の男子大学生が、投資名目で資金を集めたまま海外に出国していることが明らかになったのは、そんな時である。少なくとも数億円単位の資金を集めた可能性があるという。
男子大学生は自らが開発したという株式投資の自動売買機械によって、資金を集めたという。元本保証で、預かった資金は1年間で5倍にする、がうたい文句だった。
高級ブランドのスーツに身を固め、外国車を乗り回し、六本木のクラブでシャンパンを振る舞う。集めた資金は、投資に回されなかった可能性が高いという。
経済犯罪は時代相を映し出す。三島由紀夫が昭和25(1950)年に出版した『青の時代』は、前年に起きた「光クラブ事件」がモデルである。東京大学法学部3年生だった山崎晃嗣は、貸金業の光クラブを設立、高利回りをうたい文句に資金を集めたが、破綻し、青酸カリによる自殺を図った。20代の三島は自らの青春を重ねわせていたのだろうか。
「戦争のおかげで永保ちのする理想を失った人たちが、今日買えば明日腐るかもしれない果物のような夢想のための、理想的な一時期をもったのであった。明日をもしれぬものはかなげな紙幣の風情が、明日をも知れぬ欲望にとってふさわしい道連れのように思われた」
「光クラブ事件」は石油危機後に再び、ベストセラーと映画によって甦る。高木彬光の『白昼の死角』である。高度経済成長の右肩上がりの夢はついえた。石油危機は「終戦」と同じように、青年たちは価値観の転換を迫られた。メディア・ミックスの天才である角川春樹の仕掛けは、時代相に合致した。光クラブの残党という設定の、主人公である映画は、経済犯罪を繰り返して仲間を死に追いやる、暗澹たるピカレスク・ロマンである。あの時代の青年だった筆者の心象風景である。
大学の教壇に立っている友人たちに頼まれて、講演する機会は少なくない。ベンチャー企業で働き、自らも社内起業した経験があるからだ。講演を終えると、ベンチャーを立ち上げたいという青年たちが駆け寄ってきて、質問攻めになる。
「失われた20年」のあまりにも長き敗戦期間のなかで、青年たちはまじめに生きている。海外逃亡中の大学生は小説のモデルにはならない。勘違いのはねっかえり者である。
(2012年7月11日 フジサンケイビジネスアイ フロントコラム に加筆しました)