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新聞の正義と憎悪

2019年12月3日

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政治経済情報誌「ELNEOS」12 月号寄稿

 日本人の思想、信条、行動について、独自の論考続けた、故山本七平氏の過去の論文をまとめた新刊『新聞の運命』(二〇一九年、さくら舎)がある。新聞に切り込んだ視点はいまも新しい。

新聞が本質的に抱えている「正義」について、次のように説いている。

「仮借なき正義の言葉を吐けるのは、実は、自分がその相手を憎んでいるときなのだ」

「憎悪という衝撃力で正義を投げつけたとて、人はそれに驚くだけで、その正義に動かされることはない。そして動かされないことを知ると、人間はまことに幼稚なレトリックしか考えない。すなわち、これでもかと活字を大きくし、これでもかと衝撃的・刺激的な大げさな見出しを考え……だがそれをすればするほど読者は離れ、しまいには『またか』とうんざりして来る」

こうした新聞の正義と憎悪と一線を画した新聞人として、朝日新聞のコラム「天声人語」を一九七〇年代前半に担当しながら四六歳で亡くなった、深代惇郎氏をあげる。ロッキード事件によって首相を退陣した、田中角栄氏について書いたコラムを引いている。

「フォード大統領の滞在中は『政治休戦』のはずだったが、田中内閣はその五日間さえやっと持ちこたえたいう感じである。首相の辞任決定に、何はどもあれホッとした。

 『あの土地は何坪で、坪当たり何千円でございます』『ユウレイ会社といっても違法ではございません』といった総理答弁をこれから毎日聞かされるのは、正直いってやりきれない思いだった」

 山本氏はこう述べる。

 「深代さんはここで『正義の代行人』として田中前首相を糾弾しているわけではない。だがこれを読むと、『やりきれない』『ありゃもうたくさんだ』『彼が辞めてホッとした』という気が、誰でも、それを読むたびに甦ってくる。そしてこの甦ってくる言葉だけが、その言葉が発せられたときにも、人びとを動かし得るのである」

 新聞の正義と憎悪の前面に立っている、広報パーソンにとって、山山本氏の言葉は心にしみる。広報部門の経験者として、メディアのなかに、深代惇郎氏ほどとはいわないが、正義と憎悪から遠い視点をもったジャーナリストがひとりでもいれば、企業の危機は乗り越えられると考えていた。

 ソフトバンクグループが一一月初旬に発表した、二〇二〇年第二半期の決算発表会において、会長兼社長の孫正義氏は、プレゼンテーションのはじめに、荒海に最近の同社の経営危機に関する新聞記事の見出しを並べた。

 「今回の決算はぼろぼろ。真っ赤っかの大赤字。三カ月でここまで赤字を出したのは創業以来初めてだと思う」と、語りだした。新聞の指摘する点について具体的な数字をあげて反論する形となった。株価は翌日こそ下がったが、その後持ち直した。正義と憎悪から距離を置くジャーナリストは、言葉によって読者の心を打つ。彼らを動かすトップもまた、言葉の力を信じなければならない。

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