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「すぐに避難を!」 命令調の放送が始まる

2012年7月6日

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「津波は内陸深くまで流れ込みます。早く逃げること……」

  NHKの夜のニュース番組、「ニュース7」のキャスターである武田真一アナウンサーが、緊張した高い調子で訴える。

  これまでにはない命令調の津波情報である。

  放送記念日の3月22日、NHKスペシャルは「NHKと東日本大震災」の特集番組によって、大震災から1年の自らの放送を振り返った。

  番組冒頭の武田アナウンサーの緊張した放送は、災害報道の実験の模擬放送だった。どうして、このような調子のアナウンスになったのか。その謎解きをするようにして、映像は進行する。

  巨大津波による犠牲者をどうして放送は、もっと救えなかったのか。放送人の痛恨の感情が番組を作らせた。

  2011年3月11日午後2時46分、大震災が発生したときに、ニュース責任者だったテレビニュース部の等々力健はいう。

  「マニュアルもあった。事前準備もしていた。しかし、マニュアルも事前準備も超えた事態が起きるとは思っていなかった」

  巨大地震の発生に直面した等々力は終始、アナウンサーに何度でも避難を呼びかけろ、と指示をだした。

  震災当日のテレビとラジオの放送を時系列で流しながら、番組は震災地の人々が放送にどのように刻々と対応していったかを描いていく。

  宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、停電によって防災無線が断絶し、テレビも視聴が困難になった。住民はテレビの情報をそのまま伝えるラジオに聞き入った。

  午後2時54分、岩手県大船渡で津波の高さは20cmと伝えられた。その後、宮城県石巻市の50cm、そして、午後3時3分、東京・お台場の方向で高く上がる火災と推定される煙にテレビの中継画面は切り替わる。

  閖上の住民に緊張感はなかった。「津波の高さの予測は6mといっているが、いつものように空振りに終わると思った」と振り返る。

  午後3時14分、岩手県釜石の港のロボットカメラが捕らえた映像から、東京のスタジオの緊張は一気に高まる。津波が防波堤を超えて、車を押し流し始めた。

  大津波警報と津波警報が太平洋岸の各地に出される放送が続いた。午後3時32分、宮城県の津波予想が10mを超えたことが流されたのは、気象庁からの情報が入ってから18分以上が経っていた。テレビの音声をそのまま流していたラジオが、この直後からアナウンサーがブースに入り、独自に避難を呼びかけるアナウンスを繰り返した。

 午後3時54分、世界に津波が同時中継されたあの映像が飛び込む。仙台空港を飛び立ったヘリコプターに搭乗したカメラマンが津波をとらえた。名取川をさかのぼるようにして、真っ黒な津波が仙台平野を飲み込んでいく。

  宮城、福島、岩手の3県の住民を対象としたアンケートによると、震災当日の津波についての放送によって、「すぐに逃げよう」と考えたひとは全体の43%に過ぎない。まだ余裕があると思ったひとが41%、津波がくるとは思わなかったひとが14%で、合わせて55%のひとは、すぐに逃げようとは思わなかったのである。

  NHKスペシャルの番組では直接的には紹介されなかったが、放送のあり方を考えようという取り組みのなかに、NHK放送文化研究所による震災地の膨大なフィールドワークがあった。

  放送文化研究所の機関誌である「放送研究と調査」2012年3月号は、「命令調を使った津波避難の呼びかけ」と題した論文を掲げる。2011年9月号は、「大洗町はなぜ『避難せよ』と呼びかけたのか」の論文である。

  茨城県大洗町は水戸市の東隣に位置する、人口約1万8,000人の漁業と海水浴で知られる町である。町を4mの津波が襲ったが、津波による死者はゼロだった。避難した人の数は一時、約3,400人に及んだ。

  「緊急避難命令、緊急避難命令・・・・」。町長の指示によって、防災無線に流れた命令調の指示が住民たちを助けた。「避難指示」が防災法上の言葉である。

  さらに、「高台に避難せよ、高台に避難せよ・・・・」と。

  住民たちを避難に駆り立てたのは、地区を名指した具体的な指示だった。「明神町から大貫角一の中通りから下の方は大至急避難してください」

  2012年3月号が紹介する、宮城県女川町の防災無線の事例はこうだ。無線放送をしている町役場を津波が襲った。

  「大津波が押し寄せています。至急高台に避難してください」

  津波はついに、3階建ての2階部分まで水没させた。その瞬間、無線の担当者は叫んだ。

  「逃げろー!高台に逃げろー!」

  NHKは2011年10月から、津波についての情報を伝える呼びかけを変えることにした。端的に強い危機を伝える、という基本的な方向性である。

  NHKスペシャルの武田アナウンサーの模擬放送は、その実践である。

  テレビの音声を流していたラジオが独自のアナウンスを始めたとき、そのブースに飛び込んだアナウンサーは、かつて「おはよう日本」のキャスターを手がけた伊藤博英である。エグゼクティブ・アナウンサーの地位から初めて、4月から地方局に転勤になる。行き先は初任地の福島放送局である。震災報道の強化の一環だ、と伝え聞く。

  筆者の余話である。伊藤と筆者は、震災地の仙台の高校同級である。

  友の「栄転」を喜ぶ。(敬称略)

 

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